里に秋が下りる頃

昨日まで晩秋の低い日差しに透けて輝いていた櫨の真っ赤な葉が

今日は色を失って枯れていた



一日中強く吹き荒れる木枯らしに葉っぱたちはひとたまりもなく

抱かれる、というより無残に風に舞い散っていく

もうこうなるとボクには何の太刀打ちも出来ない

冷たい冬がゆっくりと確実に

里に根付くのをただただ受け入れるしかない



ジョウビタキの姿を庭に見つけると冬の訪れは確実で

羽根がキレイなかわいい小鳥なのに

「もう来たのかい?」

とちょっと悪態もつきたくなるのだ

そして深い溜息とともに

山へ踏み込めるのも今日が最後かもしれないと強く感じる

そう思う焦りからか晴れた日には時間を惜しんであちこち走り回るのだが

その度に逆に寂しさも込み上げる始末だ



もうこの歳になると

死がいつも隣に佇んでいるような気配を感じる

決して死ぬことを恐れているわけではないし

もちろん若くして死ぬ人もいるのだから年齢は関係ないのだろうが

老いたこの身に晩秋の寂寥感は一層切なくて

遠い春を想いながらそこには以前のような呑気さはなく

ただただ一人去り行く人の定めが寂しいのだ

そしてそのことで胸が詰まる思いがする

「今年もありがとう」

そして

「来年もまた会いたいね」

と馴染みある風景たちにつぶやくが強い北風がそれをすぐにかき消してしまう

それはまるで叶わぬ願いのように



久しぶりに走った静岡県県道9号線(天竜東栄線)は印象的だった

熊へはいつも渋川を通っていくことが多いので

天竜川の支流「阿多古川」に沿って進むこの県道を走るのは

実は初めてだったかもしれない



9号線はさすがの一桁で

最奥の熊の集落までかなり整備状況が良い

川沿いのこのルートはやはりボク好みの屈曲具合で

直線がほぼなく

曲線と曲線が美しくつながって飽きない

阿多古川の流れは澄んで美しく

沿道の町並みには昭和の風情が強い

特に西阿多古川との分岐点の集落は街道の宿場のような佇まいで

またゆっくり訪ねたいと思わせる印象があった

今回はその先、長沢地区辺りで道路陥没のため9号線が不通になっていたが

迂回に案内されたルートが思わぬルートでとても楽しかった





急な斜面を一気に駆け上ると茶畑が広がって

眼下の谷に西阿多古川が流れ下る

谷の向こう側の斜面にも張り付くように集落が散見され

空に近い山村はとても明るく静かだった

迂回に30分くらい取られたけど

それは次々現れる美しい眺めにボクがオートバイをいちいち止めていたからで

むしろ次もこっちを選んで走っちゃうかもな

なんて一人でほくそ笑んでいた



その後立ち寄った道の駅「くんま水車の里」の熊かあさんの店で

久しぶりに素朴な蕎麦を喰った

旨かった





奥三河にもマイナーな快走路がある

国道や県道を挟んで田口から足助までつながっている





ただしこの路線のアップダウンは半端なくて

2ストだと焼き付くんじゃないかと思うくらいに下りが連続したりする

最近ではWRCのSSコースとしてメジャーになりつつあるので

今後は通行量も増えそうだ

沿道にカエデが植えられた箇所が多く

紅葉の季節はとてもきれい

でもせせらぎ街道じゃないけどここもワインディングがいちばん

まだ行けるかなと思って行ってみたら

その日は路面がかなり濡れていて微妙な感じだった

冬になると一日中日陰の部分もあるのでなんだかちょっと興奮する

おまけにカエデの落ち葉が積もっていて楽しさ倍増だ

この状態で冷え込んだらもう走りたくはないけど

やっぱり今年は終わりなんだね





「今日は晴れて温かくなるでしょう」

と気象予報士が口を揃えるある日

散歩くらいの気持ちで涼風まで走った

作手へ出ると一転空には雲が広がって

ヘルメットのシールドにポツポツと雨滴が当たり出す

湿った空に寒気が忍び込むと空は時雨る

決してザーッとはならないけれど

地味にポツポツと降り続けやがてすべてが濡れる

今日はそんな雨だ





建物の際にクロ介を停めて

ボクは軒の中に入らせてもらう

雨の止み待ちでボーっとするのは嫌いじゃない

クロ介は細かい雨に打たれ続けている

風が出るとイヤだななんて考えながら

湯でも沸かしますか

とアルストを引っ張り出す



アルストの火に手をかざしぼんやりしてると

ついつい、いろいろなことを考えてしまう

地球のどこかでは戦争が止まらず

金持ちの権力者たちが金に執着し続ける

何がどう進化しても

何がどう変化しても

人間自体は怖ろしいくらい人間であり続けるようだ



それなのに最近引っかかる言葉がある

「今はもう時代が変わった」ってヤツだ

時代が変わるとは単に時間の経過という意味ではないのは明らかなので

その時代を生きる人間とその社会が変わったと云いたいのだろう

でもね人間がそう短い間に変わってしまうものかな

変わったなんて勘違いの言い訳だろうよ

楽しんで野球をやったチームが優勝したかもしれないが

楽しんで野球をやって一回戦で負けるチームもあっただろう

楽しんで野球をやっていいプレーが出来た選手もいたかもしれないが

楽しんで野球をやってレギュラーになれなかった選手もいただろう

本当にみんなが変わったのか

いやいや

取り残されるヤツはいつも同じ

それこそ「頑固者だけが悲しい思い」をするのだ

残された時間が少ないと感じるせいか

この頃この思いが頭から離れない

人間なんてボクが知る限り何も変わっていないと感じる

むしろさらにボンヤリとして腐敗しているように見える





どんなに道が改良されても

どんなにオートバイが進化しても

いつもの峠道

いつもの集落

いつもの山々

あそこの窪みも

どこそこの段差も

ここの水たまりも

この身体が覚えている



動く物質としてのヒトの存在意味はおそらく不明だ

偶然と必然の境界線上をただただ変化してきたにすぎない

けれど意識を持った物質としての人間の存在の意味は考えざるを得ない

そしてその命の意味を後世に正しく伝えられないのなら

その文明は間違った方向へ向かっているのだ

おのれの楽しみもいいだろう

ただその命は父や母をはじめ多くの先人たちから託されたもの

そしてこの自分が次の世代へ繋いでいくものだ

もちろん生命に限った話ではない

時代などそう簡単に変わってたまるものか

と、北風の中コーヒーを啜るおっさん

まったく季節外れの五月蠅い頑固者だ


 



性格というものは後天的なモノだというのが一般的な見方だが

当の本人にとってはそんなのハナハだ迷惑な話だ

先祖の誰それからの悪い遺伝に相違ないさ

そんな風に思えられれば気も楽だろうに

それがまさか

こんなにもイヤな性分が自分自身で作り上げたモノだったなんて

まさに悪い冗談くらいにしか思えなかったりする

「性格」と云うだけあって頑固に凝り固まっていて

自分ではもはやどうすることも出来ない状態だから

逆に「ひとごと」のように感じるという部分もある

そう云えば

毎日の晩酌の当てに刺身の二切れ三切れが決まりだったボクのジィさんは

台風なんかでバァちゃんが買いモンに出られなくても

食卓に刺身が無いと信じられないくらい不機嫌になるような人だった

イヤなジジィだなとその時は思っていたけど

実はジィさんもそんな自分のダメさ加減を分かっていたのかもしれない

そんな風には考えられないだろうか?

まぁ実際それを自分で反省していたかどうかは知らんけど

この頃、あんたジィさんに似て来たね

なんて云われると実はちょっとうれしかったりする

もちろん自分勝手で我が儘がうれしいのではなく

やはり性格は「後天的」なモノではなく「先天的」なモノなんだとホッとするからだ



知ってのとおりボクの性格は相当な天邪鬼

自分自ら後天的に作り上げた恐るべき性格だ

そしてそんなボクは毎年この時期になるとちょっとワクワクしている

それは色付いた葉っぱをすっかりふるい落として

ひと気のなくなった「せせらぎ街道」を走るのが大好きだからだ

この恐ろしく悪趣味な考えに取り憑かれて20年位になるか

実際、毎年のようにせっせと通い詰めている

そもそもこんなカタチで人に読ませるモノとしては

どうなんだろう、と自分でも思うけど

でもね

ボクはこれを世界中の天邪鬼という少数派に向けて書いているのだ

ニヒリストやペシミストでもシニシズムの人なんていうのも大歓迎

いつも世の中の境界線上に立ってモノ事を見ている感じなんだけど

どんなモノでもどっちかに振り切れると真逆に見えることがあるじゃない?

西へ西へと進んでいるつもりでも

ある人には東から来た人と思われる

それだ!

真面目に!真摯に!懸命に!

そう有り続けようとするとなんだか世界からは

天邪鬼に見えている

と、回りくどい言い訳をしたけど

早い話、ひねくれものってことだ

(本当はちょっと違うし、本人もそうは思ってないけどね)

あなたが天邪鬼であることをせめて祈ろう



ただ紅葉が終わったせせらぎ街道へ行くには

少しばかりコツがいるのだ

美しく色付いた葉っぱたちがすっかり枯れ落ちてしまって

足元に茶色く降り積もる頃

峠(西ウレ峠1121m)はもう氷点下まで気温を下げるのだ

明け方には霜も降りて

それが朝日に当たって融けると

街道を一面ぐっしょりと湿らせてしまう

おかげで日陰の道路は日中になっても乾かず

そのまま夜を迎えると凍結なんてこともある

アメダスで近辺の観測点「六厩(標高1015m)」を見ると

すでに最低気温は―5℃くらいと出ている

しかも午後10時くらいから氷点下へ落ち始めて

日の出前に最低気温の―5℃まで達し

そして9時を回る頃(谷に陽が差す頃)にようやく

気温が上がってくるような感じだ

だから気候の進み具合はよく見極める必要がある

それともうひとつ

今年は太陰太陽暦(旧暦)では2月に閏月が入る年回りなので

新暦の感覚では全体的に季節感に齟齬を感じる

中秋が9月の末だったことを思い出せばわかるが

2週間ぐらいのずれ込みがあるだろうから

せせらぎ街道はまだ紅葉が終わり切っていないかもしれないのだ

いやいや、それって悪い事か?

と自分にツッコミを入れてみる



去年の日記を見ると

フリースベストとウルトラライトダウンで暑いとある

今年は同じ服装でちょうどよさそうだ

念のため丹田にカイロを張り付けておく

結果、これは大正解だった



「高速に乗って北へ向かう」

歌の詞みたいだなと考えながら

同時にヒザ小僧が冷たいなとも考えている

けれどクロ介(BMW R100改RS)の大きなカウリングに潜り込んで

冷たい晩秋の空気を切り裂いて走るのは

まさに至福の瞬間なのだ

だから単に天邪鬼と云うだけでこんな季節に

わざわざ紅葉の時期を外してまでせせらぎ街道へ行く訳ではない

この季節がコイツ(クロ介)との一体感を得るのに重要なのだ

スクリーンの前方には今年も岐阜の山々が美しく見渡せる

遥か白山の雄大な山容はすっぽりと雪に覆われ

御嶽、木曽山脈は肩から上に綿帽子

恵那山も山頂付近の谷筋が白く光っている

もうこのパノラマを見るだけで十分なんだけど

それでもクロ介の快調さに気を良くして

肩をすぼめてカウルにすっぽりと身体を潜らせ

さらに北へ進む





クロ介との一体感を楽しむうちに程なく郡上八幡に達する

下へ降りてみると案外国道471号線へ向かうクルマが多いと気付く

そうか、まだ紅葉終わってないんだな

と、ちょっとガッカリしながら

仕方ないさと自分をなだめて車列に加わる

それでもさほど流れが遅くなることもなく順調に明宝を通過する

どうやら紅葉もこの辺りまでのようで

道の駅にはクルマが一杯だ

その先はクルマもやや減り中央線も破線

坂本トンネルの入り口から山を見上げると一面のススキが穂を光らせていた

峠を越えると季節は一気に進み

ボクの大好きな晩秋のせせらぎ街道が待っていた

非力なクロ介に鞭を叩き入れ

渓流沿いのダイナミックなワインディングを駆け上がる

ビギナーを受け流し

リターンをちぎり捨て

マスをなぎ倒して

気付けば西ウレ峠

ウェットは残るが葉っぱはみんな落ちてしまって

せせらぎ街道はクリアラップだった





峠の気温表示は「5℃」

寒いし腹も減ったので昼メシにする

まぁゆっくりこの雰囲気を味わっていたいというだけだがね





傍らをザワザワと音を立てるせせらぎ

それに乗って無数の落ち葉が次々と流れ下っていく

せわしく流れる雲がときおり日差しを遮るけど

地表には風もなく

とても穏やかな晩秋の眺めだ

♪こぎつね コンコン 山のなか~ 山のなか~♪

と、呑気にひとり口ずさみながら湯が沸くのを待つ

カップヌードル(またかよ!)買ったつもりが

カップニャードルだった

でもね、味は全く一緒だったよー





小一時間のんびりした後

まだまだ続く谷筋のワインディングを走る

今年は交通量がほぼなくて

(たとえあっても地元民は超速い)

久しぶりにスタンド擦りまくったよ

途中、巣野俣あたりの橋上に塩カルが積もるほど撒かれていて焦る

やっぱりもう凍結するんだね

いやー

それでも本当にせせらぎ街道は最高に楽しい



国道158号線に合流すると終わった感に支配される

あとは帰るだけ

なんだけど

高山市街の背後に聳える雪を被った北アと乗鞍の峰々が視界に広がる

その光景はまるで街全体が巨大な伽藍になったような荘厳さがある

こんな風景が日常にあるなんて相当うらやましい

けど地元の人はきっと見慣れてるからどうだろう

でも冷え込んだ朝

一夜で雪化粧した山並みにはやっぱり、はっとするんじゃないかな

飛騨・木曽の景色も格別だ



高山から何のひねりもなく国道41を南下

そう云えば去年気付いて忘れたけど

宮峠にズドーンとトンネル開いてた

長い長いトンネルでジワジワ高度を上げて久々野に出る

災害も事故も多い41号線の改良は進んでいる



クロ介の大きな真っ黒カウル

潜り込んだ身体の縁をかすめていく冷たい風

今年もそろそろ終わりかな



昨夜の雨でたっぷりと湿った土から

甘い芳香臭が漂ってくる

頬を撫でて吹き過ぎる風とてやや冷たくもあるが

今年はいつまでも温かく

昼は過ごしやすい秋だ



ところどころに残る雲は見る間に姿を変化させて

上空にはまだ水蒸気が多いと教えてくれる

それでも晴れ上がった空の色はすっきりと青く

その中に柿の実の橙が鮮やかに映った



のんびりとアルコールストーブで湯を沸かし珈琲を淹れる

背後の桜の枝ではさっきから百舌鳥が甲高いさえずりを上げている

子育て真っ最中のカラスたちが集まってはガーガー喚く

月見バーガーも三角チョコパイもいらないけど

やっぱり秋は格別だ



それよりも程なく訪れる容赦ない冬を前に

夏を過ごした枝を離れ

地上へ舞い降り

やがて土へと還っていく夥しい葉っぱたちばかりが目に映る

まだ色や艶を残すものもあれば

葉脈だけを残して朽ちてしまったものまで

数えきれない落ち葉が秋を覆いつくしていく

冷たい雨が上がると強い北の風が吹きつけて

さらに多くの葉っぱが降る

今日ここへ来る間の山道にもどっさりと落ち葉が降り積もっていた

枝を離れて舞い落ちるとき

葉っぱは何を思うのだろう



日本独特の美意識とは云うまでもなく

「侘び」と「寂び」だ



「侘び」とはやはり「侘しい」からきているのだろうか

―――更けゆく秋の夜 旅の空に 侘しき思いにひとり悩む

と唄えば、侘しさとは目的を達することの叶わなかった失意を表す

もともと「侘び」とはこのような厭われる状態を指す言葉だった

しかしやがてこの不十分な有様の中に美を見出す向きが現れ

不足の美へと高められていった

概念自体は万葉集の中にも見られるそうだが

室町から江戸にかけて茶の湯の精神を支える柱として

徐々に定着し完成されていった



また「寂び」とは

モノが時間の経過によって朽ちていく様から

切なさや心細さを感じる「寂れる」「寂しい」からきている

しかし寂れたモノの内部にある本質が

いつしか外部にまで滲み出している様を見出し

老いて枯れたモノと豊かで華麗なモノという相反するものが

ひとつの世界で相互に引き合い作用するという新しい美意識になった



現代に至るまでの日本の庶民生活の物質的な貧しさが

根底にあるような気もする

ましてや室町時代には戦乱が全国に広がり

武士たちが各地で暴れまわった

何も思いどおりにならず

挙句に理不尽な扱いを受け

困窮を極める生活は精神的にも相当きつかったはずだ

それでも懸命に生きていた日本人に生まれた美意識

それがこんなにも豊かな現代のボクにも根付いている



長野と群馬の県境

長野県県道112号線の最果て

「毛無峠」の風景が記憶から離れないのは

あの寂れた景観に美しさを感じているからだ

本当に何もない

まして人間の開発で自然すら失われたあの峠が

魂を鷲掴みにしてワサワサと揺さぶってくる



誰にも会わない山奥の林道でもこんな経験をする

ふとエンジンを止めてヘルメットを脱ぎ

ただただそこにある空気を感じているのだ

それは自分だけの特別な時間



秋が訪れ枯れゆく山里の景色に侘びを感じるか

それを物質的な現代性や富裕感が全く存在しない

欠損した貧しい様と見るか

精神性の高さと云うと気恥ずかしいしバカっぽいけど

ある領域にまで到達していないと持てない感覚だ

それは積み重ねた高みではなく

削ぎ落とした深み

見れば見るほど

知れば知るほど

精神は研ぎ澄まされていくはずだが

それはいくら金を積み上げても決して得られない

金持ちには金持ちなりに

貧乏人には貧乏人なりに

利口でも阿呆でも

そういう一面的なことではなく

自分自身でものを考えないと見えてこない本質がある

50や60になって生きることに飽きるくらいがちょうど良いのだ

テレビの中で長生きの秘訣を聞かれたある婆ちゃんがこう答えた

「生きてるってより、死んでないだけだ」

「侘び」を体現した「寂び」そのものだ

あんな風に生きていたいもんだ

まあ、それ中国人の婆様なんだけどね



空冷フィンの美しいトーンを掌でなぞりながら

クロ介(BMW R100TRAD)にも「寂び」を感じる

いやいや

ただちょっと古臭いだけか

もう少し、秋




この季節、午後も4時を回れば

頼りなげな秋の日差しはすでに西の山の端にかかり

その反対側には長い影を作り出す

飯田からずっとワインディングを走り抜け

ようやくいつもの我がベースキャンプ「涼風の里」にたどり着いた

多分タイヤの空気圧が低い

急に寒くなったのに確認を怠っていた

いや、後回しにしていて忘れたのだ

せっかくの山道なのに

オートバイの動きと自分の感覚との間にわずかな齟齬があった

その所為でいつもより余計に疲れていた

タイヤの空気圧は走りに直結する

バンキングに合わせてフロントタイヤがリニアに反応する従順さが消え

結果的にオーバースピードで進入してしまったかのような反応だった

これでは全くオートバイを信用できない

疲れはその所為だ

それはつまり空気圧の所為だから結局はボクの所為か



この時刻の「涼風」はひと気がなくとても静かだ

日本製の空冷エンジンはエンジンを切った後

しばらく「キンキン」とか「パキン」とか癒しの音を発するが

このドイツ製の空冷エンジンは何も云わない

エンジンの材質の違いなのか

少し冷えてきた夕刻の風の中

ボクとクロ介の影が長く伸びていた



今日は飯田の大平宿に行ってきた

まあ、ボクにとっての定番のルート(行き付けの行き先)

特に秋になると走りに行くことが多い

厄介なのは少しでも時季を逸すると

この県道8号線「大平街道」はすべてが落ち葉に埋もれてしまうことか

しかもその上に流れ込んだ冷気が時雨を降らせ

その時雨に深く積もった落ち葉は満遍なくしっとり濡れそぼつ

県道8号線は南木曽から飯田まで約30kmあるが

そのすべてが濡れ落ち葉で埋め尽くされてしまうのだ



大袈裟でなくこれにはかなり参る

参るのだがイヤではない

落ち葉の層が厚くてタイヤで踏み分けられないほどだが

もちろん雪や氷のようには滑らない

握り込むときの「ガツン」にさえ気をつければ

制動力自体はかなり効かせられるが

制動距離は確実に長くなる

ABS?

あ、そう

でもね、こんなこと書いといて云うのもなんだけど

今年は文字どおりの秋晴れに恵まれた

紅葉一歩手前で落葉も少なくライン上にはほぼ葉っぱは無かった




何度も走りに来ているけど

「晴れ」は初めてかもしれない

だからとても新鮮だった

秋分から1か月過ぎ

さらに高度を下げた秋の太陽が南側の斜面の木々の葉に透けて輝き

ときおり真っ赤に色付いた葉っぱもあったりして

林の中をクネクネと進むこの街道はとても美しい





峠まで進めば紅葉も盛りで

大きな林になったカラマツが針みたいな葉っぱを盛んに降らせていた

走っている時それが顔にあたるとチクッと少し痛いけど

それは秋を感じるうれしい感触だ





「大平宿」にクロ介を停めて宿場の中を散歩した

江戸時代の中頃に妻籠へ直接抜ける街道として

麓の飯田藩が開いたのが大平街道だ



大平宿は飯田峠と大平峠(木曽峠)の間の高原にある

木地師(木工職人)や穀物商が移住し開拓がはじまった

炭焼きなどの林業や穀物流通で生計を立てていたそうだ

街道自体は明治以降まで利用が続いたが

産業革命が進むうちに鉄道・自動車が人の移動や物流の中心となり

電気やガスなどへのエネルギー需要の変化も重なり

街道の利用者が激減

宿場の産業も衰退し

ついに昭和45年、住民の総意により集団移住が決定した

そしてその年の雪が降り出すころには廃村となった

取り壊す暇もなく退去した家屋がそのまま残り

令和の今も有志やNPOにより保存管理されている




そのお陰でこんな奇跡のような情景を

21世紀のボクらが目の当たりにできるというわけだ

残された家屋は屋根勾配の緩い切妻屋根が特徴だが

板葺きの屋根板に石を置いて止めた「石置き屋根」

二階部を迫り出させて軒を作る「せがい造り」など

妻籠や奈良井にもみられる宿場の風情もあわせもっている

街道に面したせがい造りの軒で

強い日差しや雨を避けて休む旅人が今でも見えるようだ





宿場は平日ということもあって人影もなく

高く聳える木々が風にざわめく音と

足元を勢いよく流れる水の音だけが響く

木陰の石くれに腰を下ろして

しばらくそんな宿場を眺めていた




かつてここで暮らした人々はどんなだったのだろうか

もしボクがその時代にここで暮らしていたら

いったいどんな感じなんだろう

あれこれいろいろ考えてみるが正直全く実感が湧かない



日本全体がそうであったように

みな貧しく、生きていくことは苦難の連続だっただろう

冬の厳しさは云うに及ばず

日々の暮らしに遊興など無縁で

今の尺度で云えば何が楽しくて暮らしていたのか

などと単純に憐憫の情がわく

けれどいつも思うけど

かわいそうだと思うヤツの方がかわいそうなんだよ

当時のひとも日々の暮らしに追われていたに違いない

それでもきっと活き活きとその時代を生きていたはずなのだ

100年経つだけでその頃の人たちの感情を理解できないなんて

人間とはなんと浅はかな生き物なんだろう

衣食住に満たされた現在の社会や暮らしは

間違いなくこの頃の人々の努力と辛抱によって培われたものだ

日々の暮らしや生業が人の中心にあるこの社会に比べると

ボクたちのなんと贅沢なことよ

逆にボクたちの暮らしがなんだかちょっとバカみたいにもみえる

近頃流行る多様な価値観とか人間にはまだ早すぎる概念だ

向上心に至ってはモノを買い込むことに成り下がっている

より良い暮らしとは何なのか

より良い社会とは何なのか

生きること、生活することが中心にない社会は

贅沢で豊かであっても脆弱で貧しいものに感じる



皆で無事に正月を迎えたり

吹雪が止んで日が差したり

雪が解けて麓から人が上ってきたり

ツバメが今年もやってきたり

山仕事の疲れを冷たい湧き水で癒したり

実った柿を家族で分けたり

冬に備えて薪割りに明け暮れたり

そして

家族に子が生まれ

その子が無事に成人し

新たな所帯を持ち

それを支えた者たちが去っていく



夢を見ることは人の性かもしれないけど

足るを知ることは人の知恵だということを

忘れないように生きていきたい

ぼんやりとボクはそんなことを考えていた
 



いつまでも暑いねェ

なんて云ってるうちが華で

そのうちにちょっとでも寒さが見え始めると

なぜかふと寂しくなってしまうことがある

それはやはりボクが日本人だからなのかな

奥山に紅葉踏み分け……云々などと

猿丸大夫の歌を持ち出すまでもなく

この風土に生きる者に与えられた特別の情動なのだろうか

このごろは陽だまりに動く蟻の姿も少なく

その動きもやや心許ない

ひと雨ごとにますます秋は深まりゆき

野辺に咲き残る曼殊沙華を見つけては少しホッとするこの頃だ

クローゼットの衣類も入れ替えが済んで

厚手の毛布をベランダに干した朝

クロ介(BMW R100)と共に高速の人となった



現行ボクサーがどうかは知らないけど

そもそもこのエンジンはオイルの消費が激しい

クロ介はその中でもことさらの消費量で

1000kmも走れば1リットルは消費してしまう

マニュアルには100kmで100mlと表記があるので

そういうものなのだろう

けれど今までの乗った3台のボクサーたちに比べると

だいたい倍くらい消費するイメージだ

おそらく慣らし段階での回し方なんかが

影響してるんじゃないかなと考えているがどうなんだろう

まあマニュアルどおりなのだから許容範囲

けれどその記述どおり給油2回ごとのオイルチェックは必須になった

ボクサーと付き合う基本中の基本はこのオイルレベルチェックだ

空冷ポルシェも高速のサービスエリアでオイル入れてる人見かける

助手席の彼女が不機嫌そうな顔で待つけど

彼氏はゆっくりとリアゲートを開けてニヤニヤしている

いかにもエンスージアスト

ディップスティックの上限と下限が約800ccなので

走行が500km超える日は注意がいる

1000km越えなら間違いなくオイル缶携行なのだよ

カッコいいだろ、でもないか



こないだ南アルプス公園線に行った後

オイルを600cc補給した

ついでにギアオイルのレベルもチェック

スロットルの動きが渋くなってきたのでグリスを塗り替えた

そして

今日何より調子良いのは「エンジン」だ

冷たくなった秋の空気をシリンダー一杯に吸い込んで

クロ介のエンジンは驚くほど気持ちよく回った

一発一発の爆発のツブがキレイに揃ったようなイメージで

スロットルの操作にストレスなく反応する

久しぶりにレブリミットまで回してやったけど

不快な振動も出ずよく回る

最高だ クロ介!



早朝の東海北陸道は空気がひんやりとしていた

ひとつトンネルを抜けるたびに高度を上げ

またひとつトンネルを抜けるたびに気温を下げる

結構着込んできたつもりだけど脇腹の背中側が冷える

瓢ヶ岳PA(難読のPA)で休憩ついでに

ヒートテックのインナーの裾をパンツにインする

これでお腹の冷えはかなり改善するよ

ポットの熱い緑茶をふた口

これでかなり温まった

高速道路最高点PA(1085m)の松ノ木を過ぎると

高山市街へ向けて急激に高度を下げていく

長いトンネルを抜けると空一面雲に覆われさらに肌寒い

高山市街は気温9℃

これは結構クル寒さ

この後高度を上げるからどうなることかと思っていたが

意外にも高山が一番寒くてその後はそうでもなかった

平湯に向けて国道158号線を進むと

朴ノ木平の辺りで雲が取れきれいに晴れてくれた





平湯で給油の後バスターミナルを抜けて

安房峠へ向かった

僕らがまだ若い頃は夏になると

この険しい峠道を何台ものバスが連なって上高地へと向かった

今改めて走るとそんな情景が信じられないくらい細い道だ

昔の人たちは運転が旨かったね(クルマも小さかったけどね)

乗鞍スカイラインも乗鞍エコーラインも

そして旧釜トンネルも何度かオートバイで走った

いい時代だった

釜トンネルの中での渋滞はさながら地獄で二度と御免だが

乗鞍へ裏から登るエコーラインはお気に入りでよく通った

真っ暗な夜中に走ったこともあったな

途中でオートバイを止めエンジンを切ると辺りは真っ暗

物凄い数の星を見上げながらまるで宇宙の中に一人いるようだった





峠へ向かう道は少し紅葉が始まっていてとても綺麗だった

美しい情景に出くわすたびにオートバイを止め

そしてまた見覚えのある情景に出会うたび

オートバイを止めてしまう

こんな調子でゆるゆると峠へ上り詰めていった

そしてようやくたどり着いた安房峠では穂高の山並みが迎えてくれた

澄んだ秋の空にギザギザの稜線を張り上げ少し雪も見える

初めてここを越えた日に

40年後またここへオートバイで来ることになるとは

もちろん全く思いもしなかった

けれど今となって考えれば

こんな景色を経験した者がそれを忘れる訳がないのだ

まさにこのカラダに残る記憶なのだろうと思う





国道158号線は飛騨と信州をつなぐ重要なルートなので

トンネルができた今でも整備状況はかなりいい

峠を越えたあと上高地側へ何度も向きを変えながら下っていくが

ヘアピンの部分にまだ以前のままコンクリート舗装が残る



大型車が頻繁に行き来していたからこのコンクリートなんだと思うけど

今では水捌け用に入れられた溝から痛みが相当進んでいる

表面にアスファルトを被せて補修された箇所も多いが

このコンクリート舗装を目にするたび懐かしさがこみ上げる

かつてはこの峠越えにかなり時間がかかった印象だったけど

行き交うクルマもほぼなくなった今では案外あっさりと越えてしまう

谷に充満する硫黄の匂いに「温泉」の二文字が頭に充満するが

中の湯の看板に惹かれながら先を急ぐ

今日はもう一つ峠を越えるのだ





梓川の深い渓谷に沿って進む国道は

上高地へのアクセスルートなので交通量も多い

トンネルがやや小さくて大型同士の離合は徐行が必要な場面もある

それに以前はナトリウムランプの照明が薄暗くて

オートバイだと舗装の穴ぼこや漏水が気になるところだった

今回初めて気づいたのだけれど

照明がすべて白色のLEDに変わっていた

この前ここを走った時には気付かなかったけど

いつから変わったのかな

ナトリウムランプのオレンジ色はノスタルジックで好きだけど

明るいトンネルは間違いなく安全だ



奈川渡ダムから県道26号線「新野麦街道」へ分かれる

このまま木祖(藪原)まで出られる快走路だけど

乗鞍をもっと見たくて野麦峠を越える

相変わらず天気がいい

野麦峠へ近付くとやはり風が出始めた

なぜかあそこは風が強いね

そろそろ昼でも取ろうかと考えているが

寒すぎてあそこでまともに休憩できたことがないのだ



峠へ近付くと木々の色付きが進んでいた

もう秋が深い

着くなり乗鞍の荒々しい雄姿が目の当たりにできた

風はいつもよりは弱そうだ

何より日差しが温かい

ここで少しのんびりする



それにしても家の中から感じる秋と

実際にその真っただ中で感じる秋は

全く印象が異なるものだとよく分かった

家の中から見る秋は、なぜか物悲しいのに

実際に秋の中に身を置くと実に清々しく心安らかなのだ

ひとはやはりアタマで生きてはダメだね

アタマの知らない(言語化できない)カラダの感覚があるのだ

どうしてもひとは意識こそが自分自身だと捉えがちだから

たまにはアタマを空っぽにしてカラダに自分を委ねるほうがいい

今日はそれが良く分かった



かなり前に信州を訪ねた帰りにここへ寄って

今は閉められてしまった野麦峠の館を見学したことがある

来館者も他になくて管理人さんが直に案内してくださった

印象的だったのは

野麦峠と云うと映画の「ああ野麦峠」のイメージが強すぎて

いたいけな少女たちの悲しい歴史と受け止められているが

彼女たちの悲しい記憶だけでなく

家族のために前向きにいきいきと働いていた闊達な人生も

ぜひ知って欲しいと何度も云っておられたことだ

実際は、もちろん大変な苦労だったとは思うが、

山奥の貧しい農民らにとっては夢のような現金収入で

少女たちの多くは毎年岡谷へ行くことを楽しみにしていたようなのだ

野麦峠の館は閉館してしまったけど

資料等は敷地内のお助け小屋に一部移管されている

ボクたち庶民の視点で日本の近代史のリアルを見られる貴重なものだ

これもそうだね

アタマで知ってると異なるものがリアルにはあるってことだ



ここから高根側は少し道が険しい

ひたすらクネクネと下っていくのだが

途中でまたなぜかグーッと高度を上げたりする

なんでやねん、と暇にまかせて突っ込んだりしてみるが

正直疲れてきているみたいだった

ほどなく国道361号に出る

ここから木曽福島で国道19号線に合流するまでは贅沢な道路が続く

周囲を気にすることなくハイスピードでコーナリングを楽しめるが

今思うとマジで疲れていたようで

実際にはそれほどペースも上がっていない

リアブレーキで帳尻を合わせながら走る



国道19号に出れば今日のツーリングはほぼ終了

トラックたちのミミズみたいな進み方に飲まれて中津川まで1時間以上

残り僅かな気力体力を全て捧げた

高速に乗る前に川上屋の前を通るが

家人の「わたし、栗きんとんが好き」という言葉が脳裏をよぎる

分離帯越しの反対側に店はある

はいはい、買うて帰りますがな



久しぶりに500km走ったね

疲れたよ

でも楽しかった