身体が「ノー」というとき: 抑圧された感情の代価
バセドウ病が判った日病院の帰りにフラフラしながらも大型書店に寄ってこの本を買いました。身体が「ノー」というとき:抑圧された感情の代価身体が「ノー」と言うとき: 抑圧された感情の代価2,310円Amazon病気になった時「身体が何か伝えたがっている気がする。何か私に気付いて欲しくてだからこんなにも強くサインを出している。でもその意味はなんだろう。」そんな風に感覚的に思っていてこの本を知った時手に取らずにはいられなかったのです。ただ持ち帰ってすぐに読もうとしましたがその時の私のホルモン値は基準の7倍程に亢進していてパラパラと眺めただけで疲れてしまい活字を数行読む事も困難でした。二ヶ月後症状が落ち着いた頃身体が元気になったので部屋の断捨離をしようと思い立ち本棚に並べて忘れていたこの本のことを思い出す機会が訪れました。この本には私にとって病を治してゆく上でまたこれからの人生を生きていく上で知っておかなくてはならないとても大切なヒントが数多く記されていたように感じました。「抑圧」感情を意識から引き離し無意識の領域においやることその多くは感じの良さという形をとっている「感じの良さ」本人と周囲の人が持つイメージに合わせるために自らつくりあげたもの上辺の感じ良さの下には激しい怒りと苦悩が存在しているこれ私だ!と思う箇所がたくさんあり重要に感じた箇所をスマホで写真に撮ったりメモしながら数時間で一気に読み切ってしまいました。これまでの私はたとえ自分が傷ついても自分の心を殺しても「人を傷つけないこと」「人に気を遣わせない人であること」「批判されないこと」「感じの良い人であること」これらをなによりも大切にしてきました。生きてゆく上で「人に良い印象を与えること」が私にとってなによりも大切なスキルだと信じて疑わなかったのです。そして↑のような自分であるためには悪口や陰口を言わない。仕事は真面目に且つ明るく素直に。上の人に言われた事や仲間からの頼まれ事は嫌な顔せず笑顔で対応。嫌な事があっても顔に出したらいけない。お世話になった恩を忘れてはいけない。敬語やマナーを間違えてはいけない。失礼があったらいけない。絶対に仕事でミスしちゃいけない。迷惑かけるわけにはいかない。誰かが間違ったら庇ってあげないといけない。年下の人にはフランクに優しく親しみやすくしなければ。などなど素敵な人だと思われるように分析や研究たくさんの努力をして一生懸命に「感じの良い人」になってきました。その根底には「不安や恐怖」「怒りや悲しみ」が存在していたなんて知らず。抑圧された感情がパンパンに溢れ出しそうになっていたなんて知らず。その甲斐あってか周囲の人の私への評価はどこへ行っても誰にとってもいつもとてもとても良かったです。お褒めの言葉も浴びる程に日々頂き必要とされている喜びも感じていました。だけどどこか苦しかった。不安でした。満たされず自分に自信が持てずもう心と身体は人目を気にするあまりへとへとに疲れ切っていました。誰とでも良好な関係を築くことができる私。今まではそれでよかった。だけどこれからの時代はそうはいかない。次のステージへ上へ殻を破って進め!バセドウ病が私に教えてくれているのはそんなメッセージなのかなと感じました。