≪今日の読み物≫
 
 
ベル二十四節気「小雪」
 
11月23日1時08分「小雪」です。旧暦10月、亥(い)の月の中気で、立冬後15日目。天文学的には太陽が黄経240度の点を通過するときをいいます。
 
 
小雪(しょうせつ)とは、寒さまだ厳しくなく雪まだ大ならずの意。暦便覧では「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」と説明しています。
 
 
市街に本格的な降雪はないが、遠い山嶺の頂には白銀の雪を眺めることが出来るようになり、冬の到来は目前と感じる頃です。みかんが黄ばみ始めます。
 
 
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 「七十二候」
 
初候◆「虹蔵不見」(にじ かくれて みえず)
 
◇虹を見かけなくなる時節。
 
 
次候◆「朔風払葉」(さくふう はを はらふ)
 
◇北風が木の葉を払いのける時節。朔風(さくふう)
 =北から吹いてくる風。北風。朔吹とも。
 
 
末候◆「橘始黄」(たちばな はじめて きなり)
 
◇ようやく橘の葉が黄葉し始める時節。
 黄ばむ=黄葉する。
 
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本「勤労感謝の日」
 
「勤労感謝の日」は、国民の祝日の一つで、祝日法では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」ことを趣旨としています。昭和23年(1948)公布、施行の祝日法で制定されました。
 
 
戦前は「新嘗祭」(にいなめさい)と称し、明治4年(1872)迄、旧暦11月の2回目の「卯の日」に行なわれていました。天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、自らも新穀を食して、その年の収穫に感謝するという皇室の祭祀でした。現在でも農業関係者による祭典という色彩が濃いのもこの為です。
 
 
新嘗祭は、飛鳥時代、皇極天皇の御代に始められたと伝わります。一時中断されていましたが、元禄時代、東山天皇の御代に復活しました。新嘗祭自体は、伊勢神宮及びそれに連なる神社の祭儀となり、伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされて「大御饌」(おおみけ=神が召し上がる食事)を供える形式となりました。
 
 
趣旨の中の「勤労をたっとび」とは、「収穫をもたらした1年の勤労を尊ぶ」の意なのでしょう。この日を中心に「農業祭」が行われます。農林水産物展示会・資材展・技術研究発表会などが催され、優秀参加出品には天皇杯や農林水産大臣賞が授与されます。
 
 
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本「笠間稲荷献穀献繭祭」
 
「笠間稲荷神社」(かさまいなりじんじゃ)は、第36代孝徳天皇の白雉2年(651)創建。旧社格は村社。現在は神社本庁の別表神社。別称「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)、紋三郎稲荷とも。1350余年の歴史を有します。
 
 
奈良時代、和銅6年(713)に、元明天皇の詔によって編纂が命じられた「常陸国風土記」には、「新治の郡より東五十里に笠間の村あり」と記され、その頃には笠間のこの地で「古事記」や「日本書紀」に描かれる「宇迦之御魂神」(うかのみたまのかみ)への信仰が深く根ざし、食物の神、農業の神として崇敬されていたことがわかります。
 
 
近世になると、農家ばかりでなく商家、町屋、武士、大名に至るまで分霊され、屋敷神、家庭神、地域神として祀られるようになりました。江戸時代には、歴代笠間藩主の崇敬篤く、初代藩主の松平康重公は丹波篠山に移ってからも笠間稲荷大神の分霊を祀り、今の王子山稲荷となっています。
 
 
「イナリ」の語源は「イネナリ・稲成、稲生り」で、稲が育つさまを表しているとも、「イネカリ・稲刈」の「刈」が「荷」に誤られたとも、「イナニ・稲荷」が「イナリ」に転訛したとも言われています。
 
 
神名「宇迦之御魂神」(うかのみたまのかみ)の「ウカ」とは「貴い食物」の意。つまり宇迦之御魂神とは「稲に宿る神秘的な精霊」を表し、五穀をはじめ一切の食物を司る神さま、生命の根源を司る「いのち」の根の神さまといわれます。宇迦之御魂神は、須佐之男神(すさのお)と神大市比売神(かむおおいちひめ)との間に生まれた神さまです。
 
 
新嘗祭(にいなめさい)はその年の新穀を神々に供え収獲を感謝する祭儀ですが、笠間稲荷では「献穀献繭祭」(けんこくけんけんさい)と称して、明治41年に始められ、初穂米(神様に奉納する新米)の奉納と、神社の御神饌田にて栽培した種籾の頒布を受けた人々の謝恩奉納、更に養蚕業発展を目的とした献繭祭、また、献穀品評会・献繭品評会が開催されます。
 
 
穀類約2000点・繭類約300点が出品され、農林水産省他に審査を依頼。11月23日には御神前において優秀者の表彰が行われ、境内には出品物の展示も行われます。
 
 
笠間稲荷神社◇茨城県笠間市笠間1番地
 
◇JR水戸線「笠間」
◇北関東自動車道「友部IC」国道355号
◇常磐自動車道「水戸IC」国道50号
◇高速バス:東京八重洲南口から1日6往復運行
 
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本「熊本八代妙見祭」
 
「八代神社」(やつしろじんじゃ)の祭神は「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)妙見菩薩」です。
 
 
後鳥羽天皇の勅願により文治2年(1186)八代平野に「妙見宮」が創建されました。「妙見縁起」には、むかし漢土の白木山神が目深・手長・足早となり、明州の津より亀蛇(きだ)に駕して天武朝の白鳳九年に来朝し、八代郡土北郷白木山八千把村の竹原の津に着岸、三年仮座、次いで益城郡小熊野郷千代松ヵ峰に移り、そして八代郡横嶽(上宮)に鎮座したとありま
す。
 
 
明治4年に「八代神社」に改称。現在の建物は、元禄12年(1699)と寛延2年(1749)に改築されたもので、社殿は県指定の重文。入母屋造りの屋根の正面には千鳥破風が設けられ、これらの妻飾りには数多くの彫刻が使用され、江戸時代中期から後期にかけての社寺建築の特徴をよくあらわしています。
 
 
「妙見信仰」とは、北極星あるいは北斗七星を崇拝する信仰で、妙見信仰を持つ文化集団が、中国大陸から永住の地を求めて八代に上陸したと歴史書に記されています。「北極星」あるいは「北斗七星」は、天の中心の星であり「天帝の星」とも。四神の一つ「玄武」は北の守護神で、北は水を意味し、北斗七星も柄杓の形をした司水の神さまでもあります。
 
 
11月中旬に行われる祭礼「妙見祭」は、九州三大祭りの1つに数えられています。神輿渡御式の際に約5mの亀蛇が首を振りながら道を清めて歩くことで有名です。神幸行列には、奴・神輿・笠鉾・獅子舞などを伴って行列し、最後に飾り馬・神馬が駆けます。獅子舞は中国色の強い珍しいもの。神事の神幸行列は、県の無形民族文化財に指定されています。
 
 
八代神社◇熊本県八代市妙見町405
 
◇JR「八代駅」バス10分
◇九州自動車道「八代IC」5分
 
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ベル素敵な一日を
 
お過ごし下さいませ
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「豊川稲荷秋季大祭」
 
「豊川稲荷」(とよかわいなり)は、伏見稲荷大社、祐徳稲荷神社と並ぶ日本三大稲荷の1つで、商売繁盛の善神として有名。曹洞宗の寺院で、正式寺号は「円福山豊川閣妙厳寺」(みょうごんじ)。
 
 
稲荷は鎮守として祀られる「荼吉尼天」(だきにてん)のことで、本尊は千手観音です。「荼吉尼天」が稲穂を荷い、白い狐に跨っていることから「豊川稲荷」が通称として広まりました。
 
 
鎌倉時代、東海義易禅師の師・寒厳義尹が入宋の折、荼吉尼天の加護を受け、後に鎮守として祀られるようになりました。今川義元、織田信長、豊臣秀吉、大岡越前守忠相、渡辺崋山などの武人、文人達の信仰を集め、江戸時代になると、大岡忠相、渡辺崋山からの篤い信仰を受け、庶民の間では商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まりました。年間数百万人の参拝者が訪れます。
 
 
「稲荷神社」としては京都の「伏見稲荷大社」を総本山としていますが、「豊川稲荷」は神社ではなく寺院で、信仰対象は稲荷の部分はあるものの、伏見稲荷とは同一ではありません。また俗説に「平八狐」を祀っているとも。
 
 
豊川稲荷といえば「稲荷寿司発祥の地」とされますが、スタジオジブリ「平成狸合戦ぽんぽこ」に出てくる「平八狐」(鈴木平八郎の化身)を祀っているとしても有名になりました。徳川吉宗が将軍になる前のお家騒動「狐の戦い」に出てくるのが平八狐なのだそう。
 
 
「秋季大祭」は、豊年感謝祭で、神輿渡御や稚児行列が賑やかに行われます。境内にある高さ10m、直径5mの一対の大提灯が掲げられるため「大提灯まつり」とも呼ばれます。
 
 
豊川稲荷◇愛知県豊川市豊川町1
 
◇JR飯田線「豊川駅」徒歩5分
◇名鉄豊川線「豊川稲荷駅」徒歩5分
◇東名高速「豊川IC」から国道151号
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「京都東本願寺報恩講」
 
真宗大谷派本山「東本願寺」は、浄土真宗の仏教寺院で、真宗教団連合(真宗十派)の一つ、真宗大谷派の本山です。
 
西本願寺(浄土真宗本願寺派の本山、正式名称は本願寺)と並ぶ浄土真宗の大本山で、正式の寺号は昭和62年(1987)迄は「東本願寺」、以降「真宗本廟」(しんしゅうほんびょう)といいます。同じ下京区にある「西本願寺」と区別するため「お東さん」とも呼ばれます。
 
 
宗祖・親鸞の命日にあたる28日「報恩講」と呼ばれる法要が行われます。親鸞聖人像が安置される御影堂は、世界最大級の木造建築物です。親鸞の木像前で、僧侶が正座して上半身を力強く揺すりながら念仏を唱える「坂東曲」(ばんどうぶしは、顔を紅潮させた僧侶が体を反らしたり、しゃがみ込んだりしながら、約400畳の堂内と堂外計4000人の門信徒が手を合わせます。
 
 
「坂東曲」は親鸞が越後へ流される途中、嵐に揺れる船上で念仏を唱えた故事に因むとされ、浄土真宗の中でも同派にだけ伝わります。親鸞を偲ぶ約1週間の法要の締めくくりに行われます。
 
 
東本願寺◇京都府京都市下京区烏丸通七条上ル二丁目常葉町754番
 
◇JR「京都駅」徒歩7分◇地下鉄烏丸線「五条駅」徒
歩3分◇京阪電鉄「七条駅」徒歩15分
 
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本「近松忌」
 
「近松門左衛門」(ちかまつもんざえもん)は、江戸時代前期の元禄期に活躍した歌舞伎・人形浄瑠璃の劇作家で、本名は杉森信盛。松平昌親に仕える越前藩士・杉森信義と医者の家系の岡本為竹法眼の娘・喜里の間に誕生。幼名は次郎吉。諱は信盛。
 
 
浄瑠璃では竹本義太夫、歌舞伎では坂田藤十郎と組んで活躍しました。100作以上の浄瑠璃を書きましたが、そのうち約20曲が世話物、残りは時代物です。
 
 
「世話物」とは、町人社会の義理や人情をテーマとした作品で、それまでにない浄瑠璃の新しい分野として爆発的な人気を呼びました。世話物は近松作品の大きな特徴と言われます。「虚実皮膜論」という芸術論を持ち「芸の面白さは虚と実との皮膜にある」と唱えました。
 
 
曽根崎心中などの心中物は庶民の共感を呼び、人気を博しましたが、作品の真似をして心中する者が続出するようになったため、享保8年(1724)幕府は「心中物」の上演の一切を禁止。このため作家たちは心中物の脚本を書くことを断念せざるを得ませんでした。翌年の享保9年(1725)近松は72歳没。
 
 
忌日の11月22日(一説には21日とも)は、近松忌・巣林子忌・巣林忌と呼ばれ、冬の季語になっています。「久々の下り役者や近松忌」(中村吉右衛門)
 
 
墓所は日蓮宗「広済寺」。天徳1年(957)多田満仲が妙見菩薩を勧請して創建。後、正徳4年(1714)日昌が堂宇を建立と伝わります。俗称・近松寺。
 
 
広済寺◇兵庫県尼崎市久々知1丁目3-27
 
◇JR東海道線・東西線・宝塚線「尼崎駅」から
 バス「近松公園前」下車。
 
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ベル素敵な一日を
 
お過ごし下さいませ
 
(癶▽癶)☆彡
 
 
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≪ 今日の暦 ≫
 
 
11月21日(月)
 
庚辰 かのえ・たつ
 
八白土気 はっぱく・どき
 
大安 たいあん
 
 
京都東本願寺報恩講~28日
 
近松忌
 
☆採水日
 
  
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≪今日の凶殺方位≫
 
 
日破殺 戌【北西】九紫
 
暗剣殺 艮【北東】二黒
 
五黄殺 坤【南西】五黄
 
定位対冲 艮【北東】二黒
 
 
※凶殺方位は、どなたさまにとっても悪い方位となりますのでお出掛けの際には十分ご注意下さい。
 
また、この方位に向かっての約束事などは良い結果に至りませんので避けて無難です。

 
 
起こりうる現象は?
 
PC http://www.yunmu.info/
 
Mobile http://www.yunmu.info/m/
 
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≪あなたの今日の運勢は?≫
 
 ◎◎攻めも守りも好調
 ◎ 攻めて順調
 ○ 守って無難
 △ 謙虚な姿勢で穏やかに
 ▲ おとなしく明日に期待
 ▲▲休養第一早めの就寝を
 
☆今日は採水日です。あなたの本命星にあった祐気方位に出かけて必要なエネルギーをしっかり補充しましょう。
 
 
一白水星△
 
道ならぬ恋に落ち、酒に溺れるはNG。ひとりの時間を大切に。
 
 
二黒土星▲▲▲
 
横道に逸れたり振り回されたり、人の世話を焼けば逆効果に。
 
 
三碧木星△
 
能力や功績が認められ栄誉を得るも無愛想では攻撃を食らう。
 
 
四緑木星△
 
安請け合いは禁物。根も葉もない噂に振り回されないように。
 
 
五黄土星▲
 
欲がらみの話に関与すれば身包み剥がされ路頭に迷うことに。
 
 
六白金星△
 
日頃の行いが表面化する。大金の絡む話にはご注意を。
 
 
七赤金星▲
 
人間関係も含め身辺の整理整頓を。予想外の出費に注意。
 
 
八白土星△
 
欲張ってアチコチに首を突っ込めば迷惑を掛ける結果に。
 
 
九紫火星▲
 
自己過信から墓穴を掘り、欠点ばかり目立って事は破れる。
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 

ドキドキ素敵な一日を
 
お過ごし下さいませ
 
(癶▽癶)☆彡
 
 
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≪今日の読み物≫
 
ベル「方位と祐気取り」
 
 祐気取りで 運のいい人に?
 
 
地球上の生物の一員である人間も、宇宙自然の法則から逃れられることは出来ません。その中で、健康に恵まれるのは最高の幸せといえるでしょう。
 
 
反対に、病気や怪我などは、大きな不幸をもたらします。方災による疾病に注意し、もし病気に罹ってしまった場合は、祐気方位の病院を選んでの、早めの診療をおすすめします。
 
 
祐気を効果的に使うには、出来るだけ年盤と月盤の両方が祐気になる方位を選用します。近距離の場合は月盤の作用が強く、遠距離では年盤の作用が早く出現します。
 
 
年盤も月盤も祐気方位の場合は、長期遠方旅行をおすすめします。年盤が尅気方位で月盤が祐気方位の場合の選用は、近距離を使います。近距離選用の場合は、何度も祐気取りをします。
 
 
祐気の選用を行なう場合は、普段寝食している自宅や、会社からの正しい方位を知る必要があります。地図の線引きも致しておりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。
 
 
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 事の吉凶を問わず、結果には必ず原因があります
 
 
祐気採りをして正しい方向に努力し、良い原因を作っておくことは、将来の良い結果の発現に繋がる最良の方法と確信しています。自然の中で生かされていることを知り、将来の過ごし方を計画されてみてはいかがでしょうか。
 
 
「運が悪い」と思う人はまず祐気採りをお勧めします。祐気採りをするとトラブルが自然と消えたり、今までの努力の成果が報われたり、大自然が自分の味方をしてくれるようになります。
 
 
「運が良い」と思う人は祐気採りを楽しく実行しています。ぜひ祐気を取りにお出掛け下さい。自分では気がつかなくても、祐気取りによって確実に運気が上がっていきます。
 
○o。..:*・(uωu人)・*:..。o○
 
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「小犯土」
 
「小犯土」(こつち)は選日の一つで、戊寅の日から甲申までの7日間をいいます。
 
 
この期間中に土を犯す事は忌むべきで、特に屋敷内の動土は凶。穴掘り、井戸掘り、種蒔きなどの土いじりは一切慎むべきとされ、これを犯すと災害を被るとされています。
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
本「一茶忌」
 
「小林一茶」(こばやしいっさ)は、江戸時代を代表する俳諧師の一人で、本名は小林弥太郎。信濃の北部(長野県)の貧農の長男として生まれ、3歳の時に生母を失い、8歳で継母を迎えます。その継母に馴染めず江戸へ奉公に出され、奉公先を転々としながら25歳の時「二六庵小林竹阿」に師事し俳諧を学びます。
 
 
29歳で故郷に帰り「寛政三年紀行」を書きます。翌年から俳諧の修行の為、近畿・四国・九州を歴遊。様々な俳人と交流し、句集「たびしうゐ」「さらば笠」を出版。
 
 
39歳の時、再び帰省し病気の父を看病しますが、1ヶ月後に死去。以後、遺産相続で継母と12年間も争うことに…。一茶は再び江戸に戻り、俳諧の宗匠を務めながら遺産相続権の主張を続けました。
 
 
50歳で再度故郷に帰り、翌年にようやく遺産相続が和解。翌々年28歳のキクを妻に迎え、3男1女をもうけますが、何れも幼くして亡くしています。
 
 
妻キクも痛風がもとで37歳の若さで生涯を閉じます。2番目の妻を迎えますが2ヶ月で離婚。3番目の妻・ヤオとの間に1女・ヤタをもうけますが、一茶の死後に産まれ、明治まで生きて一茶の血脈を後世に伝えました。因みに、真田幸村研究の第一人者として知られる小林計一郎は一茶の子孫です。
 
 
文政10年(1827)6月1日、大火に遭い母屋を失います。焼け残った土蔵で生活をする一茶は、その年の11月19日その土蔵の中で65歳の生涯を閉じました。
 
 
家庭的に恵まれない一茶でしたが、北信濃の門人を訪ねて俳句指導や出版活動を行い、俗語・方言を交えながら屈折した感情に基づく独自の作風を示しました。
 
 
句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」など、2万句にもおよぶ俳句を残しています。
 
 
一茶記念館では、この日一茶を偲んで、法要・俳句大会・そば会などが行われます。
 
 
一茶記念館◇長野県上水内郡信濃町柏原2437-2
 
◇JR「長野駅」から信越線「黒姫駅」徒歩5分
◇上信越自動車道「信濃町IC」3分
 
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