日本は共産主義でも社会主義社会でもない。
その中で、籾井勝人・NHK会長の国会答弁は質問者に対して正直なのか自信家の本音なのか不明だが、相手の術中に言を曝してしまう。国会TVを視聴して、籾井会長は今の立場として自覚に欠けていると思う。
言葉に宿して言うべきことが単純化されすぎており、それを正当化するようなことは公共放送のトップであるという資質に疑問を生じ、その公人としてのNHK会長になじまない適格性に欠けると言わざるを得ない。確かに、言葉にのる自己の思いは正直すぎる言い回しであり、「原発報道は公式発表ベースで」と述べるのは、NHKプロデューサーの一人が話す「報道機関とは何なのかを本当に分かっていない」(2016年5月2日毎日新聞)と断じざるを得ない。
かねてから、籾井会長は国民一般の受信料で運営されるNHKという公共放送の使命さえ分かっているのかどうか疑問視されてきた。さらに原発報道発言は、原発に関るそれぞれが多分に政策性を持っており、住民の生命の安全に立脚した報道を忘れてはならないのであり、原発の刻々の動向はNHKの独自取材を加味し判断した報道にこそ受信者の信頼が置かれることを認識しなければならない。
NHKが災害の危機をあおり立てる報道をするようなことを私は想像していないし、生命の安全に関ることは絶対ということはなく、NHKは事象を疑うという前提もなければならないことでもあろう。そこにある、シビアでないリスクが蓄積しているなら、「臭い物に蓋をする」式の抑制的な発表報道ではなく、受信者が速やかな安全を確保できるNHKの総力取材の事実報道を期待する。それは、多くの一般受信者ばかりではなく、状況判断を伴う政府・自治体関係者の救援活動に従事する機関・要員においてもNHKの情報は視聴されている。
籾井会長の国会答弁が、「コンピュータ」が作動しないということなら、「データ」が入っていない、つまり、「知識」がないというべきであろう。
政策性のある「『住民に安心感を与える』ためというのが籾井氏の言い分のようだ」(2016年5月2日朝日新聞【社説】)という放送は、受信者を無視したマスコミュニケーションの機能を自己運用しており、日本の信頼される公共放送の会長に籾井氏を信任できない。<了>