こんにちは、まんきんたんです。

 

34番「種間寺(たねまじ)」から35番「清瀧寺(きよたきじ)」へ。



「流汗坂」と呼ばれる、文字通り汗が噴き出す険しい参道を上がると、仁王門が見えてきます。

写真に時計が
写っていますね。時刻は3時半。

 


高知市を抜けて土佐市までやってきました。
 
 
おや? 境内に選抜高校野球の優勝記念碑があります。
 
裏を見てみると…。
 
 
おおっ、伊野商業! ナベトミ!
 
伝説の初出場初優勝の時のものではありませんか!


 

 


ナベトミというのは「投手」のところに書かれている「渡邊智男」のこと。
 
この渡辺智男っていう男はとんでもなくすごい投手だったのです。
 
 
1985年、当時の高校野球は桑田・清原を擁する「PL学園」が圧倒的な強さを誇っていました。

この年の選抜高校野球も、
誰もがPLが圧倒的な強さで優勝すると思っていたのです。


その予想を完璧に覆してしまったのが伊野商業、渡辺智男投手。


彼は、およそエースらしくない風貌で、だっさいメガネをかけ、荒削りなフォームから繰り出す
時速150kmの剛速球と、的が絞れない荒れ玉で四国大会2位となり甲子園へ。

初出場ながら準決勝まで駒を進めました。


そして伝説の名勝負、「伊野商業 vs PL学園」となったのです。

PL学園は桑田・清原のKKコンビで
1年の夏から3年の夏までの計5回すべて甲子園に出場し、

優勝2回、準優勝2回の輝かしい記録を残しています。


しかし、ただ一度だけ決勝に進めなかった大会が、この年の選抜大会で、優勝を見事に阻止したのが
「伊野商業高校」だったのです。

この試合で渡辺智男は、当時どこに投げても打たれそうなスラッガー清原和博を相手に1試合3奪三振をやってのけました。


それもストレートでバッタバッタと三振をとる実に痛快なピッチングで。
 
↓見てよ、これ。
 

 

この後、伊野商ナベトミの勢いは止まらず、決勝でも帝京を相手に13奪三振(毎回)の力投で完封。初出場、初優勝を達成したのでした。

1988年 ドラフト1位で西武ライオンズ入り。

1998年限りで現役を引退。
 
 
清瀧寺に行って伊野商業の優勝記念碑を見たらこの話を思い出してください。
 
清原桑田ひきいるPL学園に勝って優勝した伝説のチームだと。

次は36番青龍寺(しょうりゅうじ)です。