秋の夜長の徒然 | 別に用はないんだけどね

別に用はないんだけどね

どうも、ごきげんよう。
私が菅田紗江です。
弾き語りと、モミジアオイというバンドをやっています。
壊して作って、生まれて死んで。といった感じです。
どうぞライブを見に来てください。

こんばんは、おはようございます?

菅田です。



わたわたあたふたしている間に11月が終わってしまいます。はやい。。


17日の菅田カバーナイト、19日の下北沢cave-be、昨夜の渋谷gee-ge、

どうもありがとうございます。


とくにカバーナイト、いろいろな意味で、個人的にもイベント的にも無事に終わって本当によかったです。

写真も見ていただけてよかったです。

写真提供ありがとうございます。




なんだか頭ン中が落ち着かないのでブログを書こうと思ったのですが、

何ともパソコンがとんちんかんでいらっとしてしまいましたが、

だらっとかこうとおもいます。



けど、何か書きたかったのにすっ飛んじゃったよ。。かなしい。



今日は、便宜上今日と言いますが、今日は

「人に淹れてもらうコーヒーは本当においしい」

という話をしました。

この議題?は以前にも思って話したこともあるんだけれども、

中身はきっとまったく違っていたと思います。


自分で淹れるんでもなく、お店で買うのでもなく、

知っている人が淹れてくれるものはなんだか特別なんです。

いつもいつも。

コーヒーだけじゃないんだけど、なんだかコーヒーの時は特別それを感じる。


私が頼んだから淹れてくれているんだったりするんだけれどもさ。


美味しくて

満たされる感じがする、きがする。


そして記憶に残る、きがする。


こんな何気ないことに私はいつも支えられている。

助けられている。


あの人やこの人が私にコーヒーを淹れてくれたことで、信じて良いのだと感じて行く。

また次があると思わせてもらえる。


きがする。



きがするばっかりだけれども、そんなもんだし、そんなもんで良いんだなとも思うんだ。

なんとなく言い切れないんだけど。



言い切れないと言えば、このところ私は「どうしても、これ」という気持ちが薄らいでいってるような気がする。

あ、また気がするだ。


その考えもこの考えもあの考えも、なんだか受け入れられるというか。


自分がいなくなっちゃったわけではないんだけど。



だって、曲がまた書けたし、言いたいこともあったし。

きっとこれからもぐにゃぐにゃと変わりながら、でも変わらないで、

何が本当なのって思いながら思われながら、生きて行くんだろうな。



生きづらいとは、あんまり思わなくなった。

生きやすいとは今でも思わない。

苦しいばかりを見詰めなくなった。

楽しいを許せるようになってきた。



とにかく思い感じることは、

年をとるのは楽しいし面白いってことだ。

それはすなわち、生きるのって良いってことだ。


どんなに困難でもへこたれても病んでも砕けても

ただ息するだけだったとしても

生きてるってすごい。



そんなことは太古の昔から当たり前で、

手のひらを太陽に透かしてみれば真っ赤に流れる僕の血潮だし、

だけど、それを実感できる瞬間があるというのがまた、

生きていることをひしひしと感じてしまって、ぐっとくる。


それはまた不意に放り出したくなる瞬間を知っているからだとも思う。

突然に、思うんだよ。

飛び込んでやろうか、いなくなってやろうか、

やろうと思えば、後先考えなければ、簡単なんだ。



部屋中のものをすべて捨てて、

体一つでどこかへ消えちゃうのなんて、

今から日が昇るまでの間でも出来る。

なんなら今日燃えるゴミの日だし。


だけど、もうその部屋を空っぽにするってことが出来ない。

なにしろ大事なものが増えすぎた。

誰かがくれたもの、誰かと選んだもの、親が与えてくれたもの、

自分のお気に入り、

それを全部連れていくことができないなら、やっぱり私はここにいようと思う。


あーなんだ、酔いはさめているんだけど、なんか気持ち悪いな。

書きながら恥ずかしいな。

まぁ、いっか。



あれだ、病み上がリストだからだ。なんだ。

まだ熱あんのかな、そうゆうことにしよ。


呼んでいる皆さんには寒々しいかもしれないですがごめんね。




こうして、小さなことにぐっと来てしまったりして生きていくのが私は好きなんです。

小さいなんて思わなかったりするし。

その時の私にはそれがすべてだったりもするし。




玄関に、カバーナイトの時にいただいた花束が活けてあるのですが

大きなユリが入っていて、とてもいい香りなんです。

帰ってこれてよかったなーと、一息つくのです。最近。


ありがとうございます。




大好きな唄が唄えるの幸せ。

大好きな人がいるの幸せ。

家族がみんな元気で幸せ。


幸せなんてもんはそこらじゅうにあふれかえって居やがるな。




立体的になっていきたいな。

まあるくまあるく球体に。

そうしたら、ラララがもっと楽ちんに唄える気がする。




はやく唄が唄いたいな。

大きな声が出したいな。




今日、言い忘れたことがあるのだった。





また逢う日までごきげんよう。

私が菅田紗江でした。


まったねー