さてと、そろそろ2月のフロリダにビッグマッチが多かった理由を説明しましょう。
実は毎年2月上旬、タンパでお祭りがあって、それに合わせてここの興行会社「CWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)」ではNWA世界王者やビッグスターを読んで特別興行を打っていたのです。
カナダには7月上旬、カルガリーのお祭り「スタンピード・ウィーク」に合わせて同じようなオールスター戦が行われていました。しかし、2月のタンパのビッグマッチについては、お祭りに連動するものとは知られていなかったのです。2月のタンパはプロレス史家によっては「レッスルマニア以前のレッスルマニア」と位置付けられています。
この祭りは1904年以来ほぼ毎年、1月下旬から2月上旬にかけて行われてきました。前回、フロリダに本格的に世界王者が足を踏み入れたのは1930年2月と申しました。ただ、試合をした都市は31年のセントピーターズバーグ(タンパに隣接)は別として、マイアミ、コーラルゲイブルズとタンパから随分と離れています。しかし、これは記録に現れていないだけで、実際にはその前後にタンパでも試合をしていたことが推測されます。
1970年以降の、2月上旬のタンパでのビッグマッチを見ていきましょう。以下の興行がお祭りとの連動で行われた可能性が強いと思われます。
70年2月10日(フォートフォーマーヘストリーアーモリー)
(NWA)○ドリー・ファンク・ジュニア対ボブ・オートン●
(フロリダヘビー)○ジャック・ブリスコ対ミスター斎藤(マサ)●、移動
71年2月9日(フォートフォーマーヘストリーアーモリー)
(NWA)△ドリー・ファンク・ジュニア対ジャック・ブリスコ△
(南部タッグ)○ドリー・ファンク・シニア&ホセ・ロザリオ対ザ・メディックス●、移動
72年2月8日(セントピーターズバーグ=タンパに隣接、ベイフロントセンター)
(NWA)△ドリー・ファンク・ジュニア対ジャック・ブリスコ△
○ジャイアント馬場&ヒロ・マツダ対オレー・アンダーソン&ボビー・ダンカン●
73年2月13日(フォートフォーマーヘストリーアーモリー)
(NWA)△ドリー・ファンク・ジュニア対ジャック・ブリスコ△
(南部ヘビー)○バディ・コルト対ジェリー・ブリスコ●
74年2月12日(フォートフォーマーヘストリーアーモリー)
(NWA)○ジャック・ブリスコ対ダスティ・ローデス●、リングアウト
○ハーリー・レイス対ロン・フラー●
75年2月11日(会場不明)
(NWA)○ジャック・ブリスコ対ディック・マードック●
○アンドレ・ザ・ジャイアント対モンゴリアン・ストンパー●
76年2月10日(会場不明)
(NWA)○テリー・ファンク対ダスティ・ローデス●、反則
○ハーリー・レイス対サイクロン・ネグロ●
77年2月8日(会場不明)
(NWA)○ハーリー・レイス対ジャック・ブリスコ●
○ダスティ・ローデス対ドリー・ファンク・ジュニア●
78年2月14日(フォートフォーマーヘストリーアーモリー)
○ペドロ・モラレス&ロッキー・ジョンソン対イワン・コロフ&ミスター斎藤(マサ)●
○アンドレ・ザ・ジャイアント&イワン・プトスキー対キラー・カール・コックス&ボビー・ダンカン●
79年2月13日(フォートフォーマーヘストリーアーモリー)
△アンドレ・ザ・ジャイアント対ジョー・ルダック△、両者リングアウト
○ダスティ・ローデス&ジム・ガービン対ハーリー・レイス&ソニー・キング●
80年代も続きますが、ちょっと飛ばして87年です。
87年2月10日(スパルタンスポーツセンター)
メインエベントではない1試合を除いて、カードはわかっていません。その1試合は、ザ・ニンジャ(武藤敬司)対ジェリー・グレイです。
試合は海賊ルックにホッケーマスクを被った謎の男に武藤がステッキで滅多打ちにされ、ウヤムヤのうちに終わりました。
「フロリダでは町中の皆が海賊の格好をするガスパーっていう祭りがあるんだよ」
語るに落ちるといいますか、正体はアントニオ猪木です。そして直後、新日本プロレスの事務所には「ビリー・ガスパー」を名乗る人物から犯行声明がありました。
補足しますと、このタンパのお祭りの名称は「ガスパリーラ・ピレイト・フェスティバル(Gasparilla Pirate Festival)」といいます。18世紀後半から19世紀初頭にかけて西フロリダの沿岸水域を恐怖のどん底に陥れつつ、地元では英雄として扱われている伝説の海賊、ホセ・ガスパー(1756~1821)に因んだものです。ディズニーランドのアトラクションに「カリブの海賊」というものがありますが、もしかしたらガスパーに関係あるのかもしれません。ここで種明かしをしますと、特別興行の名称は「ガスパリーラ・スペクタキュラー(Gasparilla Spectacular)」です。
さて、フロリダ地区は87年2月にシャーロットのジム・クロケット・ジュニアに買収され、エリアとしては崩壊します。武藤の試合に猪木が乱入したのは、買収される直前のCWFとしては最後の「ガスパリーラ・スペクタキュラー(Gasparilla Spectacular)」でした。そして、本当にガスパーが登場してしまったのですね。
リング上の「2月のタンパ」、ガスパーは新日本プロレスに引き継がれますが、これがまた、興行的にも悪い意味で新日本を恐怖のどん底に陥れることになるのは、皆さんが知る通りです。