沈黙(村上春樹全作品1979-1989⑤)
村上春樹
講談社
「僕がボクシングを気に入った理由のひとつは、そこに深みがあるからです。・・・孤独です。でも悲しくないんです」とボクシングの魅力を語る言葉に象徴されるように、「大沢さん」が「僕」に話す回想の形をとりながら、若者が、悲しくない孤独、自己、自我を獲得していく過程が描かれている。
大沢さんと対極的な人物で乗り越えるべき存在として描かれる「青木」の人物描写がいい。大沢さんと青木はお互いに嫌悪感を抱いていて、大沢さんは青木について、「彼の要領の良さと、本能的な計算高さ」、その「エゴとプライドの臭い」を「とても巧みに消し去」る「それなりに頭のいい男」と表現する。
大沢さんはふとしたことがきっかけで青木を殴ってしまい、青木の復讐を受け一時は心身がボロボロになりながらも、最後には青木を「本物の喜びや本物の誇りというようなもの」を「永遠に理解できない」人間ととらえ、逆に「深みというものの存在を理解する」自己を意識し立ち直っていく。また、大沢さんは「でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の話を無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。」とも付け加える。
中高生向けの教材としても使われていることからもわかるように、村上春樹の作品の中では非常にわかりやすい部類だと思う。他人に流されない自己を形成することの大切さというシンプルなテーマをそれこそ「深み」のある表現でとりあげている。