東郷兄弟、タンパに登場! | 続プロシタン通信

続プロシタン通信

プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

 

第二次世界対戦の直後まで、フロリダ地区にはいろいろなプロモーターが入れ替わり立ち代り、手を出しては撤退しています。面白いのは、41年にテネシー地区でプロモート活動を始め「守銭奴」と蔑まれるニック・グラスが45年7月から47年2月まで手を出していることです。グラスがプロモーター引退するのは、80年頃のことなです。長いプロモート活動の中、フロリダ地区はほんの一時期です。グラスが短期間で撤退するほど、フロリダ地区は難しい地区だったのでしょう。

 

49年7月以降、フロリダ地区を仕切っていたプロモーターは、タンパのプロモーター、クラレンス”カウボーイ”ルットレルでした。ここで「仕切っている」とは、地区のキーステーションとして、地区内他都市にレスラーを供給する役割を果たしていたということです。

 

ルットレルがプロモーター渡世から足を洗ったのは70年9月で、以後はエディ・グラハムに引き継がれます。最後の数年は現場をグラハムに任せていたようです。

 

さて、ルットレル時代の興行の様子を見てみましょう。1952年5月第2週から4週までのタンパ・シティオーデトリアムです。

 

【第2週・12日】

○マイク・クランシー対アイク・アーキンス●

○パット・オハラ対レッド・バグノン●

○ジョー・ラッドラム対イワン・ワルコウスキー●

 

1日に全3試合、メインだけ3本勝負で行われていたようです。

 

クランシーは60年代に一時NWA世界ジュニアヘビー級王者になったレスラーです。アーキンスは61年、67年に日本プロレスに、バグノンは51年にトリイオアシスに来日しています。

 

アーキンスはいかにもオールドスクールといった感じの、私の好きなタイプのレスラーではありますが、他の地区では良くてミドルカードでした。そのアーキンスがメインになってしまうあたり、場末感を感じてしまいます。

 

【第3週・19日】

△マイク・クランシー対グレート東郷△(ノーコンテスト)

○パディ・マック対レッド・バグノン●

○アイク・アーキンス対ジョー・ラッドラム●

 

1日に全3試合、メインとセミが3本勝負でした。メインがノーコンテストだったのは、それぞれのセコンド、パット・オハラとコウ東郷が乱入したからです。

 

この段階で東郷はアメリカのトップの一人です。12日のようなラインナップが当時のフロリダの日常の風景で、それを「メザシ定食」に例えれば、19日は「天麩羅定食」にグレードアップされた感じです。「メザシ定食」が時々「天麩羅定食」になり、そして「冬のフロリダ」では豪華フルコースがいただける、これがルットレル時代のフロリダです。

 

【第4週・26日】

○マイク・クランシー&パット・オハラ対グレート東郷&コウ東郷●

○パディ・マック対アイク・アーキンス●

○ハーブ・ステイン対ジョー・ラッドラム●

 

1日に全3試合、メインだけ3本勝負でした。19日の続編、引き続き「天麩羅定食」です。コウ東郷、もうお分かりと思いますが、遠藤幸吉さんです。熱戦譜では確認できませんが、19日、26日はマス東郷の空手の演武が行われていたと思います。はい、後の極真会館総裁、大山倍達さんですね。

 

翌週のメニュー、あえて載せませんが、「メザシ定食」に戻っています。尚、「メザシ定食」という表現は、他地区との比較で申しております。参戦しておられたレスラーを否定するものではありません。