タロットリーダー碧海ユリカのスピリチュアルコラム 碧海ユリカと読む「奇跡のコース」 -192ページ目

究極の旅 バグワン・シュリ・ラジニーシ

「和尚」という名でも知られているインドの思想家バグワン・シュリ・ラジニーシが「禅の十牛図」について語った講話録です。


「禅の十牛図」とは、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、人が真理とか真実を求めていくさまを10段階に分け「牧童が牛を求める」さまに喩えて述べられたものです。まず、牛はどこにいるかと尋ね歩き、やっと見つけたものの捕まえるのに一苦労、捕まえても今度はてなづけるのにまた一苦労、そのうち綱をつけなくても言うことをきくようになり、牛に乗ってリラックスできるようになる。更に牛がいることをわざわざ意識しないまでになり、ついには牛も自分も超越したような状態に至ります。ここまでで8段階。

これがいわゆる「悟りを得た」状態なので、普通はここでおしまい、「上がり」だと思うのですが、更に2つの段階があります。

まず、「牛などわざわざ探す必要などなかった、それは初めから”ここ”にあった」という理解を得ること、そして「村に帰って平凡に楽しく暮らす」のが最終段階になっています。これが非常に面白い点です。まさに「大賢は大愚に似たり」「見俗超俗」ということでしょうか。


十牛図について書かれた本は専門的なものから一般向けのものまでそれこそいろいろあると思いますが、ラジニーシのものは非常に深く、しかもわかりやすい言葉で書かれていてお勧めです。聴衆との質疑応答も収録されているのがまた嬉しい!


これは十牛図の説明にとどまらず、あらゆることを包含している本当に凄い、素晴らしい本だと思います。私は20代で初めて手にし「凄い」ということだけはわかったものの、当時は内容に関してはあまり深い理解に至れませんでした。その後、何年おきかに読み返してそのたびに衝撃と感動を覚えるようになりました。今の私の基礎を作った本の一つです。

バグワン・シュリ・ラジニーシ, スワミ・プレム・プラブッダ
究極の旅―禅の十牛図を語る

私は何に向いているのですか?Ⅰ

これは、主に職業の選択についての相談として比較的頻度の高いものです。しかしちょっと考えて見てください。生まれたばかりの赤ちゃんならともかく、自分が何に向いているか、など他人に聞かないとわからないものでしょうか?他ならぬ自分自身のことならば自分が一番よくわかっているはずなのに、どうしてこういう質問が出てくるのか。これは「自分の考え」と「世間(周囲)の考え」の混同や、「will」と「should」(「したい」と「すべきである」)の混同などから生じているような気がします。「私はこういうことが好きだ、あるいは得意である」だけなら、大抵の人はわかるはずです。それを「そういう職種は安定性がない」「大変そうだから無理だろう」などの一般論で否定してしまう。或いは、実は好きでもないのに「何となくあれが格好いいみたい、誰々もやっているし」という甘い憧れで違う方向に惹かれてしまう。そんなことをしているうちに自分で訳が分からなくなってくるのです。もちろん本当は向いているのに「苦手である」と自分で勝手に思い込んでいることもありますが、これもよく考えればやっている内容は合っていたがやり方が合わなかった、とか環境が悪かっただけだとかいろいろわかってくるものです。これはリーディングによく現れる事柄です。


Willshouldについては、「私はあれがしたい、しかし今の私にはそれをする余裕がないからとりあえずこれをしていなくてはならない」と自分ではっきりわかっていれば良いのですが、そのあたりが未整理のままだと「したい」の方が押しつぶされて見えなくなってしまいます。そしてやはり「訳が分からなくなる」。

まずは周囲・社会の価値観はさて措いて他ならぬ自分はどういう人間であるのかを「見る」のです。これをお手伝いするのが私の仕事なので、私が「貴方はこういう分野に向いているようです」と伝えると「実は私もそういうことが好きだったんですが・・・」ということも非常に多くあります。その上で「私にはこれを仕事にしてやっていく勇気はない」と判断するなら生活の糧としては別のことを選び、好きなことは趣味なりライフワークとして続ければよい。ジョージ・ソロスは「本当は学者になりたかった、ビジネスは得意だけど好きじゃない」そうです。このように好きなことと得意なことが必ずしも一致するとは限りません。また、本当は医師になりたいが今から医学部受験する自信も勇気も余裕も全くない、という場合(もちろん、本気で望めば道が開けるということも言えますが)医師にこだわらず「治療者」と捉え直せば選択肢が見えてきます。このあたりを整理して明確にすればかなり楽になるはずです。(この項続く)

ご紹介・・・浄化ツール

今回ご紹介するのは、私も長年愛用している浄化用ハーブ 、ホワイトセージです。乾燥させたセージの葉にお線香のような方法で火をつけ、その煙で浄化します。これをスマッジングといいます。元来アメリカのネイティブインディアンが儀式などのために使用していたものだそうです。

粗塩などに比べ、あらゆる場面で使用できる大変便利なものです。疲れたとき、特に何かマイナスの気や重い気を受けてしまったと感じたとき、霊感の強い人なら「何かいるな」と感じたときに、煙を軽く浴びるようにして使うと非常にスッキリします。香りも爽やかで軽く、あまり後に残りません。


また、クリスタルなどのヒーリングストーン類は時々浄化する必要がありますが、その際にもこれは大変便利です。引越しで新しい部屋に入居するとき、リサイクルショップなどで誰かが既に使用した商品を購入したときにも、前の持ち主の気を浄化することができます。

もちろん、瞑想の際にも非常にお勧めです。


スマッジング用セージには、たいまつのように葉を束ねたもの(バンドルタイプ)とルースタイプのものとがありますが、余程空間全体を浄化する場合以外はルースタイプのほうが使いやすいと思います。

私は青山通りのナチュラルハウスで「メディスンフィールド」製のものを購入しています。但しここのオンラインショップではバンドルタイプのものしか扱っていないようですので、取り扱い店舗をご覧になってください


メディスンフィールドhttp://medicinefield.com/

ポジティブ思考Ⅲ

(承前)このように「何が何でもポジティブに捉えよう、良い意味づけをしよう」とする姿勢はそれ自体が一つの束縛・オブセッションとなり、人を不自由にするものなので、そのままネガティブな姿勢に文字通り「反転」してしまうのです。案外このパターンにはまってしまう人が少なくありません。

大体、ポジティブ思考或いはプラス思考というのは、一見ピンチと思えることを「変化のためのチャンス」とする捉え方です。つまり「怪我の功名」「災い転じて福となす」「人間万事塞翁が馬」を意識化して行なおうとするわけで、「禍福はあざなえる縄の如し」の「福」の部分にフォーカスしようというやり方です。「禍」の方にフォーカスしてしまうと、「嫌なことばかり起きる、ちょっと良いこともあったけどまたすぐ駄目になった、どうせまた悪いことが起きるだろう・・・」「こうなったらああなったらどうしよう」などとなります。こういう姿勢よりもポジティブ=いわゆる前向きに生きるほうが良いのは、誰に言われるまでもない恐るべき当たり前のことです。そうするほうが運気が上がるなどという以前に、考えても見て下さい。毎日憂鬱で不安を抱えたり怒りや恨みを抱いたりして過ごすよりも単純にこのほうが断然気持が良いではないですか。もちろん、いい気持で過ごせば波動が上がるのでそれだけ良いことを呼び込めるようにもなります。

自分に起きたあまりありがたくないことの全てを「良いことだ」と捉える必要はありません。くれぐれも「現実否認」と混同しないことが大切です。単純に自分の不注意から生じた失敗は天の配剤でもメッセージでもない、やはり「失敗」として認めなくてはなりません。ただ、そのことで過剰に落ち込んだり自分を責めたりしないで、例えば「今ならまだ取り返しがつく、ありがたいことだ」などとして次に生かしていけばよいのです。

また、「私には良いことしか起こらない、と思え」という人もいますが、この場合の「良いこと」とは「嬉しく楽しいこと」という意味ではありません。一見そうでないことでも自分の姿勢によって結果的に「自分にとって良いこと」に転換できる、何が起こっても良い方に向かっているのだから大丈夫!ということだと捉えてください。「悪いことが起きないでほしい」と言うのは、ネガティブとまではいかないかもしれませんがポジティブともいえず、非常に消極的な姿勢です。そのすぐ先には「悪いことが起きたらいやだ、どうしよう」があるからです。

最後に、一番分かりやすい例。「時間はかかるがうまく行く」といわれた場合に、「良かった、うまくいくのね」と捉えるか「時間がかかるのか・・・ガックリ、どうして?」と捉えるか。まずはこのあたりから意識してみて下さい。

最近のリーディングより・・・実例

最近のリーディングの中から一つの例を、クライアントご本人の承諾を得て掲載いたします。


クライアント=40代後半の男性。今後の仕事がどうなるか、についてリーディング依頼。

彼は、国内の某大手企業勤務でかなりの実績を挙げている人です。リーディングではまず、今春からの流れ(仕事の内容がどう変わるか、自分の対応方法を変える必要があるか、上司との関係etc)とより長期的な流れを読みました。

こうしてリーディングをしていると、(もちろんクライアントとの会話からわかる部分もありますが)その人がどういう仕事の仕方をするタイプなのかなどということも立ち現れてきます。

彼の場合は、組織に属していても単独で好きなように動く人であり、自分の仕事には熱心に取り組むが本来の業務以外のことで他人に気を遣うのがイヤ、上司にあれこれ言われるのは勿論、部下というものも面倒だからいなくていい、周囲からどう思われようが一向に構わない、などの特徴がありました。逆に言えばそのようなやり方が彼にとって一番合っていて力を発揮できるスタイルだということです。

間違っても「御身大切で保身に走る」などということはあり得ない感じでした。

ところが、彼が属している会社というのがいわゆるかなり日本的な或いはお役所的な企業であり、その社風の中で彼は相当異質な存在なのです。本人はそのことをよく知っていて尚且つ別に大して気にしている風でもありませんが、やはり合わないことには変わりないので、仕事自体に対する情熱はあってもこの会社で頑張るための目標やモチベーションを失っているようでした。

この会社で出世するために頑張る、というのでなく何というか「自分のスタイルやこだわりを守るために頑張って」いてそのことで疲れているようでもありました。

ここで突然彼から「自分の前世の影響って何かあるのか?」という質問が出ましたので見てみたら・・・

何と、彼は例えば隠れキリシタンのように「何らかの思想や大義に殉じて処刑された」ことがあり(おそらく複数回あるはずです)、権力に抵抗すれば殺されるとわかっていてもその死は敗北ではなくて一種の解放であるような経験をしていたのです。極端に言えば「服従するくらいなら死=解放を選ぶ」というわけですが、ともかく「自分の主義主張を守るための抵抗精神」というものが意識の深部にしっかり受け継がれていたのです。(一般的に前世の影響がどう出るか、についてはいずれ詳しく述べるつもりです)

そのため、初めから何の抵抗もなく自由に動ける環境でなく「抵抗精神」がより遺憾なく発揮できるような環境、保守的で自分とは異質の環境に自ら身をおく選択をしていたのです。一種のマッチポンプ状態です。

抵抗精神自体は別に悪いものではなくどのようにも活かしていけるものですから、彼の場合それはそのままにしておいて何らかのバージョンアップを図ることも可能だと思います。また、抵抗精神に無意識に翻弄されるのではなく自分自身が主体となってそれをツールとして「使っていく」という手もあるわけです。

ちなみに、前世の影響を伝えたところやはり幼少期にも似たような体験があったと彼は言っていました。

基本的にリーディングの仕事は絶対守秘義務があるのですが、今回はご本人の快諾を頂きましたのでこうして皆さんにシェアすることができました。クライアント氏に心よりのお礼を申し上げます。