今年は季節の進みが早く

天候も比較的安定していて

何より暖かくなって暮らしが楽だ



4月は案外忙しく過ごした

定期的に通っている医者をいくつかこなし

健康診断へも行った

庭の手入れをしたり

富士山のほうへキャンプにも行った



そうだ

モーターサイクルショーへも久しぶりに行った

でも新車のオートバイに興味が無いのであれはムダだったかな

セントレア(中部国際空港)と同じ空港島に出来た新しい展示場

スカイエキスポ(愛知県国際展示場)で開催だったから

はじめて名鉄の空港特急ミュースカイに乗って行った

あれこそが収穫だったか





世界は需要と供給でできていると見る向きがあるが

昨今、それに振り回されている感があるように思う

売れているモノに価値があり

ために売れるモノを作り出すことに必死になる

買う側は失敗を恐れるあまり

ベストバイとか高評価をネットに探し求める

誰かが良いというモノを買い

誰かが旨いというモノを喰う

「世界に一つだけの花」という流行歌が記録的にヒットする国の住人は

逆に恐ろしく無個性だ

未だ9割以上の国民がマスクをし続けているのも頷ける





営利目的のプロダクトなので仕方が無いといえばそうだが

手間が掛かったり

操作が難しく煩雑だったり

効率が悪かったり

そういうところに新たなニーズを安易に求めるあまり

機械はどんどん便利にスマートになったが

半面ひどく冷たくつまらないモノになったとボクは感じる





たとえば、オーディオ

音源であるレコード盤から物理的に振動を拾い上げるレコードプレーヤー

結果的に多種多様な製品を生み出すほどに奥が深い

そこには様々な問題がある

物理的な振動を電気信号に変換する仕組みや

レコード盤の溝が1本であるために生じる外周と内周のスピード差の問題

ターンテーブルを駆動するときに混入するモーターの振動

最終目的は歪、ムラ、ノイズを極限までなくすこと

アナログであるが故に開発者の数だけ製品が生み出されていった

そして80年代にはほぼ人間には判別不可能な領域に到達したが

同時にオーディオの世界にデジタル化の波が押し寄せた

しかし今になればわかる

アナログオーディオには測定できない個性が確かに存在しているのだ



たとえば、カメラ

写真の露出と云うのは本当に難しいもので

早い時期からメーカーはカメラ普及の手段として

オート露出の「バカチョンカメラ」と呼ばれるが賢いカメラを製品化していた

しかしそうはいっても露出はそれほどカンタンな話ではないので

実際にフィルムを現像してプリントしてみるまで分からなかったわけだ

それにその撮影から現像、プリントという工程が長く

写真屋に持って行きまた取りに行くことや

プリントに1枚50円とかのコストの負担もかかった

撮影したデータをすぐにみられるデジタルカメラが普及するのは必然と云える

だけれども

カメラが進化すればするほどユーザーに光を映し撮る仕組みをわからなくしていった

モノクロ写真と云うと単にモノトーンの写真と思いがちだが

アンセル・アダムスのゾーンシステムによるプリントを見たことがあるだろうか

(印画紙の)白から(像が存在しない)黒までの10段階の諧調を

バランスよく再現したモノクロプリントの美しさ

デジタルカメラのモノクロモードでは

大抵「ねむい」写真になりがちだ

デジタルカメラならRAWで記録しPC上で「現像」すればいいが

フィルムカメラの場合撮影意図を反映させるためには

色温度を変換したりコントラストを調整するためにフィルターを選ぶ

露出とピントを選択し

現像時には液温や時間を調整する

様々な工程が必要だ



オーディオはデジタル化により歪やムラを限りなく「0(ゼロ)」にし

あとはリスニングルームの残響と共振をどうするかまでいった

プログラムで作り出される3Dの音像は確かにすばらしい

カメラは露出はおろかピント、色、トーン、ボケなどあらゆる表現を

自動化させ画像処理エンジンで最適化する

不要なものを消し、ブレを無かったことにし、ピント位置を変更する

あとは何(モチーフ)を撮るのかまで行きついた

でも考えて欲しい

仕事でやっているのなら表現の幅が広がる素晴らしい進化だけど

ボクがしてるの趣味の話だ



オートバイのトラクションの問題はエンジンの特性とジオメトリーで解決すべきで

200km/hで60度以上にバンクさせてコーナリングする

レース用車両と同じ電子制御なんかじゃない

ブレーキングを最大効率でいつも安全にを担うのは本来はABSでなく

まずはライダーの技量だ

安全にブレーキングを練習し習熟するための施設と機会が必要なのだ

低速バランスや立ちごけだってそうだ

一輪車を考えて欲しい

安全に乗るために補助輪を前後左右に取り付けますか?

バランスをとるためにジャイロとサーボモーターで制御しますか?

ヘルメットとプロテクターを付けて安全な場所で練習あるのみ

誰だってわかる論理だ



これからの未来でもオートバイに気軽になんて乗らなくていい

オートバイは楽しくて楽しくて、そしてあぶない乗り物なのだよ

それでも、それに跨り走り出そうとするヤツは

これからも絶対にいるはずなのだ



今の工業製品に感じるのはニーズへの応答というより

利益至上主義的な安易なトッピングビジネスに見える

チャーシュー1枚、ナルトにシナチクの「普通のラーメン」500円に

チャーシューを5枚にした「チャーシュー麵」800円というやつだ

チャーシュー4枚で300円のほとんどは利益だ

ABSは装着義務だから仕方ないとして

「(無いより)有ったほうがいい」の装備で利益を生んでいるようにしか見えない

排ガス規制やカーボンニュートラルへの対応でメーカーの苦労も理解するが

オートバイという乗り物を一体どう考えているのだろう

と、消費者の立場からだが疑問に感じている

ハイプライスのモノを購入して優越感を得たいヤツらにすり寄らなくていい

金(カネ)だけがこの世界のすべてなはずが無い

金で愛(人の気持ち)は買えないと分かっているのに

一目置かれるためならいくらでも金と時間を使う消費者が多すぎやしないか



好きだからあえて云わせてもらうけど

オートバイだけはクルマのように

他の工業製品のようになってもらいたくない

あのモーターサイクルショーを見て

「何か違うな」

「何かおかしいな」

と感じた違和感をメーカーに突きつけて欲しい

と、間もなくこの世を去るであろうジジィは溜息をついているのだよ




早朝、花冷えの空気の中

伊勢道を南下していた

大袈裟かな、と思ったけどライトダウンを着てきたのにサブい



あのちゃんSA

正確には安濃サービスエリア

朝食に外のベンチでサンドイッチをつまんでいたら

震えがくるくらい身体が冷えて

仕方なくもう一度中へ行ってアツアツのコーヒーを一杯

それでもちょっとマシかレベルだ

経験上走ってるほうがサブくない気がするので走り出すことにする



それにしてもサクラだ

松阪IC辺りのすごいサクラ並木を皮切りに

今日はどこもかしこもサクラの大渋滞だ

熱烈歓迎 桜花爛漫

サクラ絵巻の走馬灯を見ているようだ

もうエエねん、ってくらいのサクラだ

日本人のサクラに対する情念を思い知らされる

過ぎたるはナンチャラ、ちょっとうんざりする

なんて贅沢なボヤキも出そうだ



勢和多気ICで高速を降りて国道166号線を西進する

参宮街道とも呼ばれている古い街道だ

もう兎に角ここもサクラ、サクラのオンパレード

おまけに日差しが一杯の青空

日頃の心がけの良さの賜物というより他ない日和ですよ

もうダウンもいらない

パニアからスイングトップを出して着替える



国道166号線は

中央構造線の中を激しく屈曲を繰り返す櫛田川を辿って

うねるようなワインディングが続く

もちろん大好きなヤツだ

交通量もほとんどなくて独り占めの快走

やがて前方には紀伊山地の山並みが幾重にも重なって迫る

谷筋が狭まり

民家が途切れると

国道は一気に高度を上げて高見峠へと向かう

全長2470mの高見トンネルを越え吉野へ出た

県道16号線を使ってショートカット

熊野街道 国道169号線に合流する

季節がら吉野山へ向かうクルマが多いのかなと思ったけど

なかなかどうしてこっち方面もクルマが多い

そのためペースはぐっと落ちたが、まあ仕方ない

おおたき龍神湖を見下ろしながらのろのろ進む

さらに上流の大迫ダムを過ぎると熊野へとさらに峠を越える

ずいぶんむかし、竜神スカイラインが有料だったころ

そこから見た「V字谷」のすごさは印象的だったけど

国内有数の降雨地帯の水量にはまったく圧倒される

ゴリゴリと隆起する紀伊山地をあんなにも深くえぐり取っていく水の力

紀伊半島の大部分を占めるこの山と谷の険しさは想像以上だが

国道は尾根から尾根へとループ橋でつないでワープするかのように

ダイナミックにルートをつなぎ

いとも容易く峠を越えていく

日本の公共事業費は防衛費とほぼ同額

この二つを足しても社会保障費には全く届かない

あ、どうでもいいか

交通インフラは行政の重要な柱

ま、ちょっと公平性の部分で地方に過剰かなと感じる

あ、またどうでもいい話

前後に伸びたのろのろの車列に交じって走ると集中力が落ちる



大峰山と大台ケ原に挟まれた北山川の谷を下っていくと

その川幅が徐々に広がっていることに気づく

この先にある巨大な池原貯水池の端部だろう

立派なトラス橋を渡るたびにさらに川幅が広がる

ダムは近い



「池原ダム」はアーチ式ダムの中で総貯水量国内第1位

洪水吐が別の斜面に設置されるため

ダム堤はすっきりとただ美しいアーチを描く

けれど堤高が111mもあるため恐怖しか感じない

そして総貯水量3億3840万㎥!の水量だ

夏に豊根ダムのことを書いたときに貯水量4040万㎥が

途方もなく想像できないと驚いたけど

この池原貯水池は桁が違うのだよ!



巨大なダム湖の向こうに

無数のサクラに埋め尽くされた下北山スポーツ公園が見えた

なんだここは

このクルマやオートバイの多さの意味をここに来てやっと悟った

下北山はサクラの名所だった

「ものスゴーい!」

こんなアホな形容詞がぴったりの桃源郷(桜だけど)

今日の行程のまだ半ばにも達していないのに

もうすっかり走る気喪失しちまったわさ



「カーブの店」という洒落た名前のコンビニでアレを手に入れる

アレだよ、アレ



思わぬ花見となった

サクラ目的でなくここに来てるのはこのオッサンくらいだろう

きてるというか、来てしまってるんだけどね

でもいい

花見だ



イスを広げ湯を沸かしている間もなぜか不思議な笑みが止まらない

なんなら鼻歌でも歌いだしそうだ

たくさんの人が来ていて、皆一様に楽しそうだ

―――みんな!いい日に来られたね!

サクラ、うんざりだ、なんて云ってゴメンナサイ


 



サクラの開花が話題となる平和な国のこの頃

賃上げとは無関係なボクの春だけど

少子化や海の向こうの戦争とも無関係なおっさんの春だ

社会に住まう以上、無縁ではなかろうよ、と云われそうだが

春の穏やかな日差しだけは

人類共通の喜びとして有難く頂こう



新東名 新城ICから国道257号線で

豊川をたどっていくと

思わず満開のサクラに迎えられた



正に文字通りの満開

山里の厳しい冬の寒さの向こうにまた巡ってきた春

木々や花々、鳥や獣たちの弾むような喜びに満ちていた

 
 
 





百花繚乱

とは云え奥三河の春はまだ浅く寒い

茶臼山では残雪でスキーをする人たち

標高1,000mを超える高原には冬の冷たい風が吹きつけて腹が冷える



日差しを受けていれば暖かいので

椅子に座って日向ぼっこ

コーヒーが旨い

お菓子のパックがパンパンの高原



バイクブームと云われているようだけど

なるほど平日でもオートバイの姿を見かけるようになった

でも事故を見かける頻度も増えてる気がする

分母が増えてるから当然といえば当然なんだけど

おっさんの死亡事故のニュースも多い

今日来る途中にも

千万町の集落の中の緩いカーブに

フロントが折れて車種も不明なほどつぶれたアプリリアがころがっていた

くれぐれも命を大切にと祈るばかりだ

事故は誰の上にも突然降りかかり

数秒で命を落とす

前方に意識を集中することが何より大事だ

モトブログと称して走りながら講釈垂れてる動画を目にするけど

そんなに運転中に余裕ぶっこいてて大丈夫かい

僕には無理だね

気が緩んでるな、と感じるだけでゾッとするくらいだから

そういえば、立ちごけもよく目にする

立ちごけ、甘く見ない方が良い



それにしても春

春の花に「ゆきやなぎ」がある

「雪柳」



細く長い柳のような枝先に雪が降り積もったように

小さな真っ白い花が無数に咲き

早春の風に揺れる様は華やかで美しい

子どもの頃、もう50年以上前のこと

岡崎公園にはこじんまりとした遊園地があった

バッテリーカーとか、外周をゆっくり走る汽車とか

ゴンドラが10個もないような観覧車とか……

若い両親と兄と、生まれたばかりの妹

花見に訪れた日曜の午後、ここで遊んだ記憶が

ボクの数少ない家族の記憶だ

今では機械仕掛けの遊具は撤去されて

滑り台やブランコが置かれて僅かに面影を残すのみだ

サクラの季節になるとそのサクラの根元に雪柳が一斉に咲き揃う

数年前にその遊園地跡を懐かしさから訪ねた時

撤去された遊園地の後に咲く雪柳の光景の美しさに

少し涙ぐんでしまった

若くして亡くなった父

そのあと苦労してボクらを育ててくれた母

時間に埋もれて記憶はやがて消えていくのだろう

けれど風に揺れるゆきやなぎはそっとボクにささやく

「だいじょうぶ、全部覚えているよ」と



今年の冬も去年と同じような傾向だったので

今年もまた春の訪れが早いのだろう

と思っていたら

きのう開花している桜の木を見てしまった

全体的にはまだ2週間くらいかかりそうだけど

日当たりとか風当たりとかの関係で

一足先にパッカンする花もある

まあ寒いより暖かいの方が良い

春はウェルカムだよ



週の頭に家人と恵那の山間にある風呂を訪ねた

県境の峠は路傍の残雪も無ければ

路面の凍結も(気配すら)無かった

となれば、入院(腰上の整備)明けのクロ介がだまちゃいない

車庫に行くたび

「行くのか?」と散歩を待ち詫びるバカ犬のように見つめ返してくる

天気予報士どもが「春の陽気」と口を揃えるその日

さっそく「涼風」まであいさつに出掛ける



走り出してみると奴等が云うほど暖かい訳ではなく

うっすらと北の風を孕み、寒いの方が感覚的には勝つ

でも、それはそれ、もう真冬のそれではない



久しぶりのワインディングで身体の動きがうまく連携しない

小さなカーブで向き変えのタイミングを馴染ませながら走る

左コーナーは案外すぐに感覚が戻るけど

右コーナーは少し上体が残る感じが消えない

外側の左ステップに力が入ったり

逆に内側の荷重に力が入ったり

無理に合わせようとすると腰を捻る動きが出て

さらに違和感が強くなる



オートバイの乗り方って自転車と同じで

口で説明できない

でも理論がわかっていると、身体の動きを客観的にみられる気がする

「多くの人が右コーナーが苦手」

これの説明が明確にできるかどうかで

そのライダーのレベルが見える

クラッチ使いながらウィンカー操作しずらい

っていうのもレベルがわかる

でも、こっちは「はじめの一歩」だ



すべてが無理なく「はまる」コーナリングは

ロードスポーツモトの醍醐味だよね

ということで

帰るころにはすっかり勘を取り戻せた





久しぶりの「涼風」

かーらーのー

三河湖



まだ風が冷たい

それよりも「春の3K」がドエライ(=ものすごくの意)ことになとるでいかんわ

春の柔らかい日差しに山や森がぼんやり霞んでいるのか、と思ったら

杉の花粉がまるで水しぶきのように風に乗って飛んでいたよ

ボクは花粉症とまではいかないけど

アレルギー体質なのでちょっとツライ

眼がシカシカして、おサルみたいな顔になった

ちなみに「春の3K」って

「花粉」「強風」「乾燥」

実はあんまりいい季節じゃないのかもね
 

案外トシ喰ってるんですよね、こいつ

艶有のまっ黒いオートバイなんて21世紀には絶滅した種族



1990年4月生まれ

午年の33歳

距離は走っていないけど

時間だけは容赦なく経っていて

やっぱりゴムやらプラスチックやらの劣化がでる

手に入れてから2年経ったけど

14年間店頭で放置されていたクロ介を

徐々に走らせて、走らせながら未だに不具合をつぶす日々だ

今回は今シーズンの開幕に向けて大きな修理をした



OHVエンジンなのでプッシュロッドがクランクケースから突き出るんだけど

そのロッドケースの取り付けパッキングが劣化してオイルを吹いているのと

もう最初からなんだけどニュートラルスイッチのオイル漏れの対応



対応って云ってもスイッチの交換だ

シリンダー外すついでに燃焼室内の点検とカーボン取り

吸気経路のスリーブ(ゴム製)も交換してもらう



ヘッドが開いた時点で見させてもらったけど

心配したようなカーボンの蓄積はなく

距離相応のキレイさ具合だった





特に問題もなく作業はあっさり終わって

引き取りに行ってきた



代車に借りてたのはモト・グッツィのBREVA750

ドリューーーーーーと唸りながら不思議な加速感

縦置きクランクつながりだけど

90度V型ツインは別物だな



春の陽気だったから

帰りはちょっと遠回り

キャブレターの同調がびったりでアイドリングが低くきまる

BMWモトラッドはR32をL/Oして今年で100年

節目の年を迎えた

そして今ガソリンエンジンは終焉の時を迎えようとしている

オートバイはなくならないだろうが

内燃機関で動く地上の乗り物はもう今後無くなるのだ

DOHCのマルチシリンダーエンジンが

10,000rpmへ向けて吹き上がっていく時の戦慄

「えらいもん買っちまったな」とちょっと途方に暮れる自分に気付きながらも

信号グランプリに明け暮れた学生時代

最速で無敵のためにオートバイはどんどん進化していき

毎年のようにオートバイを乗り換えていた

ケースリードバルブの2スト

バーチカルツイン

単気筒のオフ車

リッターマルチ

なのに気付けば今では20世紀の遺物にゾッコンで

刺激「0(ゼロ)」のフラットツインエンジンをコロがしている

ずっとオートバイには乗っていたし何台も所有してきた

アレコレいろんな物事に目移りして

オートバイが疎かになったことだってある

でも、人生のデザート期(イルカが晩年のことをこう云っていた)に入って

ボクはオートバイがいちばん好きなんだ、と

心から思った

だからエンジンが無くなると思うとちょっと虚しくなるんだ

もし人生にオートバイが存在していなかったらどうだったんだろう

電気仕掛けの2輪車、好きになったかな?

多分ならない

だってオートバイってやっぱりエンジンなんだと思う

クルマは電気モーターみたいな回転力とパワーを求めて

マルチシリンダーのV型エンジンに収束していったけど

コンシュマー向けプロダクトに限って云えば

オートバイは4気筒マルチへ行った後

ツインに戻ってきてるからね

学生の頃、ボクはカワサキのマルチZ400GPに乗ってた

友達がホンダのスーパーホークⅢに乗ってて正直小馬鹿にしてたんだけど

(当時はツインなんてただの時代遅れだと思われていた)

ときどき乗り換えっこした時の

ツインエンジンの扱いやすさに複雑な思いがした

それと信号からの出足がツインのほうが断然良くて

マルチは回転上げないとついていけなかったことにモヤモヤしたよ

いろんな車種

いろんな形式のエンジンに乗ってきて

オートバイの魅力は2輪であることと同時に

多種多様なエンジンにあると思う

でもね

エンジンはなくなると思う

どう考えても電気モーターのほうが効率がいい

工業製品が効率を求めているのは間違いないのだから

モビリティが電動化するのは必然なんだろう



まあ死んだ後の話はどうでもよい

ニヤニヤひとりでほくそ笑んで

じじいがオートバイ乗ってる

オートバイはおもしろいな、ってね