メールマガジンは続けていたものの、このブログの更新をずっと怠っていました。

でも、今回あるきっかけで反省しましたので、掲載していなかったものをどんどん
載せていきます。一気に50回分くらい上げますので行間が詰まったままですが、
その点はご容赦ください。          2011年10月21日 黒崎



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◆【旅のものがたり】
        株式会社いい旅ホームページ  http://www.etours.jp
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2011年1月21日号
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おはようございます。株式会社いい旅の黒崎です。

「旅のものがたり」は、素直な好奇心で、先入観なく世界や日本のことを
楽しもうと始めた企画です。雑学や話のネタとしてお楽しみください。

題材は基本的にいい旅のツアーから選んでいますが、時々日本の話や旅と
は関係ない話も登場します。

それでは早速、今回のものがたりをご紹介しましょう。

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【第68回】

          「最愛のもの」

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今から500年ほど前、現在のインドに帝国を築いた王様がいました。

最新の武器を取り入れ、少ない人数で大きな軍勢を破るなど、国を治める
だけでなく、戦いにも優れた力を持つ王様でした。


王様には息子がいて、王位を継がせたいと思っていましたが、ある時王子
が重い病気にかかってしまい、命が危なくなりました。

王様が神様に祈ると、お告げがありました。

「一番大切なものをあきらめれば、最愛のものが救われるであろう。」

王様はお告げに従い、王子の寝床のまわりを歩きながら祈りました。

すると王子は回復しましたが、代わりに王様が病気になり、そのまま命を
落としてしまいました。

王様は、自分の命をあきらめて、息子の命を救ったのでした。


成長した王子は王位につきましたが、残念ながら父王ほどの力を持って
いませんでした。

妻を愛し、ワインや詩を愛したため、文化は発展しましたが、戦いには負
けてしまうことが多く、ついに反乱が起きて国を追われてしまいます。

先王が築いた帝国は、脆くも崩れ去ってしまったのです。

しかし、若き王にも意地がありました。

自らの命を捧げてまで自分を生かしてくれた父の国を取り戻すため、お后
の国に身を寄せて、ひたすら反撃の機会を待ちました。

そして15年が過ぎた頃、その国の援助を得て再起し、ついに帝国を取り
戻すことに成功したのです。

苦楽を共にした夫婦は、手を取り合って喜びました。


ところがその翌年、王は不慮の事故で亡くなってしまいます。


お后は最愛のものの死を悲しみ、8年もかかって立派なお墓を建てました。

お后が生まれた国の様式が取り入れられたこのお墓は、その後の建築物にも
大きな影響を与えていきました。


100年ほどが過ぎた、5代目の王様の時、今度は逆にお后が早く亡くなっ
てしまいました。

王は最愛のものの死を悲しみ、22年もかかって立派なお墓を建てました。

建築には、各地から運んだ大理石や宝石をふんだんに使い、国の財政が傾く
ほどだったといいます。


2代目の王、フマユーン王のお后はペルシアの出身で、王の墓であるフマユ
ーン廟(びょう)には、ペルシアの様式が取り入れられました。

また、5代目の王、シャー・ジャハーンのお后のルーツもペルシアで、お后
の墓であるタージ・マハルは、フマユーン廟から大きな影響を受けたと言わ
れます。

最愛のものの死を悼んで建てられた2つの墓所は、インド文化とペルシャ文
化の融合の象徴として、現在もその美しい姿を見せてくれます。

いずれかを訪れた際には、2つの墓所の関連も思い出してみてはいかがでしょ
うか。


▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ↓

フマユーンの死因は、図書館の階段から転落したためと言われています。父王
である初代皇帝バーブルは48歳、息子フマユーンは49歳で迎えた死でした。

父の没した年齢で帝国を取り戻したのは、父バーブルを意識してのことだった
のかもしれません。

※バーブルはチンギス・ハンの血を引き、ルーツはモンゴル系でした。帝国は
ムガール帝国と呼ばれ、モンゴルがムガールに転じたものと言われます。


▼オマケの話

※タージ・マハルという名の由来ははっきりしないようですが、お后の名、ム
フターズ・マハルを縮めたものではないかと言われます。


▼行って来ました!

龍石堂です。1月8日発、「北インド周遊の旅8日間」で添乗を務めました。

インド旅行の王道、黄金街道とも称されるコースで、インドにある26の世界
遺産のうち、8ヶ所を巡ってきました。

また、少ない人数でご案内している強みとして、日程には入っていない場所に
も訪れたところ、大変喜んでいただけました。

いい旅のホームページで、旅の様子を紹介しています。今回の話に出てきたフマ
ユーン廟とタージ・マハルの写真も見られますので、ご覧になってみて下さい。

http://www.etours.jp/tenjo%20nikki/20110118_india.html


▼編集後記

火曜日に「ガイアの夜明け」という番組を見ていたら、バスクリンの話をやって
いました。入浴剤の草分け的存在で、新しい試作品が出来ると、ずらりと並んだ
浴槽に社長が自ら入って感想を述べます。

パンツははいているのでしょうけれど、裸でお風呂に入った社長をスーツ姿の社員
が緊張の面持ちで見つめるのは、ちょっとユーモラスな場面でした。

でも、真剣に仕事をする基本なのでしょうし、モデルにした温泉地でダメ出しされた
点を社長も気にかけていたのはさすがでした。

もとはバスクリンという社名ではなかったのですが、入浴剤事業が廃止されることが
決まった際に独立し、社名をそのものズバリの「バスクリン」としたそうです。


さて、弊社の社名は、そのものズバリの「いい旅」です。

バスクリンさんを見習って、社名に違わぬ旅行商品づくりをしなければならないと、
身が引き締まる思いです。

幸運なことに私の場合、会社でお風呂に入らなくても、旅行に行って温泉に浸かれば
バッチリ見習うことができます。

その時はぜひ水風呂にも入って、実際に身を引き締めてみようかと思います。


▼これであなたも物知り博士?

「完璧な左右対称と言われるタージ・マハルですが、唯一そうではない場所がある
といいます。それは?」

A.ミナレット(尖塔)
B.庭園
C.棺が置かれた場所





答え: 棺が置かれた場所

タージマハルを覗くと、安置されている2つの棺を見ることができ、この部分
のみが左右非対称であるとされています。

ちなみにこれはイミテーションで、本当の棺は地下にあるそうです。


▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓

「人は愛によって生かされ、弔われると知ろう。」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


★次回 旅のものがたり

「行方知れず」(仮)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!

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「旅のものがたり」  

発行者:株式会社いい旅
執筆 :黒崎 康弘
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「旅のものがたり」は、素直な好奇心で、先入観なく世界や日本のことを
楽しもうと始めた企画です。雑学や話のネタとしてお楽しみください。

題材は基本的にいい旅のツアーから選んでいますが、時々日本の話や旅と
は関係ない話も登場します。

それでは早速、今回のものがたりをご紹介しましょう。

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【第67回】

          「愚か者に小判」

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むかしあるところに、男がおりました。

いろいろあって一応は、道士と呼ばれるお坊さんになったのですが、あまり
学がなく、満足に字を読むこともできませんでした。

ふらふらと流れ歩いて暮らしていると、ある日、切り立った崖に洞窟がある
ことに気づきました。

見ると、他にも数えきれないほどの洞窟があり、そのひとつひとつに立派な
仏像が彫られていました。

雨露をしのぐのにちょうどよいし、この場所を守っていると言えば恰好も
つくので、道士はその洞窟の一つに住み着いてしまいました。

そして、時々仏像の修復を行いつつ、近くの住民に食べ物を分けてもらい
ながら暮らしていました。

そんなある日、タバコをふかしていて、不思議なことに気づきました。

タバコの煙が、奥の壁の中に吸い込まれていくのです。


壁を叩くと、その辺りだけ音の響きが違いました。

もっと強く叩くと、壁が崩れて隠し部屋が現れました。

狭い部屋の中には、仏教の教典が山と積まれていました。


たいへんな発見ですが、なにせ字が読めないので、値打ちのあるものかどう
かがわかりません。

仕方なく役所に届け出ましたが、部屋を封印してそのまま保管しておけと
いうことになりました。

しかし道士はきちんと封印をせず、時々部屋から経典を出してはこっそり
商人に売りさばいていました。


こうした噂は、思わぬところまで流れるものです。

この話を知った外国の探検家がやってきて、教典を買いたいと言いました。

道士は渋りましたがそのうち意気投合し、銀貨何枚かでたくさんの経典を
売ってしまいました。

次の年にはまた別の外国人がやってきたので、道士はまた小遣いを稼ぐこと
ができました。


それを知ったお役所は残りの教典を差し出すようにと言ってきましたが、
道士はもう教典が売れることを知っていたので一部だけを差し出し、残りは
自分で隠し持っていました。

そしてその後も外国から探検家や学者がやって来ると、前よりも高くして
売りさばいてしまいました。


中国、甘粛省(かんしゅくしょう)の敦煌(とんこう)、莫高窟(ばっこう
くつ)に住み着いた道士の名は、王円ろく(おうえんろく)と言い、発見
された教典は、たいへんな歴史的価値のあるものでした。

重要な文化財を隠し持ち、外国に売ってしまったのですが、特に強く罰せ
られることはなかったようで、80歳を超える長生きをしました。

また、お金はちゃんと莫高窟の修復費用にもあてていたこともあってか、
莫高窟の近くには王道士の墓が建てられています。

何を考えていたのか、どこまで本気だったのか、少々つかみどころのない
道士ですが、世紀の大発見をした人物であることは事実です。

莫高窟を訪れた際には、王道士の墓を探してみるのもよいかもしれませんね。


▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓

※王道士は莫高窟に住み着き、1900年に16窟の壁を破って17窟を
発見しました。タバコの煙でとも、掃除をしていて見つけたとも言われます。

役所では当初、部屋から経典を運び出して保管するつもりでしたが、あまり
に数が多くて費用がかかりすぎるために、そのままにしてしまったそうです。

※1907年、イギリスの探検家、オーレル・スタインが訪れ、6000巻
も持ち帰ったとされ、この時の代金は馬蹄銀4枚だけだったといいます。
この時持ち帰られた経典は大英博物館に収められ、スタインはこの功績で
Sirの称号を与えられたといいます。

ただ、スタインは漢字を読めず、交渉と見極めは通訳頼みだったため、持ち
帰った経典は数こそ多いものの大した価値はなく、大英博物館では今もまだ
整理しきれていないそうです。

※その翌年、1908年にはフランスのポール・ペリオが訪れ、中国語を
流暢に操った彼はすぐ王道士と打ち解け、部屋に案内されてじっくり吟味
した上で、特に価値の高いもの5000巻を選んで持ち帰りました。
ポール・ペリオは13ヶ国語を操り、中国の歴史や文化にも通じた語学の
達人だったそうです。

訪れたのはスタインよりも後だったのですが、この件で最も成功を収めた
人物であるといえます。


▼オマケの話

※その後、清朝政府の命で残りが北京に運ばれましたが、移送の途中で役人
が着服してしまったり、民間に流れた分も相当あったようです。

王道士が隠し持っていた経典は、1912年には日本の大谷探検隊が、19
14年にはロシアのオルデンベルグ探検隊が買い取りました。


▼これであなたも物知り博士?

「最後にアメリカの探検家がやって来ましたが、経典がすっかりなくなって
いるのを知ってとんでもない行動に出ます。それは?」

1.王道士を捕らえて拷問した
2.穴を掘って新たな経典を探した
3.壁から壁画を剥がして持ち去った



答え: 

壁から壁画を剥がして持ち去った

1924年にやって来たアメリカのウォーナー探検隊は、もう何もないと
見るや、何と薬品を使って壁画を剥いで略奪していったそうです。

壁画を安全に保存するためだったと言い訳をし、味をしめて再度敦煌を訪れ
ましたが、住民に阻まれて一歩も近づくことが出来なかったといいます。
彼によって一部が剥ぎ取られた壁画は、今も痛々しい姿をさらしています。

中国からは悪名高い略奪者とされるウォーナーですが、日本では京都の街が
戦争で爆撃されなかったのは、彼が作成した文化財のリストのおかげだと
する考えがありました。ただ、それも新たな研究では異なる見解が示されて
いるようです。


▼編集後記

最初にイギリスの探検家が来た時、王道士は経典を売ることを渋ったのですが、
インドに経典を求めて旅をした玄奘三蔵の話を引き合いに出され、自分も玄奘
三蔵を尊敬していたため承知したそうです。

ただ、それでも部屋の中にはスタインを入れずに、持ち出した物を見せ、全て
譲って欲しいという申し出は頑なに断ったそうです。

王道士は、それなりに真面目だったのか、あるいはお調子者だったのかよく
分からない人物ですが、残っている写真がとても楽しそうに笑っているもの
なので、どうしてもユーモラスな印象が残ります。
また、道士なのに字が読めなかったという点は、ちょっと問題かもしれませんね。
 


▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓

「猫に小判というけれど、愚者に小判も考えもの。」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。毎週こうしたお話をお送り
できるのも、ツアーに参加して下さる皆様のおかげです。

★次回 旅のものがたり

「最愛のもの」(仮)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!

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発行者:株式会社いい旅
文章 :黒崎 康弘
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【第66回】

          「二人の三蔵法師」

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昔、一人のお坊さんが、仏教の経典を求めて天竺(てんじく)へ旅立ちました。

経典にはお釈迦様の大切な教えが書かれており、その教えを深く理解し、
広く人々に紹介したいと考えたのです。

当時の旅行は命がけです。お坊さんはお経を唱えながら、高い山を越え深い
谷を越え、熱い砂漠を渡って、何年もかかってたくさんの経典を持ち帰り
ました。

そして、残りの人生をその翻訳に注いだので、その功績を称えて、「三蔵」
(さんぞう)と呼ばれるようになりました。


少し後の時代に、別のお坊さんも天竺へ旅立ちました。

この頃は、陸路の方がかえって危険だったため、往復とも船に乗って海を渡り、
たくさんの経典を国へ持ち帰りました。

そして、残りの人生をその翻訳に注いだので、その功績を称えて、こちらも
「三蔵」と呼ばれるようになりました。


三蔵というのは、大きな働きをしたお坊さんにだけ授けられる称号でした。


先の三蔵が訳した経典を保存するために、皇帝は高い塔を建ててくれました。

後の三蔵が訳した経典を保存するためにも、皇帝は高い塔を建ててくれました。


2つの塔は同じ都市に建っていますが、一方は有名であるのに、もう一方は
あまり知られていません。

ともに、中国陝西省(せんせいしょう)の西安(せいあん)にあり、先の三蔵
こと玄奘(げんじょう)の塔は、大雁塔(だいがんとう)。

後の三蔵こと、義浄(ぎじょう)の塔は、小雁塔(しょうがんとう)と名づ
けられました。

大雁塔の方が大きく、壊れたところもきれいに修復され、お寺も立派である
のに対して、小雁塔の方は十分な修復もなされず、少し壊れた状態で静かに
佇んでいます。

小雁塔を訪れる人は少ないようですが、多くの経典が保存された点は同様で、
観光客が少ないため、大雁塔とは異なる静かな雰囲気を満喫できるといわれます。

西安を訪れた際には、玄奘三蔵の偉業とともに、もうひとりの三蔵にも想い
をめぐらせてみてはいかがでしょうか。


▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓

※天竺こと、インドの仏塔を模して建てられた大雁塔は、1300年の歴史
を持ちます。

高さは64m。648年に唐の皇帝、高宗が玄奘の願いを受けて建てました。
玄奘は自ら材料を運んで工事を手伝い、完成した後には経典の翻訳に力を尽く
したといいます。

もとは5層で、後に10層に改築され、その後戦火で上の3層が失われました。
現在は壊れた部分が修復された7層で、西安のシンボルとなっており、上まで
登ることができます。

※小雁塔の高さは43m。707年頃に建てられ、もとは13層あったそう
ですが、上の2層が壊れてしまい現在は11層で、破損部分は満足に修復され
ていません。

見た目は大雁塔と似ていますが、丸みを帯びた外観は少々女性的で、記録に
よれば地震で2つに裂けてしまったのに、別の地震でまたくっついたそうです。

※義浄(671-695)の旅は海路でしたので、もしかすると行程は玄奘に
比べれば容易だったかもしれません。

ただ、船に乗り込む際に同行者が怖気づいたためにたった一人で旅立っている
ことからも、当時の国際行路に乗り込む危険の大きさが知れます。

37歳で旅立って年数は25年間に及び、訪れた国は30を越えるといいます。

義浄は玄奘をとても尊敬しており、自分も天竺に行きたいと強く願ったそうです。


▼オマケの話

※日本人にもたった一人、三蔵法師と呼ばれた人がいました。

名を霊仙(りょうせん)といい、遣唐使で唐に渡った僧の一人で、生まれは
近江(滋賀)とも阿波(徳島)とも言われますが、残念ながらついに日本に
戻ることはありませんでした。

その後唐に渡った円仁(えんにん)が、その最後の様子を聞き、霊仙三蔵
の遺品を日本に持ち帰ったといいます。

滋賀県には霊仙の名前をつけられた、霊仙山(りょうぜんさん)(標高10
94m)があります。



▼これであなたも物知り博士?

「西遊記に出てくる、三蔵法師と共に旅をする弟子は何人?」

A.3人
B.4人
C.5人




答え: 4人

猿の妖怪・孫悟空(そん ごくう)、豚の妖怪・猪八戒(ちょ はっかい)、
河童の妖怪・沙悟浄(さ ごじょう) 、それから龍が馬に姿を変えた、玉龍
(ぎょくりゅう)です。
 
西遊記は、玄奘の旅をモデルにつくられた架空の物語ですが、今日に至るまで
原作者は不明なのだそうです。


▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓

「広く知られた偉業の陰にも、大きな功績のあることがある。」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

「ニ人の三蔵法師」という題でしたが、3人紹介してしまいました。

★次回 旅のものがたり

「愚か者に小判」(仮)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!

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