長篠の戦い史跡めぐり 弐 | 〜ある愛知のカープファンの抒情〜

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愛知在住カープファン・eviltailの、その日常。

長篠城址から車で15分ほど移動。まずは馬防柵の再現されている設楽ヶ原の激戦地へ。







信長が、兵士に岐阜より担がせてきたと言われる木で作ったこの柵で、武田の騎馬隊を防いだと言われています。辺りは田園風景が広がっていますが、最近でもこのあたりの土地からはこの戦いで使われた鉄砲の玉が出土することがあるそうです。


次の場所に移動している最中に、馬防柵のところに土屋昌続の戦死の地の碑があったことを思い出すも、時間も限られているため今回は引き返すのは断念。何しろここに来たのは20年前近く前なので、やはりところどころ記憶が飛んでます(^-^;


次は設楽原歴史資料館の近くにある信玄塚(戦死者を葬むったとされる塚)にある、原昌胤の墓を…と思ったら、なくなってる!   看板は残っているのに…(^-^;



が、少し遠くの方を見ると、「原隼人佐昌胤」(はらはやとのすけまさたね)の文字が見えます…。


そちらに行ってみると、ありました、そこに。いつ移動したんだろ?   まあ、この辺りには25年も来ていなかったので、こういうことがあっても不思議はないわけですが…。



名陣馬奉行として信玄から絶大な信頼を寄せられていた名将・原昌胤も、この地で倒れました。



昌胤の墓に手を合わせて車に戻り、次は山県昌景の墓に行こう…と思ったものの、記憶がない…。林の中の、何だかものすごく寂しいところにあった記憶はあるのですが、こちらも何しろ25年前ですから(^-^;


しばらく車で周辺をうろうろしていると、道路脇に史跡マップの掲示板発見。それを見ると、あらっ、さっきの原昌胤の墓の近くだ…。


ということで再び信玄塚に戻り、原昌胤の墓の方に向かって歩いていくと、古い石製の道標があり、そこに山県昌景の墓の方向が記してありました。


それに従い、林の中の獣道を進んでいきます。



すると、開けたところにありました、お墓が。





あれ?  でも増えてる…。昔は1つしかなかったのに4つ…。



これはいかに…?


…画像が10枚までしか貼れないのでまたまた続きます。