メールマガジンは続けていたものの、このブログの更新をずっと怠っていました。

でも、今回あるきっかけで反省しましたので、掲載していなかったものをどんどん
載せていきます。一気に50回分くらい上げますので行間が詰まったままですが、
その点はご容赦ください。




「大きな船と小さな船」



昔、偉いお坊様がおり、長い修業の末に悟りを開いて、仏の道を説いてまわ
りました。

悟りを開くためには守らなければならない決まりがあって、修業を行う人は
それらを守って精進しました。

お坊様が亡くなった後も弟子達によって教えは受け継がれ、広められました
が、教えが広がると、暮らし方の違いから、守りたくても守れない決まりが
出てきました。

弟子達の意見は、分かれました。

あくまでも決まりを守るべきだという人達と、少し決まりを変えても教えを
広めるべきだという人達です。

一方が、決まりを破るのは堕落であると言うと、もう一方は、多くの人に救
いの手を差しのべないのは傲慢であると主張して違いに譲らず、いつしか宗
派は2つに分かれてしまいました。

決まりを変えるべきだとした人達は自分達を、多くの人を救いの船に乗せる
として、大きな乗り物と呼びました。

そして、古くからの教えを守る方を、少ない人々しか救えない小さな乗り物
と呼びました。


大乗(だいじょう)仏教と、小乗(しょうじょう)仏教。

お釈迦様が説き、後に分かれてしまった2つの仏教はもともとひとつであり、
袂を分かった時期もありましたが今では互いに歩み寄り、共に仏の道を求め
るようになりました。

また、「小乗」という呼び名も改められ、別の名で呼ばれるようになった
そうです。

大きな乗り物と小さな乗り物、どちらを選んでも修業の成果は、道を歩む人
の心得次第なのでしょうね。


▼もうちょっと知りたい!

※分裂は仏教の起源であるインドで起こり、中国や日本などの北方には大き
い方が、スリランカやタイ、などの南の方には小さい方が伝わりました。

小乗仏教という呼び名は、現在では正式には使われず、上座部(じょうざぶ)
仏教というそうです。

※問題となったのは、出家した僧が行う托鉢(たくはつ)にあったといわれます。

托鉢は午前中に済ませるという決まりがあったものの、食事を取る時間の違い
(朝食をとらないなど)からそれが難しい地域もあり、僧は働いたり農作業を
してはいけない決まりなので、修行のためにはお金をもらって食べ物を買うし
かない場合がありました。

※大乗仏教は物(財産)の所有を認め、出家しなくても信心を持てば救われる
という考え方で、上座部仏教は物の所有を認めず、修行して解脱(げだつ)す
るには、結婚もせず、家も財産も捨てなければならないとしました。

※上座部仏教では、出家しないと僧侶になれず、僧侶になると、10の戒(殺生、
偸盗、淫行、妄語、飲酒、午後の食事、歌舞観聴、香油塗身、高く広い寝台に寝
る、金銀の受領)と227の律を守らなければならないとされました。

そのため、お坊さんになるには家を離れ、妻帯も男女の交わりも経済活動も生産
も、ほとんどのものを放棄しなければならず、食べ物でさえ托鉢によって得たも
のしか食べられません。

そんな厳しい戒律を守って修行をするため、僧侶は尊敬されるのでしょう。

托鉢は、僧に食べ物を供することが功徳(くどく)を積むこととされ、喜捨
(きしゃ)と呼ばれていずれの仏教でも行われますが、特に上座部仏教の場合
は熱心に行われます。

※僧が持つものは、身にまとう3つの布切れと托鉢用の鉢を一つだけで、三衣
一鉢(さんえいっぱつ)と呼ばれました。


▼オマケの話

アジアの仏教分布は以下のようなものです。日本ではさらに仏教はいろいろな
宗派に分かれていますが、他の国ではそうしたことは少なく、ただ仏教という
おおきなくくりがあって、人々がそれを信じて行動している、ということも多
いようです。

上座部仏教=タイ、ラオス、カンボジア

大乗仏教=ベトナム、中国、日本


▼これであなたも物知り博士?

「托鉢を受けた(食べ物をもらった)僧は、くれた人に対してどうするでしょうか?」

1お礼を言う
2祈ってあげる
3何もしない



答 何もしない

僧に食物を捧げる行為は功徳を積むことであり、その人が救われることにつな
がります。僧がお礼を言うと人同士のやり取りとなり、効果がなくなってしまう
ためだそうです。

そのため熱心な仏教国では、僧は立って歩き、食物を渡す方が頭を下げてひざま
づいている光景が見られます。


▼行って来ました!

熱心な仏教徒が多い上座部仏教の国、ラオスに行っていたツアーが無事に戻って
います。添乗を務めた竜石堂君の話を聞いてみたいと思います。

「竜石堂です。ラオスの首都、ルアンパバンでは、托鉢の見学にご案内しました。
私達は雨のため日をずらして、朝6時から見学に訪れたのですが、天候に関わらず
托鉢は毎朝行われています。

ラオスは海を持たず、まわりをいくつもの国に囲まれた南北に細長い国土を持つ
国で、人々の暮らしや見どころも地域によって異なります。今回は北の地域を訪れ、
少数民族の村も訪れてきました。

ツアーの様子は、いい旅ホームページの添乗日記でもご紹介していますので、ぜひ
ご覧になってみて下さい。」


▼編集後記

今年も残すところあと1日となりました。

うまく達成できたこともあれば、来年の課題として残してしまったこともあり
ますが、お客様方のおかげでいい旅はゆっくりした足取りながらも成長し、無事に
年を越すことができそうです。

来年は2011年、11を「いい」にかけたものがあちこちで生まれそうですが、
弊社いい旅もそれに乗って、さらに価値ある旅行、楽しいご提案を皆様にご提供
できる会社になりたいと計画しております。

来年もまた、よろしくお願いいたします。それでは良いお年を!


▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓

「多くても少なくても、心があれば救いや施しに変わりなし」

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

★次回 旅のものがたり

「2人の三蔵法師」(仮)

なかなか仏教ネタから抜けられません。


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!



メールマガジンは続けていたものの、このブログの更新をずっと怠っていました。

でも、今回あるきっかけで反省しましたので、掲載していなかったものをどんどん
載せていきます。一気に50回分くらい上げますので行間が詰まったままですが、
その点はご容赦ください。



【第64回】



「仏の顔は3度まで」



むかし、立派な木がたくさん生えた場所に、ある一族の国がありました。

その一族は頭がよく、いろいろな才能がありましたが、少々自尊心が強く、
思い上がったところがありました。

また、隣には大きな国がありました。

こちらの一族はとても力が強く、強力な軍を持っていました。


ある時、力の強い国の王様が頭の良い国に、身分の高い女性を妃に差し出せ
と言いました。もし断れば力ずくでも奪うという、強引な申し出です。

当時このあたりでは身分が細かく分かれ、絶対のものでした。


頭の良い国は、戦って勝てる相手ではないと分かっていましたが、言われる
ままにするのはしゃくだったため、嘘をつきます。

偽って、身分の低い女性を差し出したのです。

そうとは知らぬ強い国の王様は、女性を連れ帰って妃にし、王子が生まれ
ました。

王様も王子も秘密を知ることなく、しばらくの間2つの国はそれなりに仲良
くしていました。

しかし、王子が8歳になった時、秘密が漏れてしまいます。

王子が頭の良い国に留学し、様々な勉強や修行を行って帰国しました。

すると頭の良い国の人々は穢れを取り除くと言い、王子が座っていた席の
下を深く掘り起こし、その下の土まですっかり入れ替えたのです。

このことが王子の耳に入り、王子は激怒します。

そして後年、自分が王位につくと、軍隊を率いてその国に向かいました。

生まれながらの穢れという、拭いようのない汚名を晴らすために、その一族
を滅ぼしてしまうことにしたのです。

頭の良い一族は、釈迦(しゃか)族と言い、仏教の祖であるお釈迦様の生ま
れた国でした。

強大な国が自分の生まれた国を滅ぼそうとしていると知ったお釈迦様は、
何とか止めようとします。

太陽が照りつける暑い日、若き王を先頭にコーサラ国の軍が進んでいくと、
軍を遮るように、お釈迦様が枯れた木の下に座っているのに気づきました。

王は声をかけます。

「枯れた木の下は暑いでしょう。葉の茂った木の下へ移られてはいかがです。」

するとお釈迦様は答えます。

「王よ。たとえ枯れた木でも、親族の木陰は涼しいものですよ。」

このやりとりの後、王は軍を連れて引き返します。

お釈迦様が下に座っていた木は、釈迦族の国に多く生える木で、若き王と
釈迦族との血縁を訴えて思いとどまらせたのでした。

また、進軍の際に僧に出会ったら引き返すべきであるという言い伝えもあ
ったため、王は従ったのでした。

しかし王の気は済まず、その後も軍を出し、同じことが3度ありました。

そして4度目に王が軍を出すと、木の下にお釈迦様の姿はありませんでした。

王は軍を進め、釈迦族の国を滅ぼしてしまいます。


お釈迦様には、始めからこの結末が分かっていたのかもしれません。

しかし、悟りを開いたお釈迦様といえど、自分の生まれた国が滅ぼされる
のを黙って見ていることは出来ず、何度かは止めようとしたのでしょう。

それでも王が治まらないのを目にし、しまいには因果応報の理(ことわり)
から逃れられないことを悟ったのでしょう。

その後、釈迦族を滅ぼした王も、事故で亡くなってしまったといいます。

もしかするとお釈迦様には、ここまで分かっていたのかもしれません。


隠した秘密はいずれ漏れ、悪い行いは良くない結果を招く。

その一方で、良い行いもやがて良いことにつながるならば、たとえ結果が
すぐには出なくても、良い行いを心がけたいものですね。


▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓

※釈迦族の国は「カピラヴァストゥ」と言い、お釈迦様はこの国の生まれで、
「ゴータマ・シッダルタ」と言いました(表記によって若干異なります)。

コーサラ国の王、パセーナディが妃を求めたのに対して釈迦族は、長者が下女
に産ませた娘を、身分の高いものと偽りました。王子ビドゥーダバはやがて
その事実を知り、自らの出自に苦しむことになります。

インドの古い身分制度である「カースト」は、ヴァルナと呼ばれる4つの身分
に分かれ、親から子に受け継がれて、変えることはできないとされました。
その歴史は古く、発祥は紀元前13世紀頃と言われます。

最も身分の高いバラモン(僧)、次のクシャトリャ(武士)、ヴァイシャ
(商人)、シュードラ(奴隷)があり、その下にカーストすら持たない層が
あります。

職業などによってもっと細かく分かれており、1950年にカーストを禁じる
憲法が制定されましたが、ヒンドゥー教と結びついた制度は、今でもインド
社会に根が深いそうです。


▼オマケの話

※枯れた木はチークの木であったと言われ、ヒマラヤ山麓の釈迦族発祥の地に
多く生えていたとされることから、釈迦族を暗示するものとなったようです。

ちなみに、枯れた木とありますが、チークの木は雨季には落葉するそうです。
インドの気候は乾季、暑季、雨季に分かれるため、雨季に入ったまだ暑い日に、
落葉したチークの木の下にお釈迦様がいた、と考えることも出来そうです。

※チーク材は、非常に堅いけれど柔らかい温かみがあり、伸縮性が小さくて
害虫にも強く、油分を含むため水に濡れても腐りにくいといった性質を持つ
ため、非常に優れた建材だそうです。

高級な材木で、水に強いことから船舶にも利用され、かの豪華客船、クイー
ンエリザベス2世号にも使われているそうです。


▼これであなたも物知り博士?

「お釈迦様(シッダルタ)は、生まれてすぐにあることをしたといいます。
それは?」

A.合掌(掌を合わせること)をした
B.お経を唱えた
C.歩いた



答え: 歩いた

7歩歩いて天と地を指差し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆい
がどくそん)」と言ったといいます。手、口、足を全て使っています。

解釈はいろいろあるようですが、「世の中で自分が一番尊い」という意味
ではなく、人間(生き物)は全て、何かしらの使命を持って生まれている
のだから、誰もが唯一尊い存在である、という意味だそうです。

ただ、あえて私見を申せば、誤解されても仕方ない言葉です。シッダルタ
が悟りを開いたのは長い修行の末で、生まれながらの神(仏)ではありません。
お釈迦様を尊敬する人が後から作った話ではないかと思います。

ちなみに、私のお釈迦様についての知識は、手塚治さんの漫画「ブッダ」
からのものが殆どなのですが、確か作中では赤ん坊のシッダルタは寝たまま、
目もつぶったままで、両手の人指し指で上下を指差していたと思います。

これなら充分ありえますね。


▼これであなたも物知り博士?

「手塚治氏の長編漫画で、お釈迦様を描いたものがあります。タイトルは?」

A.シッダルタ
B.シャカ
C.ブッダ



答え: ブッダ

子供の頃、ブッダは何度も読みました。その割に内容を正確に覚えてはいない
のですが、このエピソードも多少形を変えて盛り込まれていたように思います。


▼編集後記

先週、「仏の顔は3度」という諺は、3度目にはもうダメという意味だと
ご紹介しました。

英訳するとわかりやすく、「Even Buddha may be upset if his face is
hit three times.」となり、「お釈迦様でも、3度も顔をぶたれれば怒る。」
といった意味になります。

でも、起源に遡るとなぜか4度目という意味になるのは面白いですね。

もっとも、このあたりは原文の解釈によって説が異なるようです。サンス
クリット語の原文を研究するよりは、少ない方で覚えておくことにします。


今日はクリスマスイブですね。子供の頃、「いい子にしていないとサンタ
さんが来ないよ。」と言われた方は多いと思います。あれも因果応報の理
と言えるでしょうか。

もっとも、私もそうですが、常日頃いくら叱っていても親としてはやはり
子供の枕元にプレゼントを置いてしまうものだと思います。

「悪い子だったからサンタさん来なかったね。」とは言いにくいものです。
せいぜいやって、希望通りの物をあげない程度でしょうか。

こうした気持ちも、いずれ子供に伝わっていくといいですね。少なくとも
両親から私には伝わったようです。


▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓

「ついた嘘、いつか漏れると定まれど、良き行いも我が身に返る。」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

★次回 旅のものがたり

「大きな船と小さな船」(仮)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!


【第63回】

          「仏の顔を三度」


むかし、京都の大きな寺に、男の子が生まれました。


仏の教えを説く重要なお寺であったため、男の子は将来立派なお坊さんになる
ことが期待されました。

どころが、上京して学校に通ったもののやめてしまい、次に入った学校も続か
なかったため、京都に戻って学びました。

探究心は強かったものの、関心の持てないものにはまるで興味を示さないと
いう面があったようです。

でも、大きなお寺の跡取りという立場にあったため、そもそも仏とは何なのか
という点には大きな関心を持っていました。


そんな彼は、仏様はどこからやってきたのか。その教えはどのようにして
伝わって来たのか。いつかそれを知りたいと願っていました。


男の子は青年となり、外国に留学して学び、あることに気づきます。

西洋人の方がよほど熱心に仏の起源に興味を示し、研究を進めていたのです。

一念発起した彼は、仏の起源を探る旅に出ることを決意します。


幾人かの仲間とともに未開の土地を進み、数々の国を調査してまわった結果、
自ら先頭に立った第一次探検で大きな発見をしました。

今まで不明とされていた、仏様が教えを説いた山の場所を突き止め、その他
にも多くの発見や発掘を行いました。

そしてその後も探検隊を派遣し、計3度に渡って資料を持ち帰ったのでした。


けれども、大きな成果はあげたものの大掛かりな探検にたくさんの費用を
使ってしまい、生活も派手だったためお金がなくなってしまいました。

そのため財産を処分して邸宅も引き払い、生活の場を外国に移しました。

数々の収集品は散り散りになってしまいましたが、一部は移り住んだ国の
博物館に預けられ、やがてずっとそこで管理されることになりました。


京都で生まれ、ロンドン留学から西域の大探検に出た、大谷光瑞(おおたに
こうずい)。

彼が移り住んだ先は、隣の国、中国の大連(だいれん)という街でした。


仏の素顔を求め、3度に渡って大冒険を行った、大谷探検隊の記録は、日本
における西遊記と言えるかもしれません。

彼等の持ち帰った発掘品は、現在は旅順(りょじゅん)博物館で見ること
ができます。

展示されているのは、彼らの上げた成果のほんの一部ですが、訪れた際は
ご覧になってみてはいかがでしょうか。



▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓

大谷光瑞(1876-1948)は、宗教家であり探検家でもありました。

浄土真宗本願寺派22世当主で、留学先のロンドンからの帰り道を利用して
探検を行いました。

本人が参加したのは1回目のみですが、計3回の探検を行いました。

この時代、各国がシルクロードや中央アジアの探検を進めていましたが、
日本からは調査隊が出されることがありませんでした。


大谷探検隊のメンバーは皆仏教徒であり、専門家ではありませんでした。

そのため、収集した資料の扱いや整理では行き届かない部分もあったようで
すが、逆に専門家が軽視していたものも熱心に収集し、後からその意義が
大きくなったものも多かったようです。



▼オマケの話

中国で、伊東忠太という建築家と出会って親交を結び、彼にいくつもの建築を
依頼しますが、財政的に逼迫した結果売り払い、中国の大連に渡ります。

大谷光瑞は、収集した物を博物館に寄贈することはなく、あちこちの別荘など、
手元に置いたため、没落の際には収集品は散り散りになってしまいますが、
その一部は旅順の博物館で見ることができます。

大谷光瑞は頭も丸めず、洋服を身につけ、まるで実業家のようだったといいます。

学校を建てるなどして教育熱心でもあり、事業においては海外進出に力を入れ、
台湾や中国に別荘を持つ豪華な生活を送りました。

軍とも関係が深く、日露戦争にてこ入れして莫大な金額を注ぎました。
後に膨大な負債を抱えていたのには、こうした背景もあったようです。


▼これであなたも物知り博士?

「仏の顔も3度まで、と言いますが、何度目までOK?」

A.2度目まで
B.3度目まで







http://www.etours.jp/tenjo%20nikki/nikki%20top.html

なかなか寒くなりませんでしたが、気がつけば今年もあとわずかです。
皆様、風邪などお引きになりませんように。私も気をつけます。

大晦日も「旅のものがたり」は配信する予定です。



▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓

「物事の 根っこを知るのは意義がある。」

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


★次回 旅のものがたり

「仏の顔は3度まで」(仮)

(間違いではなく、タイトルはこれで合っています。)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!





答え: 2度目まで(3度目はダメ)

3度目までOKと思いがちですが、違うようです。

3度目までは仏様のような顔をしているという意味ではなく、仏様でも顔を
3度もなでられれば怒り出す(2度が限界)という意味のようです。

「仏の顔も3度まで」ではなく、「仏の顔も3度(で変わる)」といった
ところでしょうか。

ただ、この話には続きがあります。ちょっと興味深い話なので、来週ご紹介
したいと思います。



▼編集後記

大谷光瑞と伊東忠太との親交がもとで生まれたのが、先週ご紹介した築地
本願寺です。お坊様とは思えない、豪快な人生だったようですね。

興味を持って話のつながりを追うと、日本から外国、また日本へと忙しく飛
び回ることになりますが、意外なところで話がつながると、歴史は絡み合っ
て成り立っているのだと実感します。


弊社の添乗員も忙しく飛び回っています。その様子は、いい旅ホームページ
の「添乗日記」のコーナーで見られますので、時々のぞいてみて下さい。