2023.08.16 設楽原古戦場跡を歩く②(勝楽寺〜馬防柵) | 明るい朝の『お散歩日記』

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8/16水曜日に行った

愛知県新城市の設楽原古戦場跡

散策の続きです。
 

 

設楽原古戦場跡

 

いわゆる『長篠の戦い』です。

織田・徳川連合軍と武田軍との戦いです。

 

 

三河東郷駅

 

 

 

聖堂山 勝楽寺

 

三世 朝玄賀和尚は、

長篠・設楽原の戦いの後には、

死者の霊を弔う大施餓鬼を行い、

松明を炊いて供養したといいます。

 

この供養は「火おんどり」として

現在も受け継がれています。

 

勝楽寺という寺号は、

古くは「松楽寺」という表記でしたが、

武田家を打ち破った

織田信長・豊臣秀吉と徳川家康が

松楽寺で戦勝の祝杯を上げ、

「松」を「勝」に改めたと

言われています。

 

 

戦死者供養が 火おんどり に引き継がれています。

 

 

 

勝楽寺前激戦地

 

武田軍の山県昌景隊と

徳川軍の大久保忠世・忠佐兄弟が

戦った場所。

 

 

山門

 

 

山門の仁王像

 

 

本堂

 

 

聖観音菩薩像

 

 

下から見上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飯田線を再び超えて

散策を続けます。

 

庚申塔

設楽原合戦と関係あるものか分かりません。

 

 

東郷中学校が見えます。

 

 

中学校に馬防柵

 

 

 

八剣神社

 

 

 

家康公本陣跡

八剱山に家康が本陣を構えました。

 

 

拝殿

神社らしくない造り

 

 

本殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康公物見塚

 

長篠役設楽原決戦跡碑があります。

小説『家康』の著者 山岡荘八の揮毫。

 

 

段上山古墳が物見塚

 

 

前方後円墳らしいです。

 

 

円墳部の丘を登ります。

 

 

ここが物見塚

 

 

戦場を見渡せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連吾川

 

連吾川を挟んで

織田徳川軍と武田軍が対峙します。

 

 

 

竹広激戦地

 

家康公本陣に最も近い場所なので、
山県昌景隊をはじめ武田軍が集中的に攻撃しました。

 

 

 

武田軍馬供養塔

当初は、

武田家将士、武田家家臣将士、

武田家軍馬、武田家家臣軍馬の

四基あったそうでうが、

残っているの2基だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山縣昌景の墓

この写真の奥にあります。

 

 

山の中に入ります。

 

 

塚が並びます。

 

 

山縣昌景の墓

 

 

 

 

 

 

 

 

何かあります。

 

 

赤備えの小幡隊

 

 

 

小幡信貞の墓

武田の赤備えの武将

 

 

 

 

 

 

甘利信康の碑

武田家の重臣

馬防柵を突破する勢いだったが、

押し戻されて自害。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柳田前激戦地

生き残った武田軍の各隊が合流して

最後の突撃を行った場所

 

 

連吾川

 

第二東名が景観破壊しています。

 

 

川の先に馬防柵が見えます。

 

続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回歩いたルート

(右側が北です)

 

配陣図

(上が北です)