憲法記念日に寄せて(所感) | ExcomAdvisorのブログ

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本稿は私・平田幸治の個人の意見・見解等を綴ったものです。

 安倍晋三首相は29日放送の日本テレビの番組で、憲法9条について「(自衛隊を)憲法学者の7割が『違憲だ』と言っている状況のままでいいのかということに真剣に向き合わなければいけない」と述べ、改正に改めて意欲を示した。そのうえで、「いま思考停止している政治家、政党の皆さんに真剣に考えてもらいたい」とし、改正に消極的な野党を牽制した。夏の参院選で憲法改正の発議に必要な3分の2以上の議席確保をめざすのかと問われると、改憲に前向きな勢力全体で「3分の2」をめざす考えを示した。
 (2016年4月30日朝日新聞大阪3面『首相改めて改憲意欲』記事全文を引用した)

 私は本ブログシリーズで安倍総理の安全保障政策については支持を表明してきたが、憲法9条改正については触れてなかったので、憲法記念日に寄せて一部所感を述べたい。

 むろん、ここでは憲法9条1項及び2項のことである。それを除く自民党憲法改正草案については、私が新しいオピニオンリーダーの一人として期待してやまない国際政治学者の三浦瑠麗・東京大学政策ビジョン研究センター講師らの次世代を担う人々の考えをよく聴いた方がよいだろう。(例えば、三浦瑠麗「自民党の憲法改正草案について」2015年4月9日『山猫日記』、同「自民党改憲草案㊤」『神奈川新聞』2016年1月13日‐14日掲載文他)

 さて、現段階で自衛隊の存在を否定する人々は少なかろうが、施行された安保法制であるが最高裁判所の立法審査権の事案の確定にまでは、三権分立の意味からも、行政府を代表する内閣総理大臣の組織する内閣に該事案に係る解釈権の余地はあろうし、立法政策における国会の法制権はまたあるものと考えられる。

 だが、議論される法の安定性と整合性を高めるためには、冒頭引用した朝日新聞記事の安倍総理の日本テレビの放送における発言は自然な動きの現れと受け止められる。

 こうした憲法改正論議の一つの論点となっているのは、自民党憲法改正草案であってこれは自民党の成案ではないのが事実である。まずは、安倍総理の日本テレビの放送発言から政治家・政党のみならず研究者や国民一般における議論が促進されることが期待されるのである。

 私は憲法の「普遍性」「政策性」といったその理念を国民世論の合意形成過程において大切にしなければならないという印象を強く持っている。

 なぜなら、憲法成立過程から現在まで含めて、国民の多くが憲法全文を読みましてや各政党の憲法への対応の細部を知っていることは少なかろうと思えるからである。

 結びに私は国民一般の一人として、憲法改正のその任に関係する人々の思索の一助に、哲学者・森 有正(1911年ー1976年)の「ささやかな変貌」朝日新聞社編『わが思索 わが風土』所収【朝日選書23】(朝日新聞社、1974年11月20日1刷発行)の一節を記し送っておきたい。

 音楽の演奏であっても、研究であっても、その他何であっても、綿密にそれに従事していると必ず幾つかの困難な点が出てくる。困難というのは、その時の自分の能力では仲々処理することがむつかしい点という意味である。その時私共は、事柄の内奥の構造と自分の能力の実体とが共にはだかでその正体を曝しながら触れ合っている点に到達しているのである。そこを超えて行くことが進歩ということの意味であるが、注意深くあればあるほどそういう困難な点は増加してくる。その点を超えようとすると習慣的な操作を棄て、自分の全能力をそこに集中し、テンポをゆるめて、注意深く、しかもあえて、それを通過しなければならない。それは換言すれば自分に克つことであり、その操作の内容には、ここまでやればよいという限界がない。その時の人間の「歩み方」を私は勇気と呼ぶのである。
 (森 有正「ささやかな変貌」)

<了>