未曾有の地震から2年近く経ちますが、
東日本大震災を調べていると、どうしても
人工地震であるとの疑惑が生じてきます。
でもそもそも、そんな大がかりな
人工地震は可能なのでしょうか?
こんばんは、石井です。
科学の進歩の原動力の一つに
戦争があります。
戦争ではそれこそ死に物狂いで相手に
勝とうとしますから、いろいろな知恵が
出されます。
例えば第二次世界大戦で米軍は
大量のペンキを投下して、富士山を
赤く塗る作戦を計画していました。
冗談のような本当の話です。
目的は日本人の士気を下げるためでしたが、
ペンキの量と飛行機での運搬費などの
コストの問題により中止されました。
赤い富士山にならず本当に良かったですね。
当時、CIAの前身である米戦略事務局 OSS に
よって作成されたOSS 機密文書
「日本本土への地震兵器による心理的軍事作戦」
の10ページ目には次のように書かれています。
(2005年4月に米国で情報公開)
「日本人の間に集団ヒステリーとパニックを
起こすのに大きな歴史的役割を果たしてきた
2つの顕著な要素がある。
それは、「火事」と「地震」である。
この2つが経済的にひどく追い詰められた
時に起こると、その後に社会的混沌が続いた。
今や我々は、経済的な問題が既に
日本国内に存在することを知っている。
また「火事」は、現在我々の大規模な
爆撃により適宜起こされている。
今我々が利用すべきものが一つだけ
残されている。
それは「地震」である。」
※ 典拠:「OSS PSYCHOLOGICAL WARFARE
EARTHQUAKE PLAN AGAINST
JAPANESE HOMELAND」
火事と地震が身近で怖いものであるという
日本人の特性をよく研究していますね。
そして実際、戦時中の1944年 B29 散布ビラ
というものが存在しており、そこには日本語で
次のように書かれていました。
「1923年諸君の国に大損害を及ぼした
彼の大地震を記憶してゐるか。
米国はこれに千倍する損害を生ぜしめる
地震をつくり得る。
かくの如き地震は二トン半乃至四トンの
包みにして持って来られる。
(中略)
諸君の家屋は崩壊し、工場は焼失し、
諸君の家族は死滅するのである。
米国式地震を注目せよ
諸君はそれが発生する時を知るであらう。」
1923年の大地震とは関東大震災のことですね。
それくらいの規模なら 2.5トン~4トンの爆弾で
地震を起こせると言っています。
また最後の一文の英語原文は
You will see it very soon.
となっています。
つまり、「すぐに見る(知る)ことになるだろう」
ということです。
※ 典拠:「宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争」
(一ノ瀬俊也著 柏書房株式会社 2008年)
実際、その年(1944年)の12月7日には
M7.9、旧震度階・烈震という関東大震災並みの
東南海地震が起きました。
当時は航空機が非常に重要であり、日本は
2.5倍増産計画を立てて戦況を立て直そうと
していました。
が、この地震により航空機の国内最大生産工場
である中島製作所等が壊滅的な打撃を受け、
2.5倍計画は夢となり敗戦が間近なものになりました。
この地震のあと被災地に B29 から再び
ビラがまかれており、そこには
「地震の次は何をお見舞いしましょうか」
と書かれていました。
※ 典拠:「NHK シリーズ証言記録・市民たちの戦争」
(2011年8月10日放映)
当時、国民にその実態が伝えられることは
ありませんでした。
新聞では小さい記事で地震が起こったという
事実のみが知らされ、震災被害者たちにも
厳しい箝(かん)口令が敷かれていました。
被害の大きさなどは一切、伝えられ
なかったのです。
ところで、自然地震はP波とS波からなります。
最初、カタカタ ・・・ と窓などが揺れる
P波(初期微動)があり、
次に、ぐらぐらっ ・・・ と大きな揺れである
S波(主要動)が来ます。
私たちにはおなじみですね。
ところが爆発によって起こる地震は
初期のカタカタ・・・がなく、いきなり
ぐらぐらっと大きな揺れが来ます。
そしてこの東南海地震では当時の地震計の
記録による波形が、紀伊半島沖震源で
ある程度の距離があるにもかかわらず、
初期のカタカタ・・・ がほとんどありませんでした。
これも人工地震であることを裏付ける
ものとなっています。
OSS 機密文書は1945年にまとめられたものであり、
その時点ですでに人工的に巨大地震と津波を
起こすための技術を確立していたといえます。
そしてこの機密文書の終わりは次のように
まとめられています。
「この地震の潜在力に引き金を引くということの
科学的可能性については、最近原子爆弾が
できたことで、さらに大きな推進力が加わった。
わずか一個ではるかに大きい破壊力をもつ
原爆の発明は、地震の潜在性に引き金を引く
可能性に関し、実現可能性をさらに前にすすめた。
このことはさらに、原子爆弾の破壊的威力で、
断層帯の地下深くで地震をおこし、地震波や
結果として放射能も放たれる可能性を増した。
原子爆弾と大規模爆撃で地震の引き金をひくという
科学的可能性をもとに、われわれはこれに
心理計画を結びつけ、日本人の心に、原子爆弾の
放射能破壊力でおこした地震の恐怖を付け加える。」
これが今から70年近く前のことです。
当時の情報機器はせいぜいラジオしか
ありませんでしたが、現在はテレビはもとより、
インターネットが網の目のように広がっています。
隔世の感があります。
この間、軍事機密のベールにある戦争兵器は
どれくらいの進化を遂げているのか
想像もできません。
当時でさえできていた人工地震の技術が
さらに磨かれているとすれば、現在ではどのように
なっているのでしょうか・・・。