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【有料投稿はNoteにて】2024.3 故 野田暉行の遺文や父にまつわる少々内々の有料投稿始めます
掲載文・写真©️ E World Japan 代表者名 野田瑛里子
※4【自己使用の音楽?作曲者の悩みと愛情、浮気は?人間国宝に習う】2024.2.29
ワタクシ、つらつらと思い出したコトがあります。
「著作権料を取られる?」
だと?!
このパラドックスな問い。
かつてあったのです。
まさかのJASRAC様から
「支払ってください」と言われた。
おそらく父はこの案件のレジスタンスの日本で最初のパイオニアだった、はず。
父はかなりそのことを、論理立てて伝え
「自己使用」という今では珍しくもなんともないコトを確立することへ、無利益に一枚噛んだヒトだと認識しておりますが(父は割と吐露します)💧
やはりルールとなると当時皆様そこは、たとえ内規程度の、国の法律でなくとも
おっかなびっくりで、されどルール。
父はそういうことは、古臭い「火事親父」的人間の側としてパイオニアでした。
それは一重に愛情、今後の若き作曲者への道をできるだけ、安らかなものに、という想いと、いかなる分野もある一定以上から極限へという最高倫理を掲げていたからであります。
愛情といえば、私は子供時代の記憶として
若い父はわりとモテたかな?と。
ミニかごのお花を楽屋から2頭身の3歳の私へ渡してくださる優しいお姉様方の記憶や、今でも九州からは私が生まれた時から知る方々に、ありがたいことに、お声かけいただくなどなど。
人の集まる時期がありました。
そこで娘っ子はとんでもない質問を昔、父へ投げかけてみたことがあります。
なにせ私の名前由来が、小学校の宿題で書けるかしら?!という苦笑もので、「ジーンズの似合う人で、父の憧れていた実在の女性の名が綺麗な音(ERIKO)であったから、漢字(瑛里子)も貰った」というのです。
ワタクシもそこは「たま(王編なので)のように可愛い女の子という願いを‥」と漢字辞典を片手に命名理由を翻訳する宿題を出すはめになったことがあります。🐹🐹🐹
その辺の詳細も含め実際に、父のバツイチ時代(大原美術館のカルテット作曲時期、こちらは冊子に写真も掲載されていて日本近代音楽館へ私はPDF寄贈いたしました)
その話を娘にしたこともなければ見せたことも父はなく、その時代の賞もなにもかも天井方面にしまい込んで、父は亡くなるまで女性達(?)の実名を私へ言ったことが一度も無いのです!
「浮気したことある?」
大人になって成城の薬局長経験で監査体制が身に付いたのか(?)強気の私も、大人になってから自宅でこっそり直接父に(母 香代子、不在時w)聞いたことがあります。
「いっぱいあるよ!(一般に男性は?)皆してるよ!」と何故か、い抜き言葉で、あたかも常識のように周囲を売りながら(何も聞いていませんが)逃げる父」に、「しないよ!w」と言い返したのが良かったのか、ある意味で、「データは全部これだから‥必要なことは、このバックアップだけでいいんだからね?」と(何の念押しか知りませんが)長きにわたり手渡され、父はおそらく私を守っているとは思いました💧
私の前で父は生涯、芸能人以外でその才能を誉めた女性は数名もおりません。
私が薦めた本屋大賞の『天地明察』を父はとても気に入り、群馬県といえば関孝和という、数学的なところも含め、喜んでいました。
まだ両親と自宅に居た、成城付近の本屋で見つけた出たばかりの頃です。(父は速読はできないようでした)ゆっくり読む人だなぁ?と、父からの共感を娘っ子は待った記憶があります
さて母の養父の作曲家 故 別宮貞雄氏は、愛妻家でした。
亡くなるまで一筋。母所有となりましたが別宮氏が大事にしていた愛妻の写真があります。
昭和26年12月撮影のようです。
この方は、能が趣味。
重要無形文化財保持者(人間国宝)の松本謙三氏を自宅へ招き、能舞台の練習をいただいたそうで、達筆な人間国宝の手紙文字も垣間見ております。
私も学生時代趣味で「観阿弥・世阿弥」の『風姿花伝』は好きで親子の観念を覗き読み、女人禁制の厳しそうな世界の起点、その情念、死生観はどこから湧くのか?を学んだ記憶があります。
父 野田暉行は、新作能舞台『高山右近』を、フランス公演しており、私は当時大学生で行けなかったのですが、夜のNHKニュースで父が流れてきたので、アウェイに2秒ほど海外の様子を見たことがあります。
衣装は森英恵氏。台本は加賀乙彦氏。
華やかで叡智。
日本公演は何度も当時見ることができました。
その時の父のエピソード、作曲で非常に大切にしたこと。音のない世界。
狂言の世界のかたも舞台に入っておられ、能と狂言の違いを作曲家として、楽譜に起こすとのできる側として意識していた。
それは音の有無である。
下手に音を追加しない厳格さでした。
この日本古来、といっても、「渡来」という単語を日本国家は5世紀以降を定義しておりますので、『日本書紀』『古事記』の成立時期以降を古来とここではします。
観阿弥・世阿弥の親子。
どうしても「あの(またいつか触れますが)無念そうなお面の持ち主」の古来が気になる私。
今はないようですが、「五番立(ごばんだて)」、その能舞台の1日を「荒物」で締めとする、かつての起点時代。
起点がいつからなのか?
その姿勢、死生観、古くはるか昔の共通情念から興した文化の世界観、顧みる心、鏡で照らし返される世界観を踏み躙ることく進める、温故知新を父はやってのけたと、私は信じております。
今回の音楽の会、21世紀音楽の会は、別宮貞雄氏の発想から起きた、父が発足した会です。
それも今は昔。
移り変わりました。
よければ足をお運びください。
父の公式サイトにのみ紐付けしております。
フェイスブック連結タイプでそちらからもご覧になれる(?)かもしれませんが、下記公式サイト紐付けのこのblog(?)以外は、投稿はしておりません。
なにせ、SNSへのやる気が2.5perですから、このまま年間どころか全体投稿数2.5🐹で終わる可能性もありながら、つれ「ず」れ致します。
【父の公式サイト】
https://www.teruyuki-noda-officeoversea.com/
https://www.teruyuki-noda-officeoversea.com/erikoから連結blog(?)
この記事は私が書きました
閲覧環境による体系的な表示体形差の違いには責任を持ちかねます🐹
※ここまでの投稿はE World Japan 「私」野田瑛里子 著より抜粋です(元ネタ先)。
私的に検証しておりますが、私見投稿でもありますので、文責以上の責任は負いかねます。