既に大きく話題になりましたが、先日(7月14日)、アメリカのペンシルバニア州で狙撃事件がありました。
この事件で負傷したとされるのが、アメリカ大統領選挙で共和党から出馬しているトランプ氏であったことから、各方面の様々な情報筋が憶測や考察を公開しています。
トランプ氏が、2016年から第45代アメリカ大統領に就任して以降、国際社会で起きた出来事に精通している方々は、今回の事件の起きたペンシルバニア州や、その中心都市となるフィラデルフィアについても、よくご存知と思います。
この出来事が、4年前の大統領選が行われた2020年当時なら、非常に分かりやすかったと思われますが、2024年という時勢を考えた場合、この事件は、むしろ、事件を起こされたペンシルバニア州フィラデルフィアに意識を向けさせる意図があったように考えられます。
ヒット商品が世の中に打ち出された場合、前面に押し出された製品名やキャッチフレーズを取り除くと、製造メーカーや企画した組織や団体などが浮き彫りになります。状況によっては、ヒット商品が生まれるきっかけになった事象も、姿を現します。概ね、物事の本質は、こうしたところに隠されています。
ペンシルバニアとは
ペンシルベニア州は、アメリカ合衆国の中でも歴史の深い土地で、中心都市であるフィラデルフィアは、アメリカ独立宣言や合衆国憲法が立案された場所でもあり、アメリカ合衆国発祥の地と呼ばれることがあります。
フィラデルフィアには、アメリカ合衆国造幣局があり、歴史の伝えるエピソードには、徳川幕府の勘定奉行と呼ばれた小栗忠順が通貨交渉を行ったことが知られています。
ペリー来航を契機に締結された日米修好通商条約を受けて、1860年、小栗忠順をして、両国の通貨価値を比較する貨幣の分析実験が行われました。具体的には、米ドル金貨と日本側の天保小判に含まれる金の含有量の調査でした。
詳細については、各方面の伝える情報に譲るとして、おそらく、表向きの歴史が伝えないアンダーグラウンドでは、米ドル貨幣の物理的価値を判定し、日本の皇室資産を裏付けとした米ドルによる国際経済を支配してゆく準備が進められたのではないかと考えられます。
アメリカは海外金融資本に乗っ取られていた
1776年の独立戦争を経て、アメリカは独立国としての体裁を保っていますが、実際には海外金融資本の支配下されていたとする考察があります。
一般に信じられないところと思いますが、フィラデルフィアで小栗忠順による通貨交渉が行われた翌年の1861年以降、アメリカは南北戦争を戦うことになり、その結果、経済力を消耗し、財政難に陥ったため、イギリスを中心とする海外金融資本から資金を調達することになった経緯があります。
表の歴史は伝えていませんが、この出来事を契機に、アメリカ合衆国は債務側に転落し、首都ワシントンの土地がイギリスを中心とする金融資本に担保として取り上げられてしまう事態になります。
これは、一般にコロンビア特別区として説明されるもので、首都ワシントンD.C.がアメリカのいずれの州にも属していないのは、首都の土地がイギリスを中心とする金融資本によって抵当として押さえ込まれているからとする解釈になります。
更に、1913年に設立されたFRB連邦準備制度は、イギリス銀行団の私的な金融機関として設立されたもので、アメリカは毎年の国家予算をFRB連邦準備制度から借り入れており、利息を毎年、イギリスの金融資本に払い続けるということになります。この一連の流れを経て、アメリカは海外金融資本に乗っ取られたとされています。
金融支配からアメリカ合衆国が解放たとき
2020年3月27日、世界の最新金融 市場のニュースを伝えるBloombergの記事に、以下が掲載されました。
the federal government is nationalizing large swaths of the financial markets. The Fed is providing the money to do it.
連邦政府は、金融市場の大部分を国有化する。連邦準備制度理事会は、資金を提供する。
この報道は、海外金融資本の私的金融機関だったFRBが、アメリカ連邦政府によって国有化されたことを意味し、この時点で海外金融資本によるアメリカの支配は終焉しています。
そして、翌年の2021年1月6日、一般報道で知られている合衆国議会議事堂襲撃事件によって、長期に渡り合衆国連邦議事堂が米軍によって制圧されるという出来事がありました。表の報道は、議事堂襲撃に終始していましたが、アンダーグラウンドでは、米軍特殊部隊によって合衆国政府の金融支配に加担していた勢力の強制排除が実行されていたと考えられます。
未だ暴かれていない秘密
米ドルを基軸とする経済支配体制は、陰謀論界隈では「ディープステート」などと呼ばれましたが、この支配構造は、第45代大統領を勤めたトランプ氏在任中に完全に解体されたと認識してよいでしょう。
しかし、忘れてならないのは、米ドルに基軸通貨としての価値を与え、莫大な金融資産の原資を供給し続けたアンダーグラウンドの最大勢力は、未だ解体されていません。既に、彼らの金融資産も消失しましたが、2019年に故人となられた日本の経済学者・長谷川慶太郎氏をして「カップラーメンから武器製造に至るまで、あらゆる製品は日本の総合商社を通さない限り、国際市場では取り引きできない」と言わしめた通り、この構造は今も機能しています。
そして、この構造自体を作り上げた本人の肖像を載せた新札が、狙撃騒動が発生したこの7月にリリースされました。先に挙げた小栗忠順がフィラデルフィアで実施した通貨交渉は、この構造を成し遂げる上での伏線であったことは言うまでもありません。ペンシルベニア州で発生した狙撃騒動は、ここに隠された秘密に意識を向けさせるものであったと個人的には考えています。
ペンシルバニアの歴史
ここで、ペンシルベニア州の歴史について、触れておきます。1681年、イギリス貴族界出身のウィリアム・ペンは、国王チャールズ2世から特許状を得て、北米大陸に植民地としてのペンシルベニアを創設し、翌年の1682年、ペンシルベニア州都としてフィラデルフィアが建設されています。
ところで、ペンシルベニアについての歴史を遡ると、フィラデルフィアで小栗忠順が通貨交渉を行う以前から、日本の影響が大なり小なり見え隠れしています。
フィラデルフィアは、方格(ほうかく)設計、また「Grid Plan」と呼ばれる都市設計が採用され、道路や街区配置を方格状(=格子状、碁盤目状)に配置し、その交点が互いに直角になるように作られています。碁盤目状に街路を配置する方格設計は、歴史的には唐帝国の首都・長安があり、その長安を模して建設された日本国内の平城京(現在の奈良)と平安京(現在の京都)が挙げられますが、ヨーロッパ文化圏の方格設計が東洋由来なのかどうかについては可能性評価の域を出ません。
しかし、ヨーロッパ世界の都市建設に方格設計が普及するのは、13世紀以降、マルコポーロの東方見聞録がリリースされた以降であり、日本が「黄金のジパング」としてヨーロッパ世界に知れ渡る時期と重なっています。フィラデルフィアが建設された1682年当時、日本は徳川時代であり、日蘭貿易(日本とオランダとの交易)を通して、日本の職能民がヨーロッパ経由で北米大陸に渡っていた可能性が充分に考えられます。
また、ペンシルベニア植民都市を設立したウイリアム・ペンは熱心なクエーカー教徒であったと伝えられています。クエーカー教は、イギリス清教徒革命をきっかけとして発生したもので、教会の制度化・儀式化に反対し、霊的体験を重んじる神秘主義的なキリスト教宗派の一つです。クエーカーとは、「震える人」という意味があり、これは霊的体験から生じる「震え」を揶揄した俗称とされ、本来の名称は「友会徒」であり、英語表記は「Friends(フレンズ)」となります。
奇しくも、クエーカー教徒と日本人は縁が深く、以前の5千円札に肖像として載せられていた新渡戸稲造は熱心なクエーカー教徒であったことが知られています。新渡戸稲造の著名な著作に「武士道」がありますが、これは日本人の道徳観の核心となっている「武士道」を世界に向けて解説した著作で、1899年に初版がフィラデルフィアで刊行されています。
また、太平洋戦争当時、幽閉状態にあった日系移民に対して、惜しみなく援助の手を差し伸べたのが、クエーカー教徒の人々でした。
ペンシルベニアの歴史に日本がどのように関わったのかということについては、表の歴史では、「示唆する」というレベルの情報しか見当たりません。私は、以前に日本がヨーロッパ世界に与えた文化的、経済的影響についての記事に公開しており、ペンシルベニア創設にあたり、日本が深く関与している可能性も充分にあり得ることだと考えています。しかし、仮にそうであったとした場合、そもそも、アメリカ建国とは何だったのかという疑問が残ります。
フレンズ:クエーカー教徒の正式名称について
終わりに際して、一つだけ、偶然の一致を紹介して結びにしたいと思います。
こちらも、既に記載しましたが、クエーカー教徒の本来の名称は「友会徒」であり、英語表記は「Friends(フレンズ)」となります。おそらく、日本人で昭和時代に生まれた方ならば、1985年10月、J-POPアーティストのレベッカがリリースした楽曲「フレンズ」を覚えていることでしょう。
リリース当初、この楽曲のタイトルが、なぜ「フレンズ」という複数形となっていたのが話題になっていましたが、明確な解説もなく、同楽曲はヒットし、1980年代のJ-POP音楽シーンを代表する名曲として人々に記憶されるところになりました。
言葉に含められるエネルギーは、同じ発音を発することで、それは潜在意識に深く刻み込まれます。1985年とは、日航123便事件が起きた年であり、その年の終盤時期に多くの人々によって叫ばれた以下の歌詞は、同事件によって失われ、今も癒されていない傷が、現在のペンシルベニア州フィラデルフィアに残っているのかも知れません。
「どこでこわれたの oh フレンズ」
「2度ともどれない oh フレンズ」