なんとなく ヨーロッパ -202ページ目

 なんとなく ヨーロッパ

 フランスに住んでいるので、パリとフランスの話が多くなると思いますが、
 まぁ気分で。

 
 
〔 2017年8月の旅 39〕   8月6日

メインストリートのようなものがありました。
お店が並んでいます。
日本では殆ど知られていない町だと思うけど、意外と観光客が多い。
聖堂には団体もけっこう来ていたし。
 
ホテルでもらった地図に円形闘技場の絵が描いてあったので、
古代ローマの遺跡だろうと思って行ってみました。
ちょっと距離があったけど。
(ホテルの近くにもローマ時代の遺跡があったのです。下の写真。)
 
 
 
そしたら、なんと近代的な建物がありました。
闘牛場だったのでした。
そうだ! ここはスペインだった!
 
 
 
 
 
 
 
 
街の並木に、椰子の木みたいなものもある。
南国ですな。
 
 
 
 
 
 
 
ホテルに戻る途中、生ハムのサンドイッチを買いました。
スモークしてあるハムかな。(写真のお店)
 
他の店でビールと野菜の酢漬けを量り売りで少々。それが夕食です。
アンドラではフランスのテレビも映っていたけど、ここまで来るとさすがに無いですね。
まあ、旅行中は、テレビはあまり見ないし。
なんだかんだで、やっぱり寝たのは0時半ころでした。
 
 
 
 
 
 
 
 

〔 2017年8月の旅 38 〕  8月6日

サラゴサの聖堂、正式にはヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂というみたい。
中に入っても、スゴイ豪華な感じ。
でも残念ながら、写真撮影が禁止でした。
というコトで、以下の画像は僕が撮ったものではありません。

マリア様の御出現は紀元40年1月2日とされています。
これはマリア様が亡くなる前のことであり、最初の御出現であり、生前唯一の御出現だそうです。
 
 
 
 
イエスの死後、スペインで布教活動をしていた十二使徒の一人聖ヤコブは、伝道がうまくいかずエブロ川の岸辺で祈っていました。そこにマリア様が現れ、小さな聖母子像(38㎝、杉材)と碧玉の円柱(直径24㎝、高さ2m)を与え、ここに教会を建てるように命じました。
それはマリア様に捧げられた最初の教会となりました。
ヤコブはエルサレムに戻り、紀元44年頃、アグリッパ1世によって処刑されました。弟子たちが遺体を引き取り、スペインに運んだそうです。その墓が9世紀に発見され、サン・チャゴ・デ・コンポステラという聖地になっています。

『そうだったのか。』って感じ。
どうして、サン・チャゴ(聖ヤコブ、フランス語ではサン・ジャック)の墓がスペインにあるんだろうと、不思議に思っていたのですが、そういうことだったんですね。
なんとなく納得。(まぁ、大部分は伝説の域を出ないのかもしれませんが。)
 
聖ヤコブが建てたのは小さな礼拝堂でしたが、何度か建て替えられ、17世紀から18世紀にかけて現在の姿(バロック様式)になったそうです。
 
 
 
 
円柱は銀と銅で覆われ、ケープが掛けられています。
聖母子像の冠は20世紀のものみたい。
 
 
 

クーポールの天井画は、ゴヤの絵だそうです。
知らなかったから、よく見なかった。
 
 
 

天井まで届くような大きなレリーフがありました。
木じゃなくて、石でできているみたい。すごい凝ってる。
 
 

マリア様が現れたという場所。(聖堂内)
 
 
奇跡講座 テキスト編  p.95 - p.96
 

ただ神のみに耳を傾けなさい。神は、ご自身が創造した霊と同じく、欺くという能力をもたない。
Listen only to God, Who is as incapable of deception as is the spirit He created.
あなた自身を解き放ち、他の人々を解き放ちなさい。価値のない偽りの自分を描いた自画像を、他の人々に提示してはならない。そして、彼らのそのような自画像を、あなた自身が受け入れてもいけない。
 
 
神の家は永遠に存続し、あなたがその中に入ることを選ぶときには、あなたを迎え入れる準備が整っている。これについては、あなたは完全に確信してよい。自我は永遠なるものを作り出せず、神は滅びるものは創造できない。
 
 
あなたは、自分自身や他の人々を救うために、自我からは何をすることもできないが、あなたの霊からなら、自分と他者の救済のためにすべてを行うことができる。
Of your ego you can do nothing to save yourself or others, but of your spirit you can do everything for the salvation of both.
 
 
謙遜とは自我の学ぶべきレッスンであり、霊のためのものではない。
Humility is a lesson for the ego, not for the spirit.
霊は謙遜を超えたものである。なぜなら、霊は自らの輝きを認識し、喜んでその光をどこにでも降り注ぐからである。
Spirit is beyond humility, because it recognizes its radiance and gladly sheds its light everywhere.
柔和な者たちが地を受けつぐというのは、彼らの自我が謙虚であり、これが彼らに真実に近い知覚を与えるからである。神の国は霊の権利であり、霊の美しさと尊厳は、疑いや知覚をはるかに超えている。それらは、完全に神にふさわしく、神だけにふさわしい神の被造物たちのために、神の愛のしるしとして永遠に存続する。それより他に、神ご自身の被造物への贈り物として充分にふさわしいものは何もない。
 
 
あなた方は、この世で艱難(なやみ)を持つ必要はない。わたしはすでに世に勝っている。だからこそ、あなたは勇気を出すべきなのである。
In this world you need not have tribulation because I have overcome the world. That is why you should be of good cheer.
 
 
   ◇   ◇   ◇
 
 
なかなか難しいことですね。
『たぶん、そうなんだろうな。』と思うけれど。
でも、難しい。