江戸時代へタイムスリップ | 自分らしくを生きようね

自分らしくを生きようね

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今まで何となく生きてきたけど、あとどれくらい生きられるか
限られた人生をできるだけ満足のいくように生きたいなーと
思う次第です。

昨日は江戸時代の様子を外国人の感想を
通してお伝えしました。

日本称賛の渦のような内容でしたね。

でもなぜ日本がそんなに素晴らしい国として
彼らの目に映ったのでしょうか?

それを理解するために、まず西欧諸国の
状況をみてみます。

当時のパリやロンドンでは成人男性でさえ
10~20 %程度の識字率であり、多くの市民は
文字が読めませんでした。

貴族階級以外は使用人か農奴であり
彼らは麦わらの中での雑魚寝生活です。

支配する人とされる人しかいなかった
わけです。

建築物は見栄えの良い石作りの高層建物は
ありましたが内情は例えばトイレは壺に用を
たしていました。

(それで女性のドレスには裾に鉄線が
入れられた花びらのように開かれたもの
になっていました)

そして一杯になると窓から外に捨てられて
夏になると虫がわきコレラが流行しました。

臭い消しとして香水が発達したのは
こうした背景がありました。

※  このあたりは次のブログが参考になります。
 「ヨーロッパのトイレ事情」

このような状況下の西欧から日本に来た外国人の
ほとんどが中国・上海を経由しました。

その頃の上海は、見た目は石造りの高層ビルも
ありましたがほとんどの住民は彼らから見ると
物乞い同然の汚いものでした。

そこからさらに船で東端の島国である日本を
目指しました。

インド・中国の次であり、彼らは相当な汚さを
予期していたようです。

ところが日本に上陸するとその美しさに
絶句しました。

春夏秋冬のまるで絵画に描かれたような
自然に圧倒されたのです。

そして寒村の横浜でも小道に至るまで
きれいに手入れが行き届いており、
ヨーロッパにおける農奴の
生活ではありえないことでした。

それまでの国々のように何かをねだって
まとわりついてくる子どもたちもおらず、
礼儀正しい住民と目を輝かせた好奇心
あふれる子どもたちがいました。

彼らは異邦人を家に案内し、食事を与え
風呂にまで入れてくれることもありました。

寝る時には家に鍵をかけなくても
安心なようでした。

別れ際には姿が見えなくなるまで
家族で見送ってくれます。

さらに江戸へ行くとそこはより楽園の
ようでした。

何千という自然豊かな公園が存在し
小さな個人の家にも盆栽などが植え込まれて
いました。

しかも非常に衛生的です。
トイレ完備、汚物は有機肥料へリサイクル
とても清潔で掃除の行き届いた街並み
だったのです。

また一般庶民が本屋で立ち読みする姿にも
仰天しました。

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外国人にとって驚きの連続だったというのも
うなずけますね。

そんな純真無垢、素直、好奇心で満ち溢れている
愛らしい人々の前に黒船という脅威がやって
きました。

それからの日本は欧米のお金中心の世界に
怒涛のごとく巻き込まれていきます。
その過程はまたの機会に。