聖フランチェスコ
(1182年7月5日 - 1226年10月3日)
アッシジの裕福な毛織物商の家に生まれる。
若い頃は「祭り王」と呼ばれるような享楽的な生活を送る。
1205年(23才) 回心
1206年(?) アッシジ郊外のサン・ダミアノの教会で祈っているとき、
キリストが描かれた十字架から、
「フランチェスコよ、行って私の教会を立て直しなさい。」
という声を聞く。(上の画像)
病人の世話や教会の修復を行う。
父親と対立し決別する。
1208年頃 宣教を始める。
1210年 「小さき兄弟会」の仲間と共にローマに行き、
教皇インノケンティウス3世に謁見。
「小さき兄弟会」の会則と活動を口頭で認可してもらう。
教皇は、傾いたラテラノ聖堂をフランチェスコが肩で支えていた、
という夢をみていた。(2番目の画像)
1212年 アッシジの貴族の娘キアラがフランチェスコの生き方に惹かれ出家。
1212年-1214年 シリア伝道を目指すがダルマチア(クロアチア)に漂着。
モロッコ伝道も試みるが、スペインで病を得て引き返す。
1219年 東方に伝道。エジプトでスルタンに会う。(3番目の画像)
1223年 新たな会則を教皇ホノリウス3世が認可する。
会則は次の言葉で始まっている。
「フランチェスコ会の生活と会則は、我らが主イエス・キリストの
福音に従って、従順、完全なる無所有、純潔に生きることにある。」
1224年 ラヴェルナ山で、手足と脇に聖痕を受ける。
1225年 病に苦しみサン・ダミアノ教会で療養。「太陽の讃歌」を作る。
1226年10月 ポルツィウンコラで死去。
1228年7月16日 グレゴリウス9世によって聖人に列せられる。
1228年7月17日 グレゴリウス9世が礎石を置き、
聖フランチェスコ聖堂の建設が始まる。
1230年 聖フランチェスコ聖堂の下層バジリカが完成。
遺骸をここに移す。
1239年 聖フランチェスコ聖堂の上層バジリカも完成。
1297-1299年 ジョットーが上層バジリカに
「聖フランチェスコの生涯」をフレスコ画で描く。
1818年 聖フランチェスコ聖堂の地下から、
伝承通りに聖フランチェスコの遺骸が発見される。
1939年 聖フランチェスコ、シエナの聖カテリーナと共に
イタリアの守護聖人となる。