ごきげんよう、まんきんたんです!
昨日は早朝から松山市桑原地区の遺跡「経石山(きょうせきざん)古墳」に行ってきました。
全長約49mで、市の中心部近くにこのような典型的な前方後円墳がほぼ完全 な形で保たれてきたことは珍しく、古墳時代の貴重な遺跡だそうで、1997年まで発掘調査が行われたとか。
本当ならこの古墳の近くにあるらしい「須我神社」を探してそこから神社巡りを始めたかったんだけど、↑この写真にも写っている小さな石段、これを登ったはいいけど下りれなくなってしまったのですよ。
なので、みっともないけど腰を下ろして1段ずつ尻をずらしながら、なんとか下りたのでした。
自分では元気なつもりだけど、こりゃあ、やっぱりかなりの病人ですね。
無理はできないなーと、さっそくもうひとつの予定に変更。
入院のお見舞いの連絡をくれた子が、イベントをやってるという情報を仕入れていたので、お礼かたがた会いに行ってきました。
もはやフェイスブックのみのつながりになっていて、会うのは実に15年ぶり!
明るいお嬢さんだったのが、立派な主婦になってました。
フラダンスをやっていたのは知っていたけど、仕事はなんとナースだとか!
そんなこともすっかり記憶から抜けていたほどの関係でしたが、それなのに心配のメッセージをくれたことが本当に嬉しかったありがとう!
その後、イベント会場からすぐ近くの「木野山(きのやま)神社」へ。
ネットでは(このやまじんじゃ)と書かれているものもありますが、(きのやま)が正解じゃないかと思います。
なぜなら、先に松山市東大栗町の「木野山神社」を参拝したよね。
その時に、岡山の「木野山神社」の流れを汲む神社だということが知って、それが(きのやま)だったからなんですねー。
ここも「オオカミ信仰」だったのかどうかは不明ですが、御祭神が同じ高龗神(たかおかみのかみ)・闇龗神(くらおかみのかみ)という龍神様なので(きのやまじんじゃ)で間違いないでしょう。
拝殿前に気になる石碑がありますが、何と書いてあるか読めません
それから狛犬さんの口が赤く塗られていて、やたら迫力あるなーと思いましたね。
ここも古~い神社にもかかわらず大切に守られているんですねー。
続いては「木野山神社」から少し歩いたところの「天山神社」へ。
ここは13年前に来た記録が残ってますねー。
石段から松山城方面を望む。いい眺め。
八世紀前半に編集された『伊予国風土記』に、「もと天上にあった山が地上へ落ちて二つに分割されて、片方が奈良県の天香具山となり、もう一つがこの天山となった」と書き記されています。
古事記にも日本書紀にもない話だけど、あまりに昔のことなので何を信じていいかわからないよね。
御祭神は、天照皇大神(てんしょうこうだいじん)と天照櫛眞知命(くしまちのみこと)。
聞き慣れない名前だけど、天照皇大神はアマテラスのこと??? 天照櫛眞知命って???
天照櫛眞知命(くしまちのみこと)は延喜式神名帳には天香山神社の祭神となっており、これらのことから愛媛県神社庁にも「天山神社」は載っておらず、謎のままとなっています。
が、しかし、「天山神社」と「天香久山神社」との交流は続いているらしく、
天山神社を管理しているのは、松山市南久米町の日尾八幡神社(ひおはちまんじんじゃ)だという。
このあたりの複雑な事情を知っている方がいたら、お話を聞いてみたいものです。
さて、この日は伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)「椿まつり」の最終日。
同じ時期に咲くという「十六日桜」はまだつぼみさえ発芽していませんでした。
よい1日を!