VOYARK -13ページ目

逃れられないアニヲタの輪廻

私の経験から推測しますと、一度アニヲタになると
もう二度と、アニヲタをやめることはできないことがわかりました。

その理由を順をおって説明します。


1,深夜アニメの素晴らしさに気づきアニヲタに成る

2,いわゆるハーレムアニメばかりを見る。

3,戦闘物や癒し系アニメも見る。

4,美少女に飽きて、腐向けのアニメを見始める。

5、アニメに飽きて、脱ヲタを志す

6,脱ヲタして、無趣味になり虚しい生活を送る。

7,美少女たちが恋しくなる

8、ハーレムアニメばかりを見る。

以下無限ループ




結局、脱ヲタをしようと思っても

今までアニメに費やしていた時間を費やせる

受け皿となる趣味を持っていない限り、

現実の虚しい生活をほそぼそと送るしかなくなるために

美少女アニメをみなければやっていけなくなります。


仏教用語を用いると、現実で虚しい生活をおくることを'苦い毒'

美少女アニメで心が癒やされることを'甘い薬'と喩えることができるでしょう。


脱ヲタをしても何もいいことはありません。

さあ、みなさんアニメを観ましょう。



(´・ω・`) ドーン
(m9 )

【超絶悲報】 のんのん日和@2話

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今回の話はギャグはなかったけど、とても心温まる話でしたね。
なっつんもかわいいけど(出番少なかった(:_;))
駄菓子屋もボーイッシュでいいんですよね。
れんちょんと駄菓子屋の話はほのぼのします。

そして、のんのんも残す所あと2話。
原作のストックもないので、2期は絶望的・・・・・・・・

世の中にこんな悲しいことがあるなんて知りませんでした(´;ω;`)ウッ…

日本の学校は軍隊か刑務所

現在高3なのですが、結局ここまできても、
わざわざ、ただひたすら面倒なだけの学校に行く明確な理由はわかりませんでした。

私にとって、学校は最後の最後まで押し付けられるだけのものでした。

学校に行くのは、教育レベルをあげるためなのでしょうか?
だったら、塾でいいではありませんか。
最近は、塾に通うことが当たり前のようになっていますが、
それはつまり、学校の授業量だけでは、勉強量がたりないと感じているわけです。
しかしそんなわけはないんです。
週5日朝から夕方まで学校で勉強をしているはずなのに、
それでも勉強量が足りないなんておかしいのです。
たぶんこれには、学校の授業が講義形式であるのが問題なのではないかと思います。
講義形式であるかぎり、生徒は常に受け身でしかありません。
授業によって、一番勉強ができているのは、先生の話を熱心に聞いている生徒でも
もちろん半分寝ぼけながら先生の話を聞いている生徒でもありません。
先生自身、教師自身が一番勉強できているのではないかと思います。
それが新人教師であれば授業の仕方を経験しながら学んでいることになりますし、
ベテラン教師であれば、何度も同じ授業を繰り返すことで、
知識が不変のものとなります。
人はやはり、受け身ではなく能動的に動かなければ、学ぶことはできないのです。


それでは、学校は集団生活に慣れるためにあるのでしょうか?
確かに、集団生活に慣れなければ社会を生き抜くことはできません。
その面では学校という場は良いものなのですが、
集団自体が固定化されすぎているのに問題があるような気がします。
その典型的な例は、小学校です。
小学校は6年間もの歳月を同じ建物で、同じ人達とすごさなければなりません。
クラス替えがあるといえども、小学校低学年の時点で、
キャラとか、印象とか、クラスヒエラルキー的なものの中に
生徒たちは組み込まれていきます。
そのヒエラルキーの中で、暗い子、喋らない子、根暗な子のようなレッテルを
はられてしまったら、その子が明るく振る舞おうとしても
クラスヒエラルキー上位の子に押さえつけられてしまうのです。
最悪な場合、いじめなどに発展するわけですが、
たとえいじめられても、学校に行かなければならないという義務感を
大人たちに押し付けられているため、我慢してでも行かなかければなりません。
この我慢が将来役に立つかと言ったら、はっきり言って役には立ちません。
意見が言えず、コミュ力の低い人間になるのが関の山でしょう。
このように集団生活に慣れさせるという名目で、階級社会の現実を
子供の時点で、植え付けられているのです。


他にも学校の主要な目的はあると思いますが、ここで
ネットで見つけた、日本の学校は軍隊か刑務所とい題の意見を紹介させていただきます。






日本の旧態依然とした会社の特徴として、とにかく多様性を認めないというものがある。みんなが残業をしているのであれば、自分も残業をしなければいけない。みんなが有給をほとんど使わないで仕事をしているのであれば、自分も私用で有給を使うわけにはいかない。本来であれば人それぞれ価値観や考え方も違うわけだが、そういう事情は一切考慮されない。たとえ法律で認められている権利を主張したとしても、他人と違う行動を取ろうとする人は協調性がない、自分勝手な人間だとみなされてしまう。



こういう価値観が作られるようになった背景は色々あるとは思うのだけど、そのひとつに日本の学校教育、とりわけ小学校・中学校の教育があると考えてもたぶんそれほどおかしくはないと僕は思う。



日本の学校、とりわけ小学校・中学校は、正直なところ教育機関よりも刑務所や軍隊に近い。一度登校したら下校の時間まで敷地の外に出ることは許されないし、先生の言うことには従わなければならない。軍隊同様、「命令は絶対」なのである。今もやっているのかどうかはちょっとわからないが、体育の時間の整列であるとか、運動会の入場行進であるとかは軍事教練そのものだ。これらが一体なんのために存在しているのか、昔から疑問で仕方がなかった。どうやら集団のルールを学ぶとか規律を学ぶとかそういうところに理由があるらしいが、そう言われても未だに納得できないものがある。


たしかに、現実社会でも「集団のルール」や「規律」は重要だ。自分勝手が許されない場面は当然ある。しかし、学校教育ではそういったことを強調するあまり、

同じく現実社会で重要な「多様性の尊重」が蔑ろにされてはいないだろうか。



例えば、部活動について。野球部のあり方として、「みんなで全国大会を目指そう」というのも当然あっていいが、一方で「楽しさを失わない範囲でゆるく野球をやりたい」という考え方もあってもいいのではないか。どちらがよいとか悪いとかいうことは基本的にはないはずである。しかし現実には、学校の部活動では後者の考え方は容認されにくい。「自分の好みに応じて選ぶ」道が、最初から閉ざされている。大学あたりでは体育会の野球部の他に、ゆるく野球をするサークルがいくつかあったりするが、中学校などでそのような部活の編成は認められてもいいと個人的には思う。



あるいは、学校行事も自由参加ではダメなのだろうか。運動が嫌いな人まで、運動会に付き合わされるのはどうも納得がいかない。文化祭や合唱コンクールにも、出たくない人は出ない自由があったっていいはずだ。仮に参加自由にすることで、誰も参加しなくなるような行事だったら最初からやらないほうがいい。人生の時間はもっと有意義に使うべきである。



バランスの問題なので、学校教育で「集団のルールを学ぶ」側面が全否定されるべきだとは思わない。ただ、「個人の好み」を尊重するようなことはもっとあってもいい。原則は、みんな自分の好きなことを、好きなようにやればいいのだ。それで立ち行かない範囲だけ、お互いに譲り合って妥協する。順序で言えば「個人の尊重」が先に来る。しかし日本の学校教育は、先に「集団のルール」が来てしまう。これはどうも自由主義的な考え方とは、マッチしない。



http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/11/01/210437







まあいろいろ理由はありますが、
端的に言えば、子どもという人生で一番元気でハツラツとした時期を
学校という狭く、規則だらけの空間に押し込めるというのは
どうかと思うのです。






d(´・ω・`)b


今日の贅肉

$VOYARK


$VOYARK


インタビュアー「じゃあ、まず年齢を教えてくれるかな?」

金色の野獣「っと、17歳です」

――「17歳? 高2かな?じゃあ…」

金色の野獣「高3です」

――「高3?あっ…(察し)ふ~ん(軽蔑)…え、身長・体重はどれくらいあるの?」

金色の野獣「え~、身長が168cmで、体重が59kgです。」

――「うん、59kg。今なんかやってんの、スポーツ?すごいガッチリしてるよね」

金色の野獣「特にはやってないんすけど、トゥレーニングはし、やってます」

―ー「あ、トレーニングやってんだ。…っていうのはウェイトトレーニングみたいな?」

金色の野獣「ん、そうですね」

――「んー…週、どれくらいやってんの?」

金色の野獣「週…三日から四日ぐらいですね」

――「へえ~…。結構、なに、昔からそういうガッチリ……した感じだったの?体つきは?」

金色の野獣「そうですね。昔は痩せ↑てた↓…んで結構。そっから少しずつ運動してって」

――「うん。で、体重が、体重を落として…」

金色の野獣「落として。そうですね」「へえ~…」

(ノンケAVを全裸で鑑賞する野獣。心なしか嫌そうな顔をしている)

――「かん↑ちょ↓(浣腸)…っていうのしたことある?」

金色の野獣「ないです(即答)」

AV「あッ…


以下略











(´・ω・`)最近友達にガチ(ホモ)っぽいって言われたんだけど・・・・
       俺はホモより百合が好きだおd(´・ω・`)b

にほんむかしばなし

むかしむかし、あるところにコミュ障がいました。


そのコミュ障は吃音症なので、

人と話しても何を言ってるかよくわかりません。

やがてコミュ障は部屋に引きこもるようになりました。



コミュ障は2度と学校へ行くことはなく、

部屋とトイレを行き来するだけのの生命体となり

アニメ世界をさまよい続けました。

そして死にたいと思っても死ぬ勇気がないので

そのうちコミュ障は考えるのをやめました。





(´・ω・`)おしまい


受験にご・・・・ご・・・・ご・・

敗北

人類はやり直している

$VOYARK


今から1500年前の書物に
核戦争とおぼしき記述があったそうだ

その書物の名は

「マハーバーラタ」

内容はこうだ

アシュヴァッターマンは、その言葉に烈火の如く怒り
戦車の上で丁寧に口をすすぎ
煙のない炎のような輝きに満ちたアグネーヤを
マントラとともに発射した。
無数の矢は空を覆い炎に包まれアルジュナの頭上に落下した
ラークシャサ、ピシャーチャたちは大声で騒ぎ立ち
不吉な風が巻き起こり、太陽は光を失った。
大鴉(カラス)の群れはいたるところで啼き騒ぎ
雲は雷鳴を轟かせ血の雨を降らせた。
鳥も獣も聖者たちも心安まらず
天地は波立ち太陽は逆の方位に向かった。
アグネーヤの力に恐れおののいた象や
その他の生物は突然駆け出し
必至にその下から逃げ出そうとする。
外界の水は熱せられ、水棲動物は熱に灼かれ暴れ回る。
一面の空から落下するアグネーヤ矢に灼き焦がされた将兵は
炎に包まれた樹木さながらに燃え上がり次々に倒れていった
象も馬も戦車も山火事に遭った樹々のように燃え
悲鳴を上げてのた打つ。
それはまさに世界の時間の終わりに一切を焼き尽くす
サンヴァルタカの火のようであった。





(´・ω・`)1回滅んどるわ

なっつん!!

のんのんびよりの感想をネットでよくみかけるんだけど

「こまちゃんハイエースしたい」とか「ほたるんクレイジーサイコレズ」とか

こまちゃん&ほたるんの人気は異常なのん。

でも、「なっつんかわいい」っていうコメントがほとんどないん。

果てには「なっつんはいらない子」とか言われる始末・・・・・・・・・


それはとんでもないのん!!

なっつんが一番かわいいのん!!

ほたるんとかこまちゃんにぶひぶひしてる人は、ロリコンなのん!!

一番かわいくて面白いのは越・谷・夏・海なのん!!






にゃんぱすん!!

受験