このところの暖かさに驚いたのは雲雀たち

どいつもこいつも慌てふためき

我先にと競いあっては花粉交じりの空へ昇っていく

おかげで長閑な冬枯れの田畑には

そこいら中でけたたましい囀りが響き渡ることになる

それはもう大騒ぎ



そういう人間様の方だって

予想外のこんな陽気

何とはなしにホッとした気持ちにもなるもんだ

雲雀たちも人間も同じ国に暮らす朋輩ということか

私事で云えば

この冬に新しいオートバイを手に入れたりしたもんだから

いつもの冬よりマシマシで

春を心待ちにしている

だからこんな陽気ならもう山へ行っても良いかも

と、途端にそわそわざわつき始める今日この頃だ



走り出してみると

まだまだ路面には乾ききらずにウェットパッチが残る

それでも気温はこの時期としては異様に高く

フリース素材のスウェットに綿のスイングトップを羽織っただけだ

首元を抜けていく風さえも心地よく感じる程だった

チェーンクリーナーを買いに寄った近くの用品屋

駐車場から空を見上げるともう青空だった

--――これなら山へ行ける(ウヒヒッ)

すっかり慣れたキックスタート一発

でもこれ本当にいい

「さぁ、行くぞィ!」とSRにも自分にも気持ちが入る



中央総合公園の丘陵を越えて

下山(しもやま)の方へ踏み込んでみた

両側に樹々が生い茂る細い県道には

このところ続いた風雨のせいで

枯れた枝が降り積もっていた

陽があたらぬ場所も多くて少し気を使うが

それでも山の道は久しぶりで楽しい



ワインディングではまだSRのステアを掴みきれていなくて

INに寄りすぎたり

コーナー出口で帳尻が合わなかったりはある

でもフロントの空気圧をデフォルトの1.75barにあわせてみたら

少し従順になったかな

体重がある方なのでリアのイニシャルをかけてみたのも良かったか

いや、こいつはかけない方が良いような気もする

やはり向き変えの指示を出してからINへ向かう感じがすごい

少し上体をかぶせて(肘をまげて)

アタマをステアリングヘッドのやや内に置いたまま

いつもよりコーナーの外側を少し長めにトレースしながら進入して

向き変えポイントでスッと抜いてやるだけで

SRが鋭く内向し始めるのがわかる

あまりエンジンを引っ張らずに小刻みにシフトアップして

トラクションをかけ続ける方が良いというコメントを聞くけど

5000rpm以上の振動やパワー感も悪くない

あの音と振動はエキサイティングだ



でも細かくシフト操作しながら

少し高いステアリングヘッドを右へ左へとやっていると

オフ車に乗ってるような楽しさが蘇る

知ってのとおりSRはXTベースなので

股間をタンク後端に乗せて

上体を立て、肘を張ると林道へも行けそうな匂いがする

もともとロングストロークのエンジンって好きじゃない

高回転高出力で育ったもんだから

ここが気持ち良くないと好きになれない

XLR250が楽しかったのはそれかな

たまに代車で貸してもらったブロンコも愛せそうな予感がしたし

キックスタートだって250レプリカやオフ車は当たり前だった

あれだな

家系の演出されたラーメンより

50年続いてる町中華のラーメンが旨い

これに似てる



SRを引き取って家へ向かいながら

ちょっと心配してたのは

もうクロ介(BMW R100)に乗らなくなっちゃうかなってことだった

R100の自分的なマイナスポイントは

停まっている時の取り回しの悪さだ

あとハンドルの切れ角が小さくてUターンに少し気をつかう事

まあこの2点だ

入ってはいけない所に入った時の対応がとても厳しい

何度かいっそ倒してシリンダーヘッド軸にして回そうかと思うくらい

ニッチモサッチモになることがあるのだ

少なくともSRにはそれは絶対ないのだろう

でも実を云えば

クロ介に乗らなくなるかもなんて不安は一瞬で払拭された

クロ介で走り出した瞬間

五感からどばーっとドーパミンが出るのを感じた

好きなんだから当たり前だけど

BMWフラットツインはモノが違うのだよ

良いか悪いか

上か下か

高級か低級か

そんな話ではない

SRとR100は「モノが違う」



SRは間違いなくスポーティーだ

24PSしかないけど

鋼管のフレームとスイングアームだけど

スポーツの魂がある

レーシーではなくスポーティー

誰よりも早く走り切るのではなく

オートバイを工夫して走らせるおもしろさ

それはワインディングだけでなく

シティロードでもカントリーロードでも可能だ

絶対速度に縛られずに走る楽しさを感じられる

これこそがSRの個性であり魅力だ

フラットツインの独自性や趣味性をもってしても

SRは不思議な魅力でライダーの心に忍び込む

そしてそのまましっかりとそこに根付いてしまうようだ


 



このごろのその日暮らしは

あー、と思いついては

おもむろに(気になる箇所を)覗いてみる

そして、あーやっぱりか

と(不具合箇所の)手直しにかかるか

あるいはピカピカパーツたちを磨きにかかる

そんな感じだ



別に愚痴りたいんじゃなくて

激しい落胆の拠り所が欲しいから書かせてもらうのだけど(いや本当に)



誰にだって単なる見落としや見当違いならあるだろう

でもそれを生業とする者ならばどうだ

中古車販売において販売店の責任は大きいはずだ

昨日免許を取ったばかりの20歳の女の子だってお客さんになりうるのだ

重要度の高いブレーキ周りのチェックを忘れるなんてことがあるのだろうか?



実は今回購入した中古のSR

ブレーキパッドが摩耗限界を超えていた

でも

それに気付いたのは別の不具合からだった



しばらく走った後

再始動しようとするとエンジンの始動に手間取るのだ

フューエルインジェクションなので始動は容易い現行のSR

それはちょっと予想外で

そのたびに空キックを数回かましてやる必要があるのだ(ガス抜き)



プラグでも見てみるか、とプラグキャップに手を掛けたらグラリと動いた

その時は、SRの振動って強烈なんだな

こわいな、とちょっと笑ってしまったボクだった

そのまま外しにかかる

ごそごそと覗き込んでいると

今度はプラグの右斜め上に何かのケーブルがぶら下がっているのを見つけた



それはプーリーから脱落した戻し側のスロットルケーブルだった

「いやーんSRったら…こわいー」

じゃねェーんだよ

いくら振動激しくてもプーリーからケーブル外れるか?

じゃあこのプラグの緩みも怪しいな



ふいにその時ちょっと気になっていたことが脳裏に蘇った

納車の時にフロントブレーキのキャリパーがダストまみれだったことが

気になったのだ、見てないのか?と

スライドピンを抜くだけでキャリパーは外せるので

取ってみたらば「ビンゴ!」

じゃねェーんだよ

ピストン側のパッドはインジケーターの溝がほぼゼロ

ピストンもキャリパーもダストまみれ



メルカリで買ったんだっけ?

だまされちゃったー

こわい、自己責任だもん、自分がしっかりしないとね

ウソ

オートバイ屋さんで買いました



もともと嫌いじゃないから自分でせっせと手直しするんだけど

正直もうあの店にはいかないと思う

いつものテックさんに「申し訳ないけど……」と

他店購入車のメンテをお願いしてみたら

快く引き受けていただけたのがせめてもの救いか



でもSRってメンテがしやすい

キャリパーもシングルだし

タペットもIN OUT一組

部品はみんな剥き出しだし

インジェクションなので燃料ポンプが面倒かな

タンク外すのにパイプやケーブルまであるから

昨日はエアエレメントにタンポポの綿毛が残ってるの発見

いつ吸い込んだヤツやねん



なんやかんやでひと通り触ってやって

おかげでSRとの親密度はいっきに深まった

それはそれでよかったけどさ

タイヤにヒビがあるな、とか

ブレーキオイルちょっと汚いな、とか

取説もおまけ工具もないんだ、とかね

そんなのはいいんだよ

ただね

信頼関係を築く前にその気も無くなることがなんだか切ないのよ



本当はね

どうでも良いからもっとSRで走りに行きたいよ

本当にヤバいくらいかわいいやつだ

すべてが予想以上でうれしい

こんなにボクに響くオートバイなら

もっと早く出会いたかったと少し後悔している

けれど

出会うタイミングには本当に微妙な機微があり

20代や30代でSRに乗っていたら

こんなにも心惹かれなかったかもしれないとも思う

改めて数えてみたら

このSRで32台目のオートバイだった(我ながらちょっと引く数字だ)

本当にありとあらゆる種類のオートバイの果てに

SRを手に入れたことは

やはり必然だったのかもしれない

本当にこれが生涯最後のオートバイになるんだと思うけど

ボクが免許を取ったとき(1980年)にはもう販売されていたオートバイに

40年も経って最終的に出会うなんて

まるでチルチルとミチルになった気分だ

SRとボクのキャリアには不思議な縁があるのかもしれない


 



いろんな理由を考えつくもんだ

オートバイを買うためならね

モーターショーの会場で目が合った、とか

オートバイ屋の店先で「一緒に帰ろう」と云われた、とか

まあまあ大概は下らない言い訳にすぎない

もちろんそれは本人が一番理解している訳だが

けれど、何かしらの理由がそこに在ってくれれば

オートバイを買うという贅沢で無用な

それが故に付きまとう購入への後ろめたさへの

せめてもの救いになるような気がするのだ



一度はもう大きいオートバイは止めよう、などと思った時期があったのに

自分の人生の中で、オートバイが占めてきたモノの大きさに気付き

遠回りしながらも結局ボクサーツインのBMWを手に入れてしまったのだ

それはこっそり乗り始めたエストレヤへの不満から始まったのだが

もともとはR100RSやW800を処分して

年寄りはクルマだよ、とばかりに当時気に入っていたクルマを買い

どうしようもない未練から手元にはカブだけは残していた

カブを走らせるのはもちろん楽しいんだけど

とっても良く回るエンジンなので

どうしてもギャンギャン回転を上げて走らせることが多かった

それなりによく走ってはくれるんだけど

カブってそういうオートバイじゃないよね

だったら250くらいの大人しいやつならいいか、ってことになって

それでエストレヤを買った

ずいぶん前だけど木曽の山の中でエストレヤの排気音を聞いて

痺れた経験があったからだ

でも非力すぎた

最大トルク1.8kg-m

充分走るけどトラクションが足りない

使える回転域も高くて単気筒らしさは出せず

車体もとても足らない

やっぱり(最大トルク)「3」くらいはいるよなー

と漠然と感じたのを覚えている

そもそもあの性格ではのんびり走っても楽しくもなんともないし

ボク自身ものんびり走りたい訳ではない(そもそも結構飛ばす方が好きだし)

スピードをコントロールしてコーナーへ向けてリーンし

エンジンのトルクを利用してトラクションを活かしながらコーナリングしたい

誰かより速く走りたい訳ではないし

レーシングスピードでの限界性能を楽しみたい訳でもない(公道だしね)

オートバイと会話しながらオートバイを自由に操りたいだけなのだ

つまり楽しく気持ちよくスポーツ走行したいのだ



もう一度ボクサーツインを、と探し始めた時

実はツインショックの(R100)RSを考えていた

かつてモノサスから二本サスへ乗り換えた時に

そのフィーリングの違いを目の当たりにし

中速から上の力強さに惹かれていた

それと、モノサスボクサーは

将来を見据え開発されたKバイク(水冷直4)のリリースで

BMWバイクのメインストリームを外れ消え行く運命だった

けれど市場のニーズの多さに動かされたメーカーは

パフォーマンスの追及はKシリーズに任せ

ボクサーは気軽に扱えるツーリングバイクへとシフトし存続が決まった

キャブレターを絞ってパワーダウンさせたエンジン

「日常域で使いやすくなった」と

でもこれ、すごく傷つく言葉じゃない?

下手クソのためにパワー絞って使いやすくしてあげましたって聞こえる

けれどたまたまモノサスボクサーとの出会いがあり

結局それを手に入れた

実際にそれはすごく乗りやすかった

レイダウンしてストロークが伸びたリヤサスと相まって

本当に完成された性能を感じたし

何よりボクの感性がこれを認めるほど成長していたことが大きかったと思う



話を変えてTZR250

ヤマハについて書いておきたい

20代のボクの興味は

カワサキの空冷4気筒400ccを乗り継いできた後

先鋭化する2ストレプリカに移っていた

世界GPでフレディがダブルタイトルを獲るなど

ホンダも2ストに本気を見せていたが

ボク的には2ストといえばRZで

特に750キラーの異名を持つRZ350に惹かれていた



だからTZRが出た時すごく惹かれたんだけど

半面そのマジメ感あふれる外観にちょっとがっかりもしていた

フロントも16インチではないし

アンチノーズダイプフォークでもない

フロントディスクはなんとシングル(でもフローティングだけどね)

シートもしっかりアンコが入っていてひどく普通なのだ

でも結局TZRを買った

それはマイナーチェンジの時に設定された

美しいソノートヤマハのジタンブル―の外装にメロメロだったからだ



実際に走り出すとTZRは怖ろしく普通でありながら

ワインディングへ行くと本当に速かった

そしてすぐにTZRがボクの指示を待っていることに気付いた

指示をすればTZRは期待以上にそれに応えてくれるのだ

走ることが楽しいと初めて感じた

でも実際は指示待ちしてるわけではなく

入力に対する反応が人の感覚に近いというカラクリなのだ

もちろんワインディングだけでなくて

ロングツーリングもすごく得意な「レプリカ」で

ハンドリングのヤマハとすでに云われていたが

キャリアの浅いライダーにもそれはすぐに理解できるものだった

操る人間の感性に寄りそうバランス

それはヤマハのスポーツバイクに込めた魂だった



けれどバイクブームに後押しされた市場は

オートバイの本質を離れますますその性能(スペック)は先鋭化していった

ホンダの88NSRは刺激的だった

当時の大型オートバイとなら発進加速で負けないし

公道の狭いワインディングでは無敵だった

ゼロ発進でフル加速するとフロントを軽々と持ち上げ

加速Gでは身体中の血が引いていく感触がするほどだった

そのあともボクは馬力の虜になったまま歳を重ね

ZX12Rにまで行きついた

今思えば何たる無知と嘆きたくもなるが

本当はボクはもう気付いていた

TZRがボクの求めるオートバイだったのだ



軽くてコンパクトな車体

強い骨格にコントローラブルなエンジンとブレーキ

YPVSの生み出す豊かなトルクを操って立ち上がる気持ち良さ

あれがボクの理想のオートバイの姿だった

のんびりトコトコではなく

グリグリっとトラクションを感じて走りたい



次はSR400だ

SR400は燃調用ECUを搭載しながら

厳しくなる一方の排ガス騒音規制に対応していた

しかもエンジン本体や車体デザインを変えずに

SRがSRのままであり続ける開発を続けていた

正直いえばSRって興味の中心にはないオートバイだった

けれどSRの広告や記事はこの40年間途切れることなく

当たり前のように「ふーん」と眺めていた

そして2021年

翌年からのABS搭載義務にまるで反旗を翻すように

あっさりと市場から消えてしまった

ファイナルモデルは4263台も販売

「え?新車買えなくなるの?」

そう感じた人がいかに多かったかということだろう

そういうボクもその中のひとりだ

いつでもその気になれば(買える)、はもう通じない



去年の夏にSRに寄せる思いを記事にした

「SRラプソディ 忘れられぬ恋はかなわぬ恋というけれど」

あれから事あるごとにSRについて調べていた

それは、なぜヤマハがSRにこだわってきたのか、がとても気になったからだ

その中でいちばん気になったのが実は最終モデルの開発の話だった

最終のRH16Jは排ガス規制対応のためECUを大型化

それはMTシリーズと同じタイプのECUなのだ

インジェクション化のためにSRはフレームや外装にまで変更が加えられているが

それはすべてSRをSRとして残していくためだった

そしてその最新のECUを得ることによって

SRは少しサイボーグ化しているんだけど

より良い性能、のベクトルが

当然のように「より良いSRとは何か」に向けられていた

「より良いSR」とは、「SRの本質」を求めるということで

スムースでパワフル、ではないということだ

最大トルク発生を3000rpmに落とし

「日常域での使いやすさ」と嫌いなフレーズで云いまわされながら

SRは本当にSRらしく作り込まれた

今まで思っていた高回転での性能より

中速域(アクセル開度2分の1)での性能こそが

ビッグシングルの味わいなのだと云わんばかり

そしてそれは日常速度域でのスポーツ性に最も近い

2500rpmから3500rpmのトルクバンドを使って

コーナリング中に矢継ぎ早にシフトアップすれば

SRはもっとも「らしく」旋回していくのだ

これこそがボクが求めている姿に近いオートバイの筈だ

あらためて強く感じた

ぜひ乗りたい、と



という訳で

これが今回「SR400(RH16J)」をボクが買った理由だ

ヒヒヒヒヒッ
 



何となく、

今年はよい事あるごとし。

元日の朝、晴れて風無し



年が明けて元旦が穏やかに開けると

いつもこの啄木の歌を口ずさんで深呼吸する

そして本当にそうであれば良いのにな

と、少し切なくもなる

夕べ遅くに降っていた雨もすっかり上がって

空はすっきりと晴れ渡った今年の元旦

今年はどんな一年になるのかな

いやいや

今年はどんな一年にしようかな、で過ごすことにしよう



でもね

「よい事」なんて普通はあまり訪れない

第一、よい事に出会うようなそんな生活してないしね

だから毎日淡々と暮らせれば

そして毎日淡々と勤しんでいければ

他に何もいらないのだとも思う

他人ごとに期待して落胆するほど暇じゃあないし

悪いことにもたまにはお目にかかるだろう

そんな時こそいつもどおりにやれば良い

禍福は糾える縄のごときものだし

人間万事塞翁が馬なのだ

そして、とどの詰まりは

人間到る所青山あり、ということだ



さて、今年は「旅」の一年にしたい

久しぶりに北の方へ行ってみようと思う

おもむろに書棚から引っ張り出した地図は

なんと2006年版

 

仕方なく大判の一枚地図を新たに買い求めた

結局こういう全体図が一番役に立つ

ツーリングに出掛ける前に

四六時中目の隅に入れておくと

地名とその位置関係がおのずと頭に入る

実際に走りに出るとそれだけで案内標識を見れば一日走れてしまう

あとは県道(道道か)とか市町村道で面白そうなルートを探す

それを繋いでざっくりウェイポイントを決めれば十分だ

あまり決めすぎると窮屈になるし

行動がそれに縛られがちだ

道を間違える

何処にいるのかわからない

通行止めで通れない

店がやってない

寒くてやばい

温泉で変なおじさんに絡まれる

どれも、どんなことも楽しい

予想以上期待以上なんていらないし

ネットで調べたとおりなんて意味すらない

楽しさや充足感は走る距離に関係しないし比例もしない

本当は遠くへ行かなくても良いんだけど

何日も一日中オートバイのことだけ考えてる

ツーリングというそんな状況に引かれるのかもしれない



もうひとつ挙げれば

「日本100名道」かな

ボクも以前(若いころね)は走ることに意味を持たせようと

あれこれ工夫していた時期があった

「日本一周」なんていうのもありきたりだけど

やっぱり魅力的で

何をもって日本一周と定義するかは自由なんだけど

何か縛りがあった方が充実するかなと思っていた時

たまたま「日本100名道」っていう写真集が目にとまって

直感的に「これいいかも」くらいの感じで

そこに載っていたルートを走破しながら日本を回ることにした

「日本100名道」は写真家の須藤英一氏の写真集で

2002年から2013年まで内容を見直しながら3版を重ね

最近ではweb版も公開されている

柄にもないが

ボクにとってはある意味ライフワークにもなっている

今となってはもうどうでも良くなってるんだけど

折角未踏破があと20ルート位まできているので

可能な限り走破していこうと思う

でもね、さすがに残っているルートは遠方が多くて

全部埋める自信はとてもない

桜島の火山の中腹にある湯之平展望所へ向かう道なんて行けるかな?

長崎鼻も佐多岬も都井岬も行ってるのになー



という訳で取り留めもなく

年頭に当たっての所感は以上

ですね



今年初めての本格的な寒波がやってきた

北から吹き付ける強い風は凍える冷たさで

改めて冬のつらさを思い知らされる



ガレージのシャッターを上げると

クロ介(BMW R100Trad)に冬の朝陽が差し込んだ

カバーを外しタンクに掛けた毛布を剥ぐと

クロ介の金属のボディをゆっくりと解すように光が包む

左右の燃料コックを開けて

チョークを一杯に引き

セルを回す

点火の微妙な兆候を察知してそれをスロットルで掬い上げてやると

1000ccのフラットツインは容易く目覚める

真冬はこのまましばらく暖機運転する



ヘルメットをかぶりグローブをはめながら

クロ介の周りをゆっくり一周して機体をチェックしていく

ミラーやメーターの曇りやスイッチの動作

パーツの取り付き具合とか灯火の具合とか

オイル漏れ、タイヤのトレッドの様子

そんなところか

アイドリングが上がり始めたらチョークを戻して

スロットルをわずかに開けて固定する

左右一体成型のでかいクランクケースに熱が回るにはまだ時間がかかるけど

この辺りで走り出すことにする



気持ち長めにゆったりとクラッチミートさせて発進

1速を少し引っ張ってガスを抜いてやる

シフトアップして2速

3500rpm 60km/h

しっかりと着込んだはずのウエアでもどこかから冷気が忍び込んで

その寒さで体に思わず力が入るのか

体中の関節がぎこちなく

ポジションがなんとなくしっくりこない

冬の「あるある」だ

自宅周辺の脇道から県道との合流点で

まだ怪しいエンジンをストールさせないように

スロットルに少しテンションをかけながら停止する

合流して3速までシフトアップ

エンジンの音は明らかに軽く滑らかになり

クロ介からもようやく「GO」サインが出る



緩やかだけど深いコーナーが左右に連続するいつもの場所

目線の移動だけでゆったりとリーンをはじめ

外足を支点にして内側に荷重を強め

フロントの舵が追従する感覚を確かめる

切り返しのタイミングで内足のステップに荷重して車体を起こしながら

それをそのまま支点にして反対側へリーン

これが無意識でできていれば問題ない

国道へ出るまでに他にもまだルーティーンがある

一旦停止からの左折

一旦停止からの右折

低速でのクランク(国道の側道が下をくぐっている箇所だ)

国道に合流してからの素早い加速

などなど

その一つ一つを試すのがとても楽しい



いつもの散歩コースはこの国道を少し走ったあと

3桁の国道に分岐して山に入っていく

峠が2か所

高速巡行できるエリアが3か所

山に入ると信号はほぼ無いし

いつも行く「涼風の里」までは約50kmあるけど

所要時間は50分くらいかな



おんなじ道を走っていてもその日によって感じることは違う

景色の事じゃなくて

オートバイと自分のことだ

何処へ行くのかとか

何を喰おうかとか

誰と行こうか

そんなことよりオートバイとのコミュニケーションばかり考えている

そしてそれが何より楽しい

コンビニまでカブを走らせても

ツアラーで九州まで一気に走り通しても

その楽しさは全く変わらないし

そして

初めて友達のオートバイのスロットルをブリッピングした16の時と

(その時のボクの顔を見て友達は「オマエ、オートバイにきっと乗るぞ」と云った)

何十台ものオートバイを乗り継いで

何万キロも日本中を走り回った今も

オートバイに対するときめきがまったく変化していない

大声で叫びたいぐらい

オートバイが好きだ

ただそれだけだ



天気予報ではあんまり良さそうなことは云ってなかったけど

なかなかどうしての快晴だった

風も無くて今年最後のクロ介との散歩は楽しかった

山はすっかり枯れ果てて

木々の尖った枝先がツンツンと真っ青な冬の空を突き刺す

それでもどの枝にもしっかりと春に芽を吹く蕾がびっしり付いて

なんだかその生命力がとっても頼もしく見えた



椅子を広げてコーヒーを淹れ

のんびりと風景たちを眺める

枝から枝へエナガの群れが飛び回る

皆一様にチュビチュビとうるさく囀って

ボクの頭の上をあちらからこちら

そしてまたこちらからあちらへと忙しない

けれどその小さな体に似合わぬ程の長い尾を上下に振って

器用にバランスをとる姿がとても愛らしい

「君たちはここで冬をやり過ごすんだね」



今日ここへ来るあいだも

きのう降ったのか雪が残っていたし

一日中陽の当らない山陰は道路が湿って黒くなっていた

気を付ければおそらくこの辺りなら真冬でも入れるのかもしれないけれど

凍結の不安を抱えたままでは全く楽しめないので

1月、2月は山へ向かわないことにしている

だから「涼風詣で」も今日が今年最後になるだろう

その分少し感傷的な気分で山や川を眺めた

先日も書いたとおり

もう来年が当たり前にくる年齢ではない

もちろんわかっている

死ぬことより生きることをこそ考えるべきだ

明日が来ないと分かってもそれは明日にならなければ分からない

明日、何して遊ぼうかな?

それの繰り返しが人の営みだ



クロ介を手元に置いて丸3年がたった

10年以上店頭に放置(展示?)されていた車両なので

徐々に不具合をつぶしながら機械としての信頼を深めていった期間だった

それとそれまで乗っていたR1150RTを売却して

自分自身が長距離のライディングから遠ざかっていたこと

壮年期に入って明らかに身体機能が落ちている自覚があることなど

乗り手のリハビリとリビルドが必要だったこともあって

ロングツーリングをあえて控えていた

けれど500kmを超えるようなツーリングも

以前のように

というかそれ以上に

こなせるだけの技術とフィジカルとメンタルが

身に付いてきたように感じている

なので、来シーズンからはもう少しいろいろなところへ走りに行きたい

来年クロ介と遠乗りすることを楽しみにしている



今年もたくさんの人に読んでいただきとても感謝しています

歳を重ねた分いろいろと感じるところも多くなって

よせばいいのにあれこれ悪態をついてばかりで......

けれど正直な気持ちなのでそこに少しでも何か感じていただければと

このブログにもいつまでも蹴りがつけられないのかもしれません

オートバイという不思議な乗り物が

なぜだかボクの心と響き合うその感覚を

同じように響く人たちに感じてもらえれば

というのが原点です

いまはまだとてもそんな実感がないので

もう少し続けさせてもらえればと思っています



ということで来年もまだまだ走るよ

そしていつかどこかの路上で

良いお年をお迎えください