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 なんとなく ヨーロッパ

 フランスに住んでいるので、パリとフランスの話が多くなると思いますが、
 まぁ気分で。

聖フランチェスコは生前から聖者と思われていたようです。
その周りでは不思議なことが起こったり、奇跡を行ったりしていたみたい。

以下はジョットーのフレスコ画とその説明。




フランチェスコが一人離れたところで祈っていたときのこと。
郊外の隠棲所に集まっていた修道士たちは、真夜中、
フランチェスコがきらめく炎の車に乗って家へ飛んでいき、
あばら家も眩しく輝いているのを見た。
寝ていた者まで目を覚まして驚いたという。 (UFO?)





ある修道士が幻に、天国に用意されている多くの椅子のなかに、
ひときわ立派なものがあるのを見た。
声がして、「この椅子の持主だった天使は傲慢の罪で追放された。
椅子は謙虚なフランチェスコに与えられる。」と告げた。






フランチェスコはアレッツォの街に悪魔が徘徊しているのを見て、
弟子のシルヴェストロに、行って門に立ち神の御名を叫んで
悪魔を追い払うように命じた。
弟子がその通りにすると、街に不和をもたらしていた悪魔は逃げだし、
市民の間に平和が蘇った。






祈りを捧げていたフランチェスコの体が地面から浮き上がるのを、
修道士たちが目撃した。
フランチェスコは両手を高く差し上げ、
光り輝く雲がその体を包み込んだ。





フランチェスコが、瀕死の傷を負って医者に見放された
ジョヴァンニ・ディ・イレルドという者の包帯をとって、
傷口を優しく撫でると、瞬時にして快癒した。





教皇グレゴリウスが聖痕に疑いを持ちながら眠ると、
夢にフランチェスコが現れて、「アンプルをよこしなさい。」と言った。
教皇が渡すと、フランチェスコはアンプルを脇から出る血で満たした。
(当時、聖痕という現象はあまり知られていなかったようです。)


(その他)

フランチェスコが神の御元に旅立ったとき、
星の形をした彼の魂が輝きながら天へ上っていくのを、
ある修道士が目撃した。

フランチェスコが息を引きとった瞬間、
重態で長い間昏睡状態だった修道院長のアゴスティーノは、
突然「お待ちください、パードレ。私もお供します。」と叫び、息絶えた。

サン・ミケーレ・アルカンジェロ山にいたアッシジ司教は、
「私は天に赴く。」と言うフランチェスコを見た。






聖フランチェスコ
(1182年7月5日 - 1226年10月3日)

アッシジの裕福な毛織物商の家に生まれる。
若い頃は「祭り王」と呼ばれるような享楽的な生活を送る。

1205年(23才) 回心
1206年(?) アッシジ郊外のサン・ダミアノの教会で祈っているとき、
    キリストが描かれた十字架から、
    「フランチェスコよ、行って私の教会を立て直しなさい。」
    という声を聞く。(上の画像)
    病人の世話や教会の修復を行う。
    父親と対立し決別する。

1208年頃 宣教を始める。

1210年 「小さき兄弟会」の仲間と共にローマに行き、
     教皇インノケンティウス3世に謁見。
    「小さき兄弟会」の会則と活動を口頭で認可してもらう。
     教皇は、傾いたラテラノ聖堂をフランチェスコが肩で支えていた、
     という夢をみていた。(2番目の画像)






1212年 アッシジの貴族の娘キアラがフランチェスコの生き方に惹かれ出家。

1212年-1214年 シリア伝道を目指すがダルマチア(クロアチア)に漂着。
        モロッコ伝道も試みるが、スペインで病を得て引き返す。

1219年 東方に伝道。エジプトでスルタンに会う。(3番目の画像)






1223年 新たな会則を教皇ホノリウス3世が認可する。
    会則は次の言葉で始まっている。
    「フランチェスコ会の生活と会則は、我らが主イエス・キリストの
     福音に従って、従順、完全なる無所有、純潔に生きることにある。」

1224年 ラヴェルナ山で、手足と脇に聖痕を受ける。

1225年 病に苦しみサン・ダミアノ教会で療養。「太陽の讃歌」を作る。
1226年10月 ポルツィウンコラで死去。

1228年7月16日 グレゴリウス9世によって聖人に列せられる。
1228年7月17日 グレゴリウス9世が礎石を置き、
        聖フランチェスコ聖堂の建設が始まる。

1230年 聖フランチェスコ聖堂の下層バジリカが完成。
    遺骸をここに移す。

1239年 聖フランチェスコ聖堂の上層バジリカも完成。

1297-1299年 ジョットーが上層バジリカに
       「聖フランチェスコの生涯」をフレスコ画で描く。

1818年 聖フランチェスコ聖堂の地下から、
    伝承通りに聖フランチェスコの遺骸が発見される。

1939年 聖フランチェスコ、シエナの聖カテリーナと共に
    イタリアの守護聖人となる。






(2014年 春 アッシジ)
アッシジに行くまで、聖フランチェスコについては、
「小鳥に説教した聖人」としか知りませんでした。
優しい人だったのか、と思っていたのですが、考えを改めました。

上層のバジリカは周りの壁にフレスコ画が描かれています。
とくに身廊の壁は聖フランチェスコの生涯がテーマになっています。
画家はジョットー。
でも、鳥に説教する絵しか分からなかった。(入ってすぐ左)

翼廊のフレスコ画はだいぶ色褪せたりしていますね。
『身廊のフレスコ画だけ修復したのかな。』と思ったのですが、
後で本を読んだら、翼廊を担当したチマブエという画家は、
テンペラ画を描くつもりで、フレスコ画の準備をしていなかったので、
壁の湿気が絵の色を損なってしまったとか。

他のところに、聖フランチェスコが着ていたものとか、
書いたものなどが展示されていました。
服が変わっているというか、継ぎはぎだらけです。(下の画像)
いくら昔の人だからといっても・・・
極端に清貧な人だったみたい。






聖フランチェスコの肖像を大きく印刷したものがありました。
それを見ると、眉が薄くて、目つきが厳しいですね。
手や足に聖痕があります。(脇にもあったみたい。)
ピオ神父みたいだ。(ピオ神父は手だけだったと思うけど。)






きっと自分にも、人にも厳しい人だったんじゃないかな、
と思ったのでした。

下の画像は、聖フランチェスコの筆跡

(今回UPした画像はポストカードなどです。)