一瞬だけ、今だけ(>_<)オペラ座デザインにさせてください。
私のミーハーっぷりが顕になってしまいますが、見事にハマってしまった・・v卒業式の次の日に見に行ったのでだいぶ乗り遅れてるけど(笑)
映像も曲もキャストも良かった。もうなによりファントムに惚れ込んだ!!
原作を読まずに映画だけ見た怠慢な奴ですが、先入観がないという意味では純粋に楽しめました。原作も絶対読む!
Overtureを聴いただけでぞくぞくします。
サントラもDVDも欲しいけど、きっと劇場の迫力が一番でしょうね。

終わっちゃったので画像貼っとこうっと。

opera

2005年3月19日(土)快晴
sunflower
一生忘れることのない日になるに違いない。
大好きな人たちに見送られ、大好きな人たちと一緒に、大好きな学校を旅立つことができた。
後輩の送辞で泣かされながらも励まされ、そのお陰で心を込めて答辞を読むことができた。式後に皆がかけてくれた言葉から、私が半ば諦めていた、「気持ちを伝えること」ができたのだとわかって、収拾がつかないくらいに涙が溢れてしまった。嬉しかった。自信をもらった。ありがとう。ありがとう。

先生お墨付きの「最高の」卒業式で、JG生活の幕を下ろすことができた幸せをいまだにかみ締めている。
涙は今も止まらないけれど(おいおい)、寂しさだけじゃなく、温かい気持ちも混じってとても満たされた気分だ。
新しい世界に歩き出すなんて堂々と宣言しちゃったけど、私が飛び込む新しい場所はまだ姿を見せてくれないし、まぁ正直、高校に未練たらたらな足踏み野郎なのです。しばらくは耐えて待つしかない。

卒業したってJG生だし。これからも出没するし。
JGが私の中に染み込ませた色は決して褪せないだろうから。
嫌でも、ね(笑)
この学校で良かったと、いつになっても思えるような奴でいたい。
私が一番に誇れる、大切な「出会い」だから。
小学校の卒業文集の表紙に自分で書いた題名である。
なんとも平凡でありながら、たくさんある平凡な言葉の中で何を思ってこれを引っ張り出したのかはよく覚えていない。
私の小学校の卒業式ではひとりひとり壇上で抱負を叫ぶ。
「中学校で新しく学ぶ英語を頑張って、将来は世界に羽ばたく人になりたいです」
と言い放った私はまだ世界の全体像さえまるでつかめていないただのガキだった。
かっこいい響きにつられて言ってみたという不届き者だったわけだが、いつのまにやら本当の目標になっているのだから実に恐ろしい。昔の自分に刷り込まれた感がなくもないような・・。

さて卒業式を19日に控えた今の私は、華の中高生活から無事旅立つことができるのか。
大好きな人たちに会えなくなる寂しさに胸をしめつけられる毎日が足早に通りすぎていくようでさらに心細くなる。
六年間を締めくくる卒業式を、最後の仕事を、無事にこなしたいなぁと切に願うばかりだ。あードキドキ。

皆さんは卒業シーズンをどんな気持ちでお過ごしでしょうか・・。
4月になったら合格のお便りも来ることだし、留学仲間で集ったりしたいね!
になるべく、せっせと身の回りに本をかき集めているところだ。
アメリカの大学での読書量は半端ないという。
速く、大量に読む訓練としても、あちらの学生との距離を少しでもつめておく意味でも、かじった程度しかない英米文学に今こそ足を踏み入れるとき!
どなたか、お勧めがあれば教えていただきたい。英米文学、日本文学、ジャンルも問わない。とっておきの一冊を紹介してください。

私が今読んでいる本は、
The Scarlet Letter (Nathaniel Harthorne)
沈黙の春 (レイチェルカーソン)
オレンジガール(ヨースタインゴルデル)
台所のおと(幸田文←大先輩。)
近代科学を超えて (村上陽一郎←卒業式の祝辞)
科学・哲学・信仰 (同上)

ついつい同時読みをやらかしてしまう。
違う種類の本なら大丈夫なんだけどね。

今までに読んだもので印象深い本は、
1984 (George Orwell)←必読書。
貧困に立ち向かう仕事 (西水美恵子)
世界の半分が飢えるのはなぜ? (?)
歴史を変えた誤訳 (鳥飼玖美子)
あなたが世界を変える日 (セヴァンスズキ)

好きな本は、
車輪の下 (ヘルマンヘッセ)
9.11ジェネレーション (岡崎玲子)
ソフィーの世界 (ヨースタインゴルデル)
カードミステリー (同上)
宮沢賢治全般

徹底的に趣味娯楽に走り続けたようで・・
これから読もうと思うのは、
ディケンズ、トルストイ、ヘミングウェイ、オースティン、ブロンテetc
と、どこから手をつけたらよいやらわからない状態。
どなたか救いの手を差し伸べてください。
六年分でもなんでも、沢山読まなければ。
本は心の栄養だしね。
Wesleyan Freeman Scholarshipの一次選考結果が出た。
思いがけず早速舞い込んできた不合格通知。
これについて書くのは辛いけれど、泣く泣く書こう。
邪魔なプライドを脱いでこそ昔の自分を超えられるのだから。

一つ目の門を閉ざされるとは思わなかった。
正直いって初めは、なんで落とされたのかがわからなかった。
勢いでStatusを暴露すると、
私立女子進学校学内1位(偶然の賜物)
成績平均 4.8
TOEFL 263(普通)
SAT Verbal 590 Math 800(普通)
SAT II Writing 630 Math IIC 770 Chinese 750(微妙)
他:器械体操部、体育委員、体育祭実行委員、アルバム委員、ボランティア
  部活の賞状が4枚。先生の粋な計らいで都知事賞をもらえる予定。
※Wesの奨学金審査ではSATはMathしか見ないらしい。

これでも?というのが正直な気持ち。
スコアや成績以外の「なにか」が足りなかった。
これは私が一番恐れていたこと。一番自信を削がれること。
なにがいけなかったのだろう。その答えを大学は教えてくれない。
点数でスパっと切られる日本の受験の方が諦めがついてよろしい気がしてくる。
エッセイかな。アピール不足かな。
私も質の悪い奴だが、思い当たる理由がない。釈然としない。

変えられないことは受け入れる。
大変お世話になった先生方や励ましてくれた友人たちに報告するのは胸が引き裂かれる思いだが、私の中で消化できていれば心配をさせずに済むはず。
私以外の誰かが必要としていた。その人はきっと幸せなのだ。
私には違う道が用意されている、と思えば、すんなりと受け止められる。
まぁ、これでさらに他が不安になったのも確かだが・・。

でも、この手痛い一撃で、こんな救いようのない私の、目を覚ましてもらったように思う。
傲慢になっていた。自信が一人歩きしていた。
全てをやりきったつもりでいた。これはいかん。
英語の勉強もろくにせず毎日頭を泳がせていただけ、大学側からなにか言ってくるのを待っていただけ。

さっき、面倒だからとやらなくてもいいと切り捨てていた、LACの面接を申し込んだ。
一生懸命な姿勢を忘れてはだめだ。今まで私を進歩させてきたのはまさにその姿勢なのだから。
大好きな英語を生かしたいと留学を夢見ていた頃。必死に単語力を増やそうとしていた自分。
謙虚でありながらも貪欲だった初心を思い出して、勤勉な私になろう。
もうできることは面接しかないけど、合格の先をも見てこつこつと下地を作るのだ。

受験生も、しっかり踏ん張れ!
華の女子校生活がもうすぐ終わる。
私の六年間をなにより彩ってくれたのは、学校の内外で出会った沢山の人たち。
中学に入るころはまだ、人を信じきることができず、自分を出すことが怖かった私が、ここまで自分を誇り、周りの人をこよなく大切だと思えるようになったのは、ほかでもない友人や先生のお陰なのだ。
隣にいることを当たり前のように思ってくれる友人がいる、ということに幾度となく救われた。生徒のために心を砕き、「運命共同体」と言い放ってくれた先生はいつまでも私の師でありつづける。
へこむととことん沈みっぱなしの私にエネルギーをくれるのも彼女たちの温かい言葉や笑顔だった。感謝って、してもしきれない場合はどうすればいいのだろうと最近は本気で悩んでいる。言葉で言おうと、モノで表そうと、到底足りるはずがないんだもの。
卒業をして道が分かれようと、彼女たちとはきっとずっと繋がっていたいと願ってやまない。

また、ブログを通して出会った素敵な人たちには様々な感動をもらっている。
奇跡的な出会いをしてしまったからかな?笑。
普通に生きていたらすれ違うことさえなかったであろう人々と結び付けてくれるインターネットに感謝感謝。健全に使えば良き「出会いの場」になるんだね。

新しい出会いは私に、まだまだ見えていない世界があるのだと気づかせてくれる。
これから私がどこへ行くかなにをするかに関係なく、必ず待っている誰かとの出会いがとにかく楽しみだ。
人は結局ひとりで生きて行く。これはまぁ捉えようによっては真実に違いない。
でも、他者に出くわさずに生きていく人はまずいない。
そうして年月と共に増え、濃くなってゆく、人との繋がりが、私達の財産なのだろうなぁ。
最近はこんな風にあったかくも切ない気持ちに浸ることがたびたび。
そういう季節なのかも。

そういえば、今日もらったメールにおもしろいことが書いてあった。
まだ解読しきってないが、女性は、友達のいるひとといないひとを比べると、いるひとの方が寿命が長く、幸せに生き、歳をとっても元気でいるらしい、ということがUCLAやHarvardでの研究でわかってきているというのだ。普通に考えて当たり前じゃん、という感じだが、対人関係のストレスに応対する特別なホルモンがあるなど、医学的にも立証されるならすごいかも。
まぁ立証されようがされまいが経験としてわかっていることだから研究するまでもないようにも思えるが。
人間はもとから他者と繋がるようにつくられたのだと改めて感動してしまったので。
それは人同士のみならず、人間と自然との関係でも同じことだろう。
人と人が、人と自然が共に生きる道を選びたいものだ。
留学準備が速度を増し、夢が近づくにつれて、なによりも怖いという気持ちで身がすくむことが多くなった。
憧れを抱いて見上げていただけの時とは違って、今私の前に続く道の先で待ち構えているアメリカの大学は、まだ高校離れできていない私にとって、厳しく立ちはだかる試練でしかない。一旦楽しいと思えれば、しめしめなのだが。
ハーバードの面接官に、読書量が半端じゃないよ、と脅された。
学校の先生も、本を山ほど読んで徹夜でレポートを仕上げたという。(ちなみに私は徹夜ができない。困った・・)
そういったことも不安の要素ではある。でも、それを一人で乗り越える力をつける為にアメリカを選んだのだから、望むところだ。
といいたいところだが、強がるのは先生の前だけにしておこう。
正直言って、そういった過酷さも怖い。
時間のたっぷりある今の時期にそれを有効に活用しきれていないことからもわかるように、私は元来自制心が弱いのだ。

でも本当に怖いのは、自分が思っていた、もしくは望んでいた世界とあまりにかけ離れていたら、ということ。アメリカの大学も然り、その後に私が出て行きたいと思っている世界も然りだ。
取り越し苦労かもしれない。
けれど、どこかでポキリと折られたきり立ち直れないような精神力ではだめなのだと思うと焦らずにはいられない。

今まで目いっぱい甘やかされて育った私は、やはり世の中に対する考えが甘いのだろう。自主性を重んじる私の学校ではあるが、自由を「与えられている」時点で俄然動きがとりやすくなる。そういう環境に慣れきってしまった。

この世界には様々な生活をしている人がいる。
そういった人々の生活を目の当たりにせず、彼らの気持ちに寄り添ったことのない私が想像してみても限度があるし、助けたい、守りたい、という思いが空回り続けることだってありうる。
粘り強く道を切り開くということが言葉ほど、想像しうるほど、簡単でないことを知っても私は気力を保っていられるのか。
アメリカに行けばなにかしら動く方法が見つかるだろう、ではあまりに心許ない。ハーバードも、自分から動けば成果は大きいが動かなきゃなにもしてくれないよと言っていた。
私にはまだまだ必要なものが沢山あるようだ。

あー、でも、結局、怖いんだよなぁ。新しい生活に突入するときはこんなものだろうか。中国から日本に来たときは完全に旅行気分だったから、覚えていない。
やはり痛感するのは語学の壁と文化の壁には手こずりそうだということ。
バベルの塔が、ちょっと憎い。

こんな時期に書きたくないけど、こんな時期だから書くべきこと。

近頃、受験生として勉強している友達を見ていて、どうにも煮え切らない気持ちが日に日に強くなってくる。
登校日は3月までしばらくお預けだが、先日のセンターの結果に一喜一憂している彼女たちを見るのはとても辛かった。一緒に泣く私も私だけど、その涙には別の悔しさが入っていた。

今に始まったことじゃぁないが日本の入試制度に疑問を感じずにはいられない。
教育自体に問題があるってことも言いたいが、その集大成ともいえるのではないかと思える受験制度を変えることができれば希望も持てるのではないか。
試験の点数だけで合否を決めるのは酷すぎる。場合によっちゃ完全に運試しになってしまう。
センターでも、いつもはできた科目ができなくて落としたり、直前に見ていたところがそのまま出て大当たりだったりという話を実体験として友達からも聞き、ムラがありすぎて実力を測れているようにはとても思えない。
もし私が受験生であったらしかし、「仕方ないよ」と割り切っていたであろうことも自分でよくわかっている。
なにしろかくいう私も、小学校の時には塾が大好きで、順位をつけられては誇らしげにしていたし、そういう受験制度の下で今の学校に入って大喜びをしていたのだから。そういう仕組みは私に合っていただろうから。
勉強だけすればいいというのは、正直楽だった。
そこがいけないのではないかと、今は思う。

受験勉強が楽だなどとは決して言わない。
学校の先生は、こんなに勉強するのは今だけなんだから頑張り時じゃない、のようなことを言うが、その勉強の仕方と内容が本質に基かなっていないのだから私にはいまいち説得力を伴って聞こえてこない。
教育の本質ってなんだっけ?と、自分でもまだ考えている段階なのだが。
少なくとも、知識をどれほど詰め込めたかで大学に入れるかどうかが決まるというシステムを許すものではないはずだ。
自分と向き合い、考える時間も満足に得られないままに学部を決めなくてはならず、悩んでいる友達を何人も見てきた。
必ずしも選択を狭めてしまうわけではないようだが、なんとなくで選ぶのはやはりおかしい。

同級生たちを見ていても、高校に入った時から塾に通い、学校では必要な科目以外は「捨てる」ようになっていき、授業中は寝るか内職、という人も珍しくなかった。
中高一貫の名門(?)進学校であるわが校では、塾に缶詰にならなくても、良い(これも言い切りたくないが)大学に行くことは十分にできると、先生はおっしゃっていたし、そうしてこられた先輩方もいる。私は実感していないのでなんともいえないが。
比較的どころか、かなり自信をもって言い切れるほど自由主義なわが校では、受験に際して全く何も干渉してこない。
他の学校を知らないのでこれまたなんとも言えないが、プレッシャーをかけられない代わりに、頼まない限りなにもしてくれないだろう。
私自身は留学準備の為に頼み込んで先生方に時間を山ほど割いていただいた。
そんな学校が私は大好きなのだけれど。

ともかく、そんなわが校でも、生徒たちは焦りに焦り、私から見れば学校での時間も惜しむようになっていった。
私の観察眼に頼るだけでは怪しいものだが、もちろん例外がいることも見て取れた。
そういう賢い子達はうまくバランスをとって生活していて、学校の時間も有意義に過ごしていた。
自分のペースを崩さずに、息抜きのタイミングも知っていたであろう彼女たちは、受験もなんなく、でも確実に、乗り切っていくだろう。

どちらにしても、ともすると勉強以外のことを頭から締め出させてしまう受験生活は、多感な中高生にとって毒ではないのか。
彼女たちは勉強より大事なことがあると知っていながら、受験だから、と押し込めているとしか思えない。私もそうするであろうから。

なんだかまた心もとない文章を送り出してしまった・・。
アメリカの受験制度が素晴らしいと言いたい訳ではない。金やコネで受かったりと、理不尽なこともあるようだし。
なにより本当に正当な評価を与えることは不可能に近いのだから。
かなりの感情論だが、受験を敵視する思いは拭い去れずに膨らむばかりなので、むしろ、筋の通った反論を聞いて、不安を解消してほしい・・。


P.S.コメント欄、必見!!
今日Harvardのinterviewを終えました。
とりあえずすっきりしました。まだほかのInterviewありそうだけど・・。

Harvardの方はさすがというかなんというか、高速で非常にはきはきとしゃべるんです。色々と為になるお話を聞けました。
日本なら例えば東大の法学部にいるだけで「すげぇや!」となるわけですが、Harvardの生徒たちは名声とかに振り回されることなく、自分のやりたいことだからやるし、
Knowledge for knowledge's sake
なのだそう。もちろんどの大学でもそういった生徒の意識の高さは見られると思いますが、Harvardの生徒たちはもとの力量もものすごいんでしょうね。
extraordinaryな人たちばかりだと言っていましたし、私もそんな生徒たちから刺激を受けたいと願うばかりです。

今日のを含め既に3回の面接を受けたわけですが、聞かれることはまちまちでも当然ながら準備をするにこしたことはないです。
言うことを用意しておくのはもちろん、私の場合は学校のネイティブの先生に沢山時間を頂いてリハーサルをしました。リハーサルといっても半分は雑談だったりしますが、一旦頭の中を英語に切り替えると、受け答えが早くなるんですね。頭の中の翻訳機を通す手間が2度省けるわけです。
家でも頭の中に英語をキープしておき、当日はテンションを高く保って臨む!
そして最後に質問はあるかと聞かれますが、質問は必ずすること!印象勝負だから。

生活に英語を取り入れることを普段からやっている人は素晴らしいです。
でも正月に怠けていた私は3日かけて英語の脳をほぐしたわけです・・。
その緊張感にはもう懲りたので以後改善します。

そういえば、日本だったら間違いなく聞かれるであろうから当然のように答え(しかもとびっきりの)を用意しておいた質問を、Harvard, Georgetown, Brownの3校は聞いてきませんでした。
「なんでウチを選んだの?」ってことをです。
偶然かな。Harvardは聞くはずだと踏んでたのにな。
それよりもその人自身に興味があるのですね。
受験がないのをいいことにしばらく旅行に行っておりました。
我ながらのんきすぎる・・・!
BrownのInterviewの報告をしたいところなのですが、、またまたそれどころじゃない!!
今度は土曜日にHarvardのInterviewです。
緊張します。準備不足は命取りだろうし。
臆病者の私には良い練習になるので、ちょっくら肝を試してきます。