暁の流星 -4ページ目

暁の流星

戯言置き場。

やれやれ・・・やっと日記に画像を載せる事が出来る。細かな事柄は別に書くとして、ひと苦労だったと記録しておきたい。


昨日・今日と、知人の外付けハードディスクの修復を行っていた。曰く「調子が悪く、USBが認識しなくなった。」とのこと。俺の経験で考えられるのは次の通り。

『PCのOS側で、USBを認識する部分が破損した』
『USBケーブルの接続が不安定(ぐらぐら)』
『外付けハードディスク側で、USBを認識する部分が破損した』
『基盤が破損しているか、USB端子への線が物理的に切断している』
『端子若しくは、USBケーブルが破損している』

これでウチに持ってきて接続出来れば、物理的破損の可能性が出てくるのだが・・・とりあえず、持ちこんでもらう事になった。(持ち込んだ際、チェックと並行作業で本体に別のUSB機器を接続したところ認識した為、PC本体は正常であるようだった事を付け加えておきたい)
個人的に、USBというものは"吊り橋"の様な物と考えている。PCとハードウェアの基部をUSBという吊り橋で繋いでいるというものだ。持ち込まれた外付けハードディスクは、接続と切断を繰り返しながらデータを移そうとしてもエラーでシャットダウンするというものだった。吊り橋で言えば、ハードウェア側の基部に括り付けられるはずの吊り橋のロープがおかしくなっている。その為、橋がかかったり落ちたりしているのだ。一部のデータを移して外付けハードディスクの負担を減らしチェックしてみると、USBを接続する為の部分のデータが3つほど断片化していた。
自分の所でも時折起きるのだけれども、USBに関する部分が断片化してしまうと外部機器を接続出来なくなってしまう。断片化した結果、おかしな繋がり方になってしまい処理する情報がループし続けてしまうと、接続と切断を繰り返すようになる。
断片化したHDDの中身を安定して組み直すには、使用しているウィンドゥズによれば少なくとも30%の空いたスペースが必要であるという。少なくとも27%は欲しいところなので、いくらかのデータをウチのPCへ移動させる事にした。1630時の事である。
とりあえず移動しようと槍玉に挙がった27GBの情報は、エラーで何度も再接続が行われた。其の度にエラーの出たフォルダを開いて、中身だけ新たなフォルダに移動させる。フォルダと中身との接続(このフォルダにはこんなものが入っていますよ、という情報)に問題があるのか、フォルダ移動でエラーが出た際には、これを行うと再エラーが出にくい。止まる度にもう一度外付けを認識させて該当フォルダの中身だけを移動させる、その作業は余りに時間がかかるので、ユーザーにはお帰り頂いた。
翌日、0015時。データの移動完了、一度電源を落としてPCをリフレッシュした状態で断片した外付けの中身を直す。それが完了したら自分の所に移動させたデータも組み直して、再びPCの電源を落とす。コーヒーを飲んで再起動後、抜き出していたデータを外付けに戻す様にセット。データの移動は夕刻まで続き、今に至る。その間のエラーは無し。

エラーのレポートからは問題のあった項目が消えていた、応急処置的な事だけれどもこれで暫くは保つだろう。PCの知識のある人には、極々些細な事柄かも知れない。だが、知らない人はとても多い。かつては自分が歩いた道だけに、その困っている状況が解る以上は差し伸べたいと思う。
面倒な作業だという声は、よく聞かれる。だからといってそうした事を放置していれば、相手は困ったままで何も解決はしない。自分で調べろというのは簡単だけれども、右も左も判らない相手にその言葉は、傷口に硫酸を注ぐ様なものだ。それを直す状況を見せ、何を行っているかや想定される事柄などの説明をし、双方で理解を深めないと、どういった問題があるのか等は伝わらない。そうして得られた経験で双方のスキルを上昇させるのは、社員教育と同じである。そうした経験をトラブル毎に積み続ければ、物事に対処出来る様になる。如何に知識や技術等があろうとも、そうした事柄を行わずググレだの即戦力だのと言っているのは人として無能である。

本来ならフォーマットからやり直した方が良いのは云うまでも無いが、昔に比べれば安いとはいえPC関係が高額である事には変わりが無い。それは周辺機器にも言える事ではあるけれども、情報社会に意味を見出さない人や、とりあえず使えりゃよくて壊れたら捨てるといった考えの人もまだまだ多い。そうした人達が機械との対話が出来る様になれば、新しい経験として別の道が見えるのではないかと思いつつ、出来る事をやっている。
今回の原因として考えられるのは、空き容量の不足と断片化によるループにひとつの要因がある様に思う。腹七分目を超えてしまった為、息苦しくなってしまった・・・そんなところだろう。









昔俺が感情を失った時、言葉を忘れた時、それを新たにインプットしてくれたのがパーソナルコンピュータとそのプログラムだった。事故で能力が著しく落ちたとはいえ、まだ辛うじて彼らの相手が出来る限りは、付き合っていきたいと思う。

それが、たとえUSBという端子のひとつだったとしても。
俺にとって、1食18円の袋麺は大変リーズナブルであり、日々の生命線である。
また、発泡水は大変貴重であり、身体を動かせるようにする為に欠かせない物である。
ついでに、酒は百薬の長である。

齢のせいか、大好きだったコーラから大分遠ざかった生活を送っている。就学前の幼少時から飲み続けた数少ないドリンクのひとつであるが、やはりこの年の味がお気に入り!というものがある。御存じの様に、コーラやカップメンは同じ商品でありながら叔父を変えつつ存続しているからだ。例えば、個人的な好みを言えば81年のコカコーラは一番のお気に入りだし、CMの素晴らしかった84年のは少し味が変わってアロハを着ている様な味も捨てがたい。カップヌードル(赤)は粗挽きブラックペッパーの効いた奴がいいアクセントになっていて良かったと思う。
ふとふとそんな事をふりかえりつつニュース関係を散歩していると、ローカルな話の中に『ハッピー缶』なるものがあった。呑むと思わずハッピーになってしまう!だったら間違いなくハイな気分になるのだろうが、実際は何やら"当たり"と書かれた缶が出てくるのだという。中身は簡易式腕時計等が入っているらしく、一番人気は折り畳み式のヘッドホンらしい。現在のところゲットは出来ていないのだが、どうも情報が少ない。とりあえず、今年も自販機の中にあるとの事なので、買い出しと通院序でにふらっと近隣を見回ってみた。嗚呼、缶のコーラかぁ・・・久しぶりだなぁ。瓶のやつが最高だけども。
俺が学生の頃、自販機といえばコカコーラが最多だった。どこに行っても必ずあり、嫌でも目に入る真っ赤な自販機。信号機の様にそこかしこで見かけたものだった。ところが驚いた事に、余りあの自販機を見かけない・・・数が激減して居る様だ。郵便屋時代等にお世話になった自販機を見に行ってみると、綺麗サッパリ無くなっていたりもする。こ・・・これは・・・?!(汗)
取りあえず市内中心街付近を3ルート移動してみた。やはり、やたらと目についていたコカコーラの自販機がかなり減っている。やっと見つけてみれば、ペットボトル。もはや、缶ですらも無い。
やはり個人的な事を言えば、ペットボトルは嫌いである。キンと冷やしたビールが美味い様に、炭酸ドリンクもキンと冷やした方が飲み応えがある。ペットでは今ひとつ冷えが足らない。瓶が最も冷えるのだが、今や自販機でお目にかかる事は無い。ゴミ捨ての時に重くて仕方ないが、そちらの方が飲む好みとしては在り難い。
さて、現在コカコーラでは何やらバッチがついてくるらしい。が、現在それをやっている自販機はひとつしか見つけられなかった・・・まずコーラの自販機自体を探さねばならず、やっと探し当てたと思ったらペットボトルばかりで、缶の物はかなり少ない。その上キャンペーン中のシールが貼られたものともなると、難易度がかなり高い。運良くゲットする機会があったら、記念写真を撮りたいと思う。
一方で、それじゃあどこの自販機が多いのかというと、アサヒとサントリーがツートップ。次いでダイドー、個人自販機。案外、自販機を置くのに維持費がかなりかかったりしているのではないだろうか・・・?ふと、そんなことを考えてしまう夜更けである。
ユニークなのは、ファンタは缶で残っているのにコーラは殆どペットボトルという事実。ファンタやジョージアは缶のままだ。あれらがペットボトルで自販機に並ぶ日は来るのだろうか・・・?
今回は、久しぶりにプラモデルの話を。
あるモデラー曰く、現在プラモデルを組む人は大きく分けて2つあるという。ひとつは形自体を変える事が出来る『モデラー』、もうひとつは組み上げるだけの人である『ビルダー』。技術・知識的にワンランク高い位置にいるモデラーからすると、ビルダーというのは歯痒く見える存在の様だ。
モデラーとは文字通りモデリングを行える人達の事で、何か壊れたパーツがあったりすると自分で作ってしまったり、可動しない物ならキットを切断・再構成し可動する様にしてしまう、そんな技術を持った人達である。必要であるなら何もない所からオリジナルで作り上げてしまったりする。深い知識と経験を持つ高い技術の方が多く、無から形を生み出す事を生業とする『原型師』という専門の人も居る。
一方でビルダーと呼ばれる人達は、昔でいう"ライトユーザー"と呼ばれる人達が多い面々である。組み上げる事を基本とし、特に凝った改造をしたりは余りせずにキットそのものを楽しむ。可動するのは当たり前、という実動本位の人が比較的多い。主に"組む事"を楽しんでいるが、勿論組んだ後も楽しむ。
この2つの人達は"似て異なる存在"である。一緒くたに”モデラー"と呼ぶと、モデラーは怒る。何故なら『造型(モデリング)していない』から。根本的に違うと。技術を誇りとする彼らにすれば、もっともな話だ。一方、ビルダーはビルダーでモデラーの技術の高さや知識は認めつつも『(ビルダーの事を)わかってないねぇ』と感じる面もある。モデラーの大半はビルダーに比べて年齢層が高く、昔のプラモデル(最中キット)全盛の人が多い。そんなモデラーにとって"プラモデルは塗るもの"であり、"組んだだけでは未完成"という考えが根強くあるのだ。
解り易い例で、巷で見かけるガンプラ(今じゃガンダム知らなくても買っているそうな)を挙げてみると、昔のガンプラは1色成型で隙間等も割と出来易かったりする。ガンダム買えば白一色、ザクを買えば緑一色、全て均一の色合いな為に面白味が無く、どうしても塗らざるを得ない。隙間(結構目立つ)を埋めるにはパテを盛る・・・慣れてくると修正がてらオリジナルの形へ作り変えたりする。モデラーにとって、モデリングとプラモデルは切っても切れない関係にある。また、この頃のキットは可動はおまけであり、基本的に『モデルとは飾るもの』である時代である為、プラモデルを作る人をモデラーという名称で呼んだ。
そんなモデラーよりも若い年齢層が多いビルダーでは、そんなことをする必要が無い。技量が足らずとも誰でも気軽に楽しめる様にと作成された多色成型で、色を塗らずとも設定に近い色合いを出して雰囲気十分だ。これで基本的に可動するのが前提なのだから、わざわざ塗ったり造型したりする必要は無い。オリジナルの塗装やこの部隊の色にしたいなと思うなら塗るだろうが、"塗る必要性が無い"上に昔よりもずっとパーツの精度が上がっているので隙間もほぼ無い。造型する必要も無く、更に可動させる事で雰囲気を満喫する。出発点からして全く違うので、彼らからすれば塗らないからと馬鹿にしたり(「そんな未完成!」という人が割と居るんだ、これが・・・)「墨入れは基本だ!」と墨入れ強硬派だったりは邪魔なだけ。気が向くか塗りたくなれば塗り方を訊くし、装甲の隙間を墨入れで目立たせてリアリティ云々という考えは持ち合わせていない。必要になったらやってみてもいいかな?程度であり、まずは『組む楽しさ』を優先したいのがビルダーとしての考え方である。色を塗ったり墨入れしたりというのは『キットを組み上げた後で更なるステップアップが欲しくなった時に行うもの』であり、現状として必要が無い。(かといって、キットのディティール自体を排除してよいわけではない)
こうして比べてみると、"色を塗って初めて完成と言える"というモデラーの考えはもっともなのだが、ビルダーからしてみれば既に着色されているので組み上げた時点で"色が塗ってあるのと同等の扱い"であり、「更に色を塗らないと完成では無い。」というモデラーの意見は大変矛盾した言いがかり以外の何者でもない。それが良く判るのが『素組み』というもので、モデラーは"設定通りに色を塗り上げたもの"を素組みと言い、ビルダーは只組み上げたものを"素で組んだ=手を加えず、そのまま組んだ"という意味で素組みと言う。モデラーもビルダーもその状態を"普通"としているので、プラモデルの話をする際に「普通に組んだら~。」という言葉が出た際には、どちらの普通なのかを訊いておく事をおススメする。些細な口論の種になるからだ。
さて、最後に『設定屋』というものがある。平たく言えば"作品の世界観から逸脱していないかどうか"に拘る面々である。俺はどちらかと言うとこれに当たるので、設定屋としての個人的視点から述べようと思う。
設定屋のアイデンティティは作品の世界観であり、詳細な設定である。よって、世界設定を崩壊させるような存在は喩え公式であっても認めない。ガンダム繋がりで言えば、ユニコーンやヘイズル等がそれに当たる。元々の設定が穴だらけの物は別として、作品の歴史の流れを著しく無視する存在に我慢がならない面々と言えば解り易いだろう。これが先に挙げたガンプラでどう絡んでくるのかと言うと、当然ながら"設定上ありえない存在が発生した時"である。ザクがガンダムのビームライフルを持っていたり、ジムがイデオンガンを使用していたり、ZガンダムがZZのライフルとフィンファンネルを装備してグリプス戦役の頃に居たりという状態に「ちょっと待て。」と言うのが彼らである。(それぞれ『出力が足らない上に技術が全く異なり、撃てないどころか所持している筈が無い』『作品世界も違えばサイズも違う論外の存在』『開発された年式が合っていない上に、装備する場所が無い』)
例えば、ガンプラで其々量産機を幾つか用意し"オリジナル機を作る"という課題を与えた時に、軍勢や機体・武器の技術的に辻褄が合う様に組み上げるのが設定屋、オリジナルの武装を作成して追加するのがモデラー、年式とか作品世界の違いを全く考えずに色々なキットを組み合わせてしまうのがビルダーである。すると、とりあえず組み上げてしまうビルダーは兎も角として、作品世界等も知っているモデラーに対して「ちょっと待て。」というのが設定屋である。理由は簡単『その兵器は軍のウェポンリストには無く存在理由が不明であり、コスト・技術面で適合性を欠く』。対するビルダーは好きな物を好きな様に創る事が存在意義なので、『気にしなくていいじゃん、堅苦しい』というスタンスをとる。設定屋からすれば、そうしたものを"モデラーが作ると"作品の歴史に組み込まれる場合がある事を知っており、作品の世界観や本来あった骨組ともなる設定を破壊してしまう存在でしかない。俗に言う『世界の歪み』であり、危険であると認識する。しかしながら、大きな流れ自体に影響しないのであれば「あのアイディアはいいなぁ。」と見ていたりもする。現実世界に例えるなら「この時代にこんなことがあった。」「歴史的に無理があり過ぎるだろ、データが一致しないじゃないか。」という応酬に似ている。
今回はガンプラを例に挙げたが、プラモの世界をちらりとみると状況によってはこんな物が見えてしまう事がある。そうしたの話の際には頭の隅にでも落書き程度に覚えておくと、ニヤニヤしながら見物できるかもしれない。が、ドイツ戦車にビームライフルをくくりつけて「リガミリティア戦車ー♪」とか、ジオングに車のボディをバラバラに張り付けて「トランスフォーマー。」とかやってしまうと、場合によっては洒落にならなくなるのでおススメしない。(苦笑)