ディック・シカットからドリー・ファンク・ジュニアへ | 続プロシタン通信

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プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

(ドリー・ファンク・ジュニア)

 

フロリダで本格的にプロレスが始まるのは1930年代です。それ以前はといえば、21年3月2日にジャクソンビルで統一世界王者エド・ストラングラー・ルイス対ロナルド・ヒラクルに勝った試合を見つけることができるのみです。フランク・ゴッチの時代にはフロリダにプロレスの記録がないのです。

 

30年2月18日、マイアミでディック・シカットがルディ・デュセックを破り、世界王座(主流派・ニューヨーク系)を防衛しました。翌日、コーラルゲイブルズでガス・ソネンバーグがジョー・ステッカーを破り、世界王座(AWA・ボストン系)を防衛しました。

 

マイアミとコーラルゲイブルズとは隣町です。要するにこれは興行戦争です。ちなみにこの時期はまだテリトリー制度が確立しておらず、違う派閥の王者が同じ都市、もしくは隣接都市でこのように近い日数で防衛戦を行うことが多々ありました。

 

ルイス以来の世界王者フロリダ登場ですが、ルイスの場合、の南部ツアー中、フロリダ半島の付け根ジャクソンビルで辛うじてフロリダ州に足を踏み入れた、といった感じです。つまり、シカットとソネンバーグが初の世界王者の本格的なフロリダ参戦ということになります。

 

そして翌31年2月12日、セントピーターズバーグでエド・ダン・ジョージがホセ・ドミンゴズを破り、世界王座(AWA・ボストン系)を防衛しました。27日にはマイアミでジム・ロンドスがスタニスラウス・ズビスコを破り、世界王座(主流派・ニューヨーク系)を防衛しました。

 

30年代前半の世界王者の登場は、判明している限り、以上です。すべて2月に集中しています。かように、フロリダはプロレス界にとって田舎でした。これは第二次世界対戦が終わっても変わりません。

 

戦後の偉大な王者、ルー・テーズのフロリダサーキットの様子を見てみます。50年11月13日、タンパにテーズが生まれて初めて登場します。この日は、若手のボブ・オートンを破りました。ランディのおじいさんですね。この試合は、テーズのマネージャーにエド・ストラングラー・ルイスがついた、確認できる最古の試合でもあります。52年には3月10日にタンパでマイティ・アトラスを破って防衛しています。

 

53年以降を見てみましょう。

 

2月9日タンパでグレート東郷を破って防衛。

 

10日レイクワースでアート・ネルソンを破って防衛。

 

11日コーラルゲイブルズでホワン・ウンベルトを破って防衛。

 

54年2月2日レイクワースでボブ・リープラーと防衛戦(結果不明)。

 

8日タンパでバロン・レオーネと引き分け防衛。

 

55年2月14日タンパで、18日にはマイアミでアントニオ・ロッカに連続勝利の防衛。

 

56年2月21日オーランドでバロン・レオーネに勝って防衛。

 

57年は2月4日にタンパでバディ・ロジャースを破って防衛。

 

53年以降のテーズは「2月の人」ですね。

 

ちなみに57年のツアーでは、ドン・レオ・ジョナサン、ウイルバー・スナイダー、ディック・ザ・ブルーザーも帯同し、テーズが来る直前の1月30日にセントピーターズバーグでは史上ただ1回だけ実現した、ロジャース対ブルーザーが行われ、ロジャースが勝ちました。

 

ロジャース、ブルーザーが同じリングに登場することは滅多にありません。片方の登場で満員は約束され、同時に2人を呼ぶなんてもったいないこと、しないからです。ところがそれが実現してしまうのが「冬のフロリダ」でした。そして普段のマッチメークとの落差も激しい、これが50年代までのフロリダでした。

 

テーズは57年の11月、ディック・ハットンに敗れ、NWA王座から陥落します。そして63年1月、ロジャースを破って王座に復帰します。

 

以後の「フロリダでのテーズ」を見てみると、ある変化に気付かされます。それは、57年以前「2月の人」だったテーズを、2月でなくても呼べるようになったことです。ロジャースを破って王座に復帰以降、66年1月ジン・キニスキーに敗れて王座を失うまでの間の、テーズのタンパでの試合を列挙してみます。

 

63年6月25日○テーズ対ヒロ・マツダ●

 

7月30日○テーズ対グレート・マレンコ●

 

8月27日○テーズ対ジ・アサシンNo.1●、反則

 

12月3日△テーズ対ボブ・オートン△

 

64年1月21日△テーズ対ヒロ・マツダ△、ノーコンテスト

 

3月24日○テーズ対スカル・マーフィ●

 

7月14日○テーズ対ボブ・オートン●、反則

 

8月18日○テーズ対カール・ゴッチ●

 

12月8日○テーズ対フレッド・ブラッシー●

 

65年2月16日○テーズ対ターザン・タイラー●

 

6月22日○テーズ対ダン・ミラー●

 

7月20日○テーズ対ダン・ミラー●

 

11月30日○テーズ対ラリー・ハミルトン●、反則

 

テーズは「2月の人」ではなく、また、時期を問わず、フロリダに来ていることがわかります。

 

これっていったいどういうことなのでしょう?このブログシリーズの最初で述べた通り、60年にエディ・グラハムが定着して以来、フロリダ地区がどんどんよくなりました。そして、NWA王者を呼べる回数も増えたということです。

 

1969年、史上初めて、NWA世界王座がフロリダで移動する日が来ます。これも王座移動の地を誘致できたということです。

 

はい、みなさんご存知のこの試合ですね。

 

2月11日【タンパFL・フォートフォーマーヘストリーアーモリー】(NWA)○ドリー・ファンク・ジュニアがジン・キニスキー●、移動

 

あれ?また2月です。謎解きは次回、お楽しみに。