江戸時代に日本を訪れた外国人が書き残した
さまざまな文章を見ると、当時の庶民は
ゆったりと、屈託なく、笑みを浮かべて
小さなこととに美意識を見いだしながら
平和のうちに生きていた様子が伝わってきます。
『歌麿筆 寺子屋小謡図版画』
そんな平和な日本に開国を迫ったのが下田の
アメリカ領事館に赴任したタウンゼント・ハリスです。
(中学高校で勉強したような気がしますね)
ハリスは1856年(江戸末期)の領事館開設日の
日記に次のように記しています。
「厳粛な反省-変化の前兆-疑いもなく
新しい時代が始まる。あえて問う。
日本の真の幸福となるだろうか。」
開国することによる欧米文化の流入が
日本のためになるのか苦悩している様子が
伺えます。
「こんなことしていいのかなあ」
なんて思うことは私たちの日常生活の中にも
ありますよね。
またハリスの通訳として江戸で幕府と交渉していた
ヘンリー・ヒュースケンは1857年に日本の変化を
次のように表現しています。
「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。
この進歩はほんとうにおまえのための文明なのか。
この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾りけの
なさを私は賛美する。
この国土の豊かさを、いたるところに満ちている
子どもたちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも
悲惨なものを見いだすことができなかった私は、
おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを
迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な
悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。」
この通訳の方も日本の良さを高く評価する一方で
開国後の日本を心配しているようです。
「そんなことしなくて、今のままでいいのに。」
という気持ちが伝わって来ます。
テレビでも化粧の濃い女子高生が
すっぴんになったらとても可愛い
素顔になった、なんてことありますよね。
そんな時私は
「無理して化粧しなくてもいいのに」
なんて思ってしまいます。
当時の通訳の方もそんな気持ちで日本の開国を
見ていたのでしょうか。
さらに、咸臨丸の航海練習を指揮したオランダ人
カッティンディーは次のように述べています。
「私は心の中でどうか、今一度ここに来て、
この美しい国をみる幸運にめぐりあいたいのだと
ひそかに希った。
しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸福に
恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出会うか
と思えば、恐ろしさに耐えられなかったゆえに、
心も自然に暗くなった。」
彼らは、自分たちがこれから日本にもたらそうとしている
文明が、日本古来のそれよりいっそう高いものである
ことに確信をもっていたようですが、それが
「果たして一層多くの幸福をもたらすかどうか」
については自信がなかったようです。
これから日本が世界で戦争に巻き込まれたり
仕掛けたりしていくようになると、今持っている
日本人の幸福感が消えてしまうのではないかという
不安を抱いたのかもしれません。
そしてこれら外国人が感じた日本の将来に対する予感は
今から考えると非常に鋭い洞察だったといえそうです。
一言でいうと 「当っていた」 という感じです。
この開国による 「文明開化」 は時の明治政府の
思惑とも一致していました。
従来のものを壊して新しいものを導入する ・・・
現代の政治でもそうですが、新政権を取った者は
自己の正当性を強調するために、前政権を否定する
傾向があります。
江戸時代の建物や資料があまり残っておらず
当時の様子を知るのに上記のような外国人の
記録を見ないと分からないのもそういった理由から
かもしれません。
明治の新政権が誕生した際、伊藤内閣が
自分たちの新しい政権を正当化するために、
旧勢力を抹殺するため、江戸時代の建物や資料を
消滅させてしまったという面があるのかもしれません。
そしてそのようなことは珍しいことではないのです。
世界の歴史を見ても、戦争に勝った部族や国というのは、
負けた部族や国を完全に支配下におくため、
負けた部族や国の反勢力の芽を摘むために、
徹底的に負けた部族や国の文化や建物・要人を
抹殺しています。
明治政権が誕生した際も、それに近いことが
行われたのかもしれません。
実際、大政奉還が行われて江戸幕府は終わったのに
そのあとで鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争などが
起こっています。
上野合戦 (Wikipedia より)
将軍徳川慶喜は大政奉還の後、全国の全ての
大名と各藩の有力藩士による ”議会” を開催し、
その場でどのような政府を作るかを
討議し、議決しようと考えていました。
でも議会で多数決になったら自分たちの意見は
少数になって通らなくなる・・・ と危機感を抱いた
薩摩や長州は
「この際、武力に訴えて権力を握ってしまおう」
と考えて起こしたのが鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争と
いう側面があるようです。
そして徳川幕府のメンバーを一掃した明治政府による
政治が始まりました。
新政府の考えのもとに法律や様々なルールが決められ
教科書も作られていき、「歴史は勝者によって作られ」 ながら
江戸時代の日本の真の姿は忘れられていきました。
