ごきげんよう、まんきんたんです。
御幸寺山(みゆきじさん)に登ってきました。
まんきんたんが子供の頃は「みきじさん」と呼ばれてましたね。
種田山頭火の終焉の場所「一草庵」の裏手にある山で、うちのベランダから松山神社越しに見える小山です。
2016年6月以来、6年ぶりに登りました。
↓その時の記事です。
一草庵から見上げた御幸寺山。
鉄塔がなかなかおしゃれで、なんとなく「太陽の塔」を彷彿させます。
正岡子規はこの山のことを「天狗が住む山」と詠んでいます。
秋の山御幸寺と申し天狗住む 正岡子規
今もなんとなくミステリアスな雰囲気の山ではあります。
一草庵の裏の墓場を抜けて山に向かうと。
あらら…ロープが張られていて進入禁止になっている。
このぐらいで帰るわけにはいかないので、いけないとわかりつつロープをくぐって侵入。
だが、行き止まり。
おかしいなぁとウロウロしていたら違うところに登山口発見!
あれ? ここだっけ? 全然覚えていない。
すぐにお堂に行き当たる。
6年前もあったかなぁ? 全く記憶にない。
もしかして天狗に化かされてる? あれはキツネか。
祠には石鎚神社(いしづちじんじゃ)の御札が祀られていた。合掌。
石鎚神社は日本七霊山の一つで、西日本最高峰の石鎚山を神体山とする神社。
そういえばここ御幸寺山の山頂には石鎚山に向かって立てられてた鳥居があったっけ。
山頂までは石段が組まれていて、割と歩きやすいです。
大汗かいたけど。
山頂近くに、今は使われていないけど、鎖を使った登り口跡もあって、昔ここは小さい石鎚山だったんだなということが伺えます。
15分ほどで山頂に着きました。
逆光でうまく撮れなかったけど。
山頂広場は↓こんな感じ。
標高164.69m。
ちなみに石鎚山は標高1,982 m。
あれ、12倍くらいか。そんなもんか。
石鎚に向かって立つ鳥居というのが↓これです。
見晴らしが良い日は鳥居の中から石鎚山がきれいに望めます。
鳥居の横には「国威宣揚(こくいせんよう)」と刻まれた石碑が。
6年前は特に関心がなかった石碑で、何となく戦争の匂いがする言葉だなと思った程度で、読み方すらわからなかったのですが、日本の歴史を勉強した今ならわかります。
「国威宣揚(こくいせんよう)」の石碑は全国各地に昔から建てられていて、日本国民が尊敬していた明治天皇の言葉です。
大戦時に国民を奮い起こすために使われた言葉だと、真意を歪曲して伝えられていますが、実際は摂関政治、武家政権へ政治を任せてきた事への明治天皇の反省と、日本の未来のために一大改革を成し遂げるとの決意と責任を誓った言葉の一部の文字です。
興味がある方は、明治元年3月14日(1868年4月6日)、明治天皇が全国民に対して下された御言葉「億兆安撫国威宣揚の御宸翰(おくちょうあんぶこくいせんようのごしんかん)」を知っておくと良いでしょう。
戦争とは全く関係ありません。むしろ日本人として正しく生きようというお言葉なのでした。
さて、御幸寺山の鳥居からはうちの家も確認できました。
かなりの望遠で撮ってるけど、目印になるよう、出かける前にベランダにふとんを干してきたのでわかりやすいでしょ?
天気が良い日はベランダから双眼鏡で御幸寺山頂を見ると、鳥居も見えるんですけどね。
今度、見えた日に撮っておきます!
それでは、また!