仮設住宅に入居できるまでの目安
東日本大震災時、ある小学校の体育館避難所では、3月11日に被災した後、校庭に仮設住宅の建設が始まったのが、約1か月後の4月10日頃だったそうです。入居開始(抽選に当たった人のみ)は5月上旬からだったそうですが、その時は家電品が一切なく、入居した被災者はただそこで寝るだけに利用し、日中は避難所に戻っていたそうです。
その後、
その避難所では、6月20日過ぎに全員が体育館を後にし、6月29日に当時住んでいた全員が集まり体育館の大掃除をして、ようやく小学校に体育館を返すことが出来たそうです。
このように、東日本大震災時を例にとれば、
仮設住宅への入居は、震災後、早い家族で約2ヶ月。遅い家族で約3ヵ月半かかります。
熊本の震災をこれに当てはめると、8月位までは避難所での生活が続く可能性があります。
避難所生活では「プライバシーのないこと」を含め、多くのストレス要因となる問題がありますから、もし、車中泊カーやキャンカーを所有していれば、大きな心の支えになることはまちがいありません。
特にペットを飼われている方は、避難所では飼えませんから切実な問題になると思います。
震災対策でキャンカーの購入はさすがにハードルが高いかも知れませんが、昨日の記事にも書きましたが、イザという時にマイカーを車中泊カーに改装できる準備だけはしておきましょう。
避難所と車で家族4人が交代で寝るようにすれば、かなりストレスの軽減になると思います。
ガソリンさえ入手できれば、エアコンもききますし。
もし、震災対策を兼ねて車を購入するなら、私は軽の1BOXカーをおすすめします。特に4ナンバーの軽貨物がいいです。荷物が沢山積めるように設計されていますし、布団やマット類を設置すれば大人2人が体を伸ばした状態で就寝する事も可能だからです。
※車種にもよりますが、軽貨物の1BOXなら、シングルベッド以上セミダブル未満の寝床スペースが出来ると思います。
軽の良い所は、維持費が安くて小回りがきくという事。
震災後の道をハイエースでは通行できない道も、軽なら通行できるということもあるかも知れません。
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その後、
その避難所では、6月20日過ぎに全員が体育館を後にし、6月29日に当時住んでいた全員が集まり体育館の大掃除をして、ようやく小学校に体育館を返すことが出来たそうです。
このように、東日本大震災時を例にとれば、
仮設住宅への入居は、震災後、早い家族で約2ヶ月。遅い家族で約3ヵ月半かかります。
熊本の震災をこれに当てはめると、8月位までは避難所での生活が続く可能性があります。
避難所生活では「プライバシーのないこと」を含め、多くのストレス要因となる問題がありますから、もし、車中泊カーやキャンカーを所有していれば、大きな心の支えになることはまちがいありません。
特にペットを飼われている方は、避難所では飼えませんから切実な問題になると思います。
震災対策でキャンカーの購入はさすがにハードルが高いかも知れませんが、昨日の記事にも書きましたが、イザという時にマイカーを車中泊カーに改装できる準備だけはしておきましょう。
避難所と車で家族4人が交代で寝るようにすれば、かなりストレスの軽減になると思います。
ガソリンさえ入手できれば、エアコンもききますし。
もし、震災対策を兼ねて車を購入するなら、私は軽の1BOXカーをおすすめします。特に4ナンバーの軽貨物がいいです。荷物が沢山積めるように設計されていますし、布団やマット類を設置すれば大人2人が体を伸ばした状態で就寝する事も可能だからです。
※車種にもよりますが、軽貨物の1BOXなら、シングルベッド以上セミダブル未満の寝床スペースが出来ると思います。
軽の良い所は、維持費が安くて小回りがきくという事。
震災後の道をハイエースでは通行できない道も、軽なら通行できるということもあるかも知れません。
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避難所に入れない事も想定していますか?
避難所へは、家を失った家庭が優先して入る事ができます。決して先着順ではありません。
実際、東日本大震災の時、マンションの住民が避難所に行っても、満員で入れなかったということがあったそうです。
自治体の中には、マンションの住民は避難所に入らず、自宅で生活を続けるよう、求めているところもあります。一戸建ての人も、自宅が無事なら避難所に入れないかもしれません。
自分から積極的に「在宅避難」に備えましょう。
南海トラフや首都直下の大地震では、備蓄は1週間分が目安とされています。特に欠かせないのは水です。一人1日3リットルの1週間分は、2リットルのペットボトルにして10本ちょっと。家族4人なら40本を超えます。
簡易トイレも欠かせません。尿などを固める薬剤が入っていて、便器にかぶせて使い、縛ってごみとして捨てます。あるとないとでは、避難生活が大きく変わる必需品です。
震災の度に報道される車中泊での死亡者。
車中泊を趣味としていない人も、今、所有している車で体を伸ばして眠れるシミュレーションをし、できれば必要なマット類もそろえてみてはいかがでしょうか?
東日本大震災は、「宮城県沖地震」という呼び名で早くから予告されていました。
実は今回の熊本震災は、10年前の新聞で既に予測されていたそうです。
それは、関東直下地震も東海・東南海・南海トラフも同じです。
いつか必ず来ると予告されています。
ですので、備えて欲しいと願います。
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実際、東日本大震災の時、マンションの住民が避難所に行っても、満員で入れなかったということがあったそうです。
自治体の中には、マンションの住民は避難所に入らず、自宅で生活を続けるよう、求めているところもあります。一戸建ての人も、自宅が無事なら避難所に入れないかもしれません。
自分から積極的に「在宅避難」に備えましょう。
南海トラフや首都直下の大地震では、備蓄は1週間分が目安とされています。特に欠かせないのは水です。一人1日3リットルの1週間分は、2リットルのペットボトルにして10本ちょっと。家族4人なら40本を超えます。
簡易トイレも欠かせません。尿などを固める薬剤が入っていて、便器にかぶせて使い、縛ってごみとして捨てます。あるとないとでは、避難生活が大きく変わる必需品です。
震災の度に報道される車中泊での死亡者。
車中泊を趣味としていない人も、今、所有している車で体を伸ばして眠れるシミュレーションをし、できれば必要なマット類もそろえてみてはいかがでしょうか?
東日本大震災は、「宮城県沖地震」という呼び名で早くから予告されていました。
実は今回の熊本震災は、10年前の新聞で既に予測されていたそうです。
それは、関東直下地震も東海・東南海・南海トラフも同じです。
いつか必ず来ると予告されています。
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災害時に一番困るのは生活用水です。
私が庭に井戸を掘ったり、雨水タンクやエコキュートを設置したのは、節約という理由が一番なのですが、その根底にあったものは、阪神大震災の時に灘区に住む親や親戚が一番困ったのが生活用水だったからです。
とりわけトイレの水には随分難儀しました。
以下、資料:阪神大震災「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」より
-----------------------------
水の確保が大変だった
電気はさておき、水に一番苦労した。
寿司屋や豆腐屋などには井戸があったのでもらいに行き、何とか飲料水はまかなえた。トイレの水は近くのゴム工場跡地に井戸があったのでバケツをひもで吊してとり、ポリ箱に入れ、台車にて運んで使用した。また苅藻川の水をポンプで汲み上げ、これを利用した箇所もあり、また、地下に溜まった水が一定時間で放水されるのを利用したりして用を足した。
そのうちに給水車が来るようになり、救援物資とボトルも入るようになり一段落したがトイレ、洗濯の水はやはり不足した。
【被災地の自治会長】
水が出なかったこと。水道が止まり、プールの水も消火活動に使い果たした。トイレの清掃が出来なかったのが苦しかった。雨水を貯め、使用したのを覚えている。冬なのでよかったが、夏場なら大変なことになったと思う。
【避難所となった学校の当時の校長等】
重労働だった水運び
水道の断水は風呂もさることながら、トイレ(想像以上に水がいる)のために日に数回(20リットルのポリタンク2個)の水運びをした。安全のためエレベーターを数日止めたこともあり、4階以上や年輩入居者には大変だったと思う。それに比べれば煮炊きや飲み水は量的にも大きな問題ではなかった。
【被災地の自治会長】
トイレ問題
集会所に避難したけれど、場所が狭いため大勢の人々を収容できずに困った。トイレが水洗のため、断水になり使用不能になり、屋外に穴を掘り排便をしてきた。
【被災地の自治会長】
一番困ったのがトイレであった。人数が多いこともあり、水洗トイレはいつも詰まった状態になるので教職員が汚物を手で取り除く作業をし、使用していた。この作業は簡易トイレが届くまで続いた。プールの水はヒビが入ったため、漏れてしまい使う事が出来なかったため、欠かせない作業であった。
【避難所となった学校の当時の校長等】
------------------------------------
阪神大震災では、水道の復旧に3ヵ月かかりました。
東日本大震災では、最長で7カ月もかかったそうです。
今年の九州地方は、1月に大雪による断水があり、そして今回の震災によって長期間に渡る断水になる可能性があります。
ただ、
せっかく備えていても、排水管が壊れたり、全壊になったり、津波にあったりして備えそのものが無意味になる可能性もありますが、震災対策は日頃からやっておきたいものです。
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とりわけトイレの水には随分難儀しました。
以下、資料:阪神大震災「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」より
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水の確保が大変だった
電気はさておき、水に一番苦労した。
寿司屋や豆腐屋などには井戸があったのでもらいに行き、何とか飲料水はまかなえた。トイレの水は近くのゴム工場跡地に井戸があったのでバケツをひもで吊してとり、ポリ箱に入れ、台車にて運んで使用した。また苅藻川の水をポンプで汲み上げ、これを利用した箇所もあり、また、地下に溜まった水が一定時間で放水されるのを利用したりして用を足した。
そのうちに給水車が来るようになり、救援物資とボトルも入るようになり一段落したがトイレ、洗濯の水はやはり不足した。
【被災地の自治会長】
水が出なかったこと。水道が止まり、プールの水も消火活動に使い果たした。トイレの清掃が出来なかったのが苦しかった。雨水を貯め、使用したのを覚えている。冬なのでよかったが、夏場なら大変なことになったと思う。
【避難所となった学校の当時の校長等】
重労働だった水運び
水道の断水は風呂もさることながら、トイレ(想像以上に水がいる)のために日に数回(20リットルのポリタンク2個)の水運びをした。安全のためエレベーターを数日止めたこともあり、4階以上や年輩入居者には大変だったと思う。それに比べれば煮炊きや飲み水は量的にも大きな問題ではなかった。
【被災地の自治会長】
トイレ問題
集会所に避難したけれど、場所が狭いため大勢の人々を収容できずに困った。トイレが水洗のため、断水になり使用不能になり、屋外に穴を掘り排便をしてきた。
【被災地の自治会長】
一番困ったのがトイレであった。人数が多いこともあり、水洗トイレはいつも詰まった状態になるので教職員が汚物を手で取り除く作業をし、使用していた。この作業は簡易トイレが届くまで続いた。プールの水はヒビが入ったため、漏れてしまい使う事が出来なかったため、欠かせない作業であった。
【避難所となった学校の当時の校長等】
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阪神大震災では、水道の復旧に3ヵ月かかりました。
東日本大震災では、最長で7カ月もかかったそうです。
今年の九州地方は、1月に大雪による断水があり、そして今回の震災によって長期間に渡る断水になる可能性があります。
ただ、
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