【第62回】


          「築かれた地面」


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昔、東京がまだ江戸と呼ばれていた頃の話です。


立派なお寺があり、たくさんの人がお参りしていました。


でも、ある大火事の際に、そのお寺も焼けてしまいました。



お寺を大事にしていた人たちは、再び建てようとしましたが、街を整理する
から、という理由で認められませんでした。


そして新たに割り当てられた場所は、なんと海の上でした。



それでも何とかお寺を再建したいと思った人々が、集まって話すうち、誰
からともなく声が上がりました。

「地面がないなら、土を盛って土地を築けばいい。」


そのお寺は、人々にとって本当に重要だったのでしょう。


多くの人の力によって海は埋め立てられ、地面が築かれました。


そしてその上に、再びお寺が建てられ、お寺はまた以前のように、たくさん
の人々の心のよりどころとなりました。



ところがその後の時代に、今度は大きな地震がありました。


お寺は、地震の揺れには何とか持ちこたえたのですが、その後起こった火事
でまた焼かれてしまいました。


それでも人々は再びお寺を再建し、今日に至ります。



東京、築地にある、築地本願寺。



築地という地名は、「築かれた地面」という由来から生まれたといいます。


現在、築地には移転問題がありますが、そもそもお寺の移転問題の結果、
築かれた土地だったのです。


築地を訪れた際は、そんな視線でご覧になってみてはいかがでしょうか。




▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓


※築地本願寺は、1617年に建立されて浅草の近くにありましたが、1657
年、振袖火事と呼ばれた大火事で焼失してしまいました。


幕府の区画整理のため同じ場所への再建が許されず、代わりに指定されたのが
八丁堀の海上でした。


門徒を中心に海を埋め立てて土地を築き、1679年に再建したものの、1923
年に関東大震災で崩壊。後に、東京(帝国)大学工学部教授・伊東忠太博士の設計
によって、石づくりの古代インド様式の寺として1934年に完成しました。



▼オマケの話


当初は変わった寺とも言われたようですが、仏教の源であるインドに対する敬意
と一緒に、炎にも負けない石づくりのお寺、という思いも込められていたのかも
しれません。


ただ、本堂の外観や内部に様々な変わった動物の彫刻があり、妖怪好きとも称さ
れた、伊東忠太博士の好みを反映したものとなっているようです。



▼これであなたも物知り博士?



「次のうち、築地に第一号店を出店したのは?」


1.マクドナルド

2.ミスタードーナツ
3.吉野家













答え: 吉野家

正確には、築地で開業したのではなく、もともと日本橋にあった魚市場に吉野家
が誕生し、関東大震災によって魚市場が築地に移転したのと一緒に移ったそうです。


その30数年後に株式会社となったため、「吉野家の一号店は築地」と言われる
ようです。


▼編集後記

吉野家の一号店は築地から始まった、という話は、以前にも聞いたことがあり
ました。ただ、築地という名の由来は、今回初めて知りました。


先週ご紹介した振袖火事(明暦の大火)は、本願寺、築地、果ては吉野家の
移転問題まで引き起こしたようで、その築地に今また移転問題があるわけです。

現在あるものは、何がもとになったものか分からないものですね。



ちなみにマクドナルドの日本一号店は、1971年7月20日に銀座三越に、
ミスタードーナツは1971年4月に大阪に出店しています。


ついでにケンタッキーを調べてみたところ、1970年11月に名古屋に出店
していました。この時期はアメリカから持ち込まれた日本のファーストフード
チェーンの黎明期のようです。


それから、日本のケンタッキーフライドチキン(今はKFCが正式名称)の会
社設立は7月4日で、弊社、株式会社いい旅と同じでした。KFCは40周年、
いい旅はおかげ様で今年10周年を迎えました。


どんどん取りとめのない話になるので、今週はこのあたりで。



▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓


「ひと目では、物の起源は分からない。また、明日あるとも限らない。」



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

★次回 旅のものがたり

「仏の顔を三度」(仮)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!

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「旅のものがたり」  

発行者:株式会社いい旅
執筆 :黒崎 康弘
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【第61回】


きものがたり編


           「振袖の呪い」



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昔、東京がまだ江戸と呼ばれていた頃のことです。


ある娘が、母親と花見に出かけました。


当時、若い女性が出歩くことはあまりなく、たまの外出は大きな楽しみだ
ったため、きれいな着物を着て、心躍らせながら出かけました。



その道中、娘はたいへん美しい青年と出会います。


目鼻立ちのすっきりとしたその青年は、見事な着物を身につけ、あっという
間に姿を消してしまいました。


娘はひと目で心を奪われ、また会うことができないならばと、その青年の
着物と同じ模様の振袖をせがみました。


そうして、手に入れた振袖をたいそう大切にしました。



ただ、様子がちょっと普通ではありませんでした。


食事もろくに取らず、枕に振袖を着せては話しかけ、寝ても起きても一緒に
過ごし、その青年に会いたいと言いながら日に日にやせ衰えていきました。

重い、恋煩いでした。


両親は手を尽くしてその青年を探しましたが、ついに見つからず、周囲の
努力も実らず、ついに娘は死んでしまいました。



家族は、娘のお気に入りだったその振袖を棺に着せて、葬儀を行いました。

当時はそうした慣習があったのです。


また、こうした場合、棺に着せられた着物は寺から売りに出されるのが普通
だったため、振袖は他の人の手に渡り、他の娘が着ることになりました。



すると、ほどなくその娘も体調を崩して亡くなってしまいました。

振袖はまた棺に着せられ、寺に戻りました。


寺の人たちは、戻ってきた振袖に驚きつつも、再び振袖を売りに出し、また
他の娘が着ることになりました。


ところが、その娘もまたすぐ亡くなってしまったのです。


再び棺に着せられて戻ってきた振袖を見て、寺の者たちも異常に気づき、
3つの家の家族と相談して、その寺で振袖を供養することにしました。



そしてある日、念仏が唱えられる中、振袖は火に投じられました。


するとその途端、火のついた振袖が突然のつむじ風に飛ばされ、高く舞い
上がりました。


振袖は寺の屋根にかかり、火の粉を散らしながらみるみる燃え広がり、さらに
風は、焼けてちぎれた振袖を他の2ヶ所に運び、計3ヶ所から火が出たのです。


折り悪く、江戸の町には80日間も雨が降っていなかったこともあり、火は
たちまち燃え広がり、甚大な被害をもたらしたのでした。



江戸の街を焼き払い、お城の天守閣までも焼き尽くしたこの大火災は、その
いきさつから振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれました。


正式には、当時の年号を取って明暦の大火(めいれきのたいか)と呼ばれ、
度々火事に見舞われた江戸の街でも最大級のものでした。


多くの人の命を奪い、街を焼き尽くした大火が、一人の娘の恋煩いから生ま
れたものだとしたら、世にも恐ろしいことだとは思いませんか?




▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓


振袖火事という名称はある程度定着したものですが、最近の研究では、これ
は意図的に流布された話であるとも言われています。


実際には寺の隣にあった老中の屋敷から出火し、その過失を隠すためにこの
作り話を流したというのです。


火事の火元となるのは大きな罪に問われることであり、老中の屋敷から火が
出たというのでは、幕府の威信も地に落ちます。


そのため、寺の住職に事情を話して口裏を合わせたのだといいます。


だとすると、怪談のような形を取ったのは、話が広まりやすくするためと、
寺の責任を軽くするためだったのかもしれません。


事の真偽は分かりませんが、火災の後、区画整理を理由に数々の寺や大名の
屋敷が同じ場所への再建を許されなかったのに比べ、この寺は数年後には同じ
場所に、しかも前より大きな寺として再建されています。


また、通常受ける罰も受けず、後年にはむしろ寺の格が上がっただけでなく、
老中の家からは「供養料」という名目で毎年多額の寄進を受け、何とそれは
250年以上も続いたといいます。


こうした背景から、火は老中・阿部忠秋の屋敷から出たものであり、出火の
原因は女中の不注意だという説が生まれています。




▼オマケの話


他の説としては、由井正雪(ゆいしょうせつ)の残党による放火であるとか、
幕府が肥大しすぎた江戸の区画整理を行うために意図的に火事を起こしたなど
というものもありますが、責任転嫁説よりは説得力に乏しいもののようです。


▼編集後記


先週お送りした「切り放ち」の話と同じ、明暦の大火を舞台にした話ですが、
何にスポットを当てるかで全く異なる話になります。


当時不名誉を被ったお寺は、東京都豊島区巣鴨にある、本妙寺(ほんみょうじ)
と言い、現在はお寺のホームページで、振袖火事の出火元は隣にあった老中の
屋敷である、と明言しています。


状況証拠もいろいろあるので、読むとなるほどと思わされます。

本妙寺サイト
http://www6.ocn.ne.jp/~honmyoji/



▼帰って来ました!


西洋と東洋が混在する街、イスタンブールに行っていたツアーが無事戻りました。
ご参加の皆様、ありがとうございました。


ツアーの様子は、近日中にいい旅のウェブサイトでご紹介しますのでお楽しみに。

先日のオマーンのツアーの様子は公開済みです。写真もたくさんありますので、
ご興味のある方は、ご覧になってみて下さい。


http://www.etours.jp/tenjo%20nikki/20101111_oman.html





▼これであなたも物知り博士?

「振袖は江戸時代に生まれて発展しましたが、現在との違いは?」

1.当時は左右の振袖がつながっていた。
2.当時は既婚の女性だけが着ていた。
3.当時は男性も着ていた。















答え: 当時は男性も着ていた


街中で見かけた男性が着ていた、というように、男女差のない和服として生まれ、
その後若い女性の晴れ着となっていきました。


振袖の長さは3つに分類され、袖の長さが85cmほどで「小振袖」、100cm
ほどだと「中振袖」、114cmほどのものは「大振袖」と呼んだそうです。
相当な長さですので、小柄な女性だとバンザイをするか、少なくとも前へならえを
していないと引きずってしまいそうですね。
 





▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓


「誤った情報が、まことしやかに語られることもある。」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

★次回 旅のものがたり

「築かれた地面」(仮)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!

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【第60回】

          「切り放ち」



昔、東京がまだ、江戸と呼ばれていた頃、町には木の建物がたくさんひし
めいていました。


そのため、ひとたび火の手が上がるとまわりの家に燃え移り、町ごと焼き尽
くすような大火事が何度もありました。



そのうちのひとつ、後に振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれた大火事の時の
ことです。


火はどんどん燃え広がってとどまることを知らず、江戸の街を焼いていきます。

煙と火から人々が逃げ惑う中で、難しい判断を迫られたお役人がいました。



お役人は、大きな牢屋を預かる身でした。


牢屋には何百人という罪人がいますが、このままでは火がまわり、閉じ込めら
れたまま全員焼け死んでしまいます。


いかに罪人といえど、見殺しにして逃げるのがためらわれたのです。


当時、こうした場合の決まりはなかったため、勝手なことをすれば自分が罪に
問われるかもしれません。


けれどお役人は心を決め、全員を解き放つことにしました。



炎が迫る中、お役人は言いました。


「逃げよ。ただし、必ず戻れ。
もし戻らねば、どこへ逃げようと探し出して、家族もろとも死罪とする。
だが、約束通り戻ったなら、私の命にかえても必ず罪を軽くしてやる。」


罪人達は手を合わせて涙を流し、必ず戻ると約束しました。



人は、喉元過ぎれば熱さ忘れるといいます。お役人は全員が戻るとは思わ
なかったかもしれません。


ただ、何百人もの人間を見殺しにできなかったのです。

お叱りを受けるのは、覚悟の上でした。



ところが火事がおさまると、なんと一人も欠けることなく全員が、約束通り
に戻ったのでした。


お役人は彼らの無事を喜び、約束通り罪を軽くするために全力を注ぎました。

「罪人といえども、この義理堅さは誠に天晴れなもの。今彼らを失うことは、
きっといつか国の損失となるでしょう。」


そう言ってお上に減刑を嘆願し、本当に全員の罪が軽くなったのでした。


こうして、「切り放ち」と名付けられたこの方式は公の制度となり、火事の
際には再び行われるようになったのでした。



お役人の名前は、石出帯刀(いしで たてわき)といいました。


一人のお役人の勇気ある決断と、その心意気に感じ入った罪人達の行動が、
救われる命と、改められる心を生んだのでした。


今の東京からは想像のできない話ですが、次回はこれにまつわる別の話も
ご紹介したいと思います。



▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓


明暦の大火(めいれきのたいか)と呼ばれたこの火事は、1657年3月2日
から3日間続き、江戸の大半を焼失するに至った大火災です。当時の年号から
明暦の大火と称され、振袖火事・丸山火事とも呼ばれます。


この火災による被害は延焼面積・死者共に江戸時代最大で、江戸の三大火の
筆頭としても挙げられ、天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半
を焼失しました。死者は10万人とも記録されており、江戸城天守はこれ以後、
再建されませんでした。


東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大のものと
いわれ、日本ではこれを、ロンドン大火、ローマ大火と並ぶ世界三大大火の
一つに数えることもあります。



▼オマケの話


明暦の大火を契機に江戸の都市改造、防災への取り組みも行われ、幕府は耐火
建築として土蔵造や瓦葺屋根を奨励しましたがあまり普及せず、その後も江戸
はしばしば大火に見舞われました。


▼編集後記


今回の話は、江戸にあった築地本願寺が火事で焼けた経緯を調べるうちに
目にしたことをまとめたものです。


実際の旅行とは直接関係ない話ですし、ちょっと「走れメロス」のような話
ですが、こうした義理固い話は個人的に好きなのでご紹介してみました。

いろいろ調べているうちに、全く予想しなかったものに行き着き、こんな
ふうに知識や話のタネが増えるので、非常に面白いと思います。


毎週こんな話をまとめている恩恵ですね。




▼帰って来ました!


中東の国、オマーンに行っていたツアーが無事戻りました。ご参加の皆様、
ありがとうございました。

ツアーの様子は、近日中にいい旅のウェブサイトでご紹介します。お楽しみに。



▼これであなたも物知り博士?

「『火事と○○は江戸の華』と言われますが、○○に入るものは?」

1.神輿(みこし)
2.花火(はなび)
3.喧嘩(けんか)













答え: 喧嘩(けんか)


気が短くて荒っぽい、江戸っ子の気性を表している言葉ですね。
 



▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓


「覚悟が伝われば、心が動く。心が動けば、人は行動する。」



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

★次回 旅のものがたり

きものがたり編

「振袖の呪い」(仮)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!

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執筆 :黒崎 康弘
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▼悲しい裏話(ご興味のある方だけお読み下さい)↓



大火災のさなか、数百人の罪人を一斉に解放したため、江戸の町は混乱を極め、
罪人が集団脱走をしたという誤報が伝わりました。

そのため浅草橋では門が閉じられてしまい、そこまで逃げ延びてきた多くの人が
逃げ場を失って、2万人にも上る人々が命を落としたといいます。

当時の状況は分かりませんが、そんな中で罪人達は全員逃げ延びたという話には
ちょっと疑問が残ります。「全員戻った。」ということになっていますが、中に
は死んでしまった人もいたかもしれません。
ただ、これを機に「切り放ち」の制度ができたのは確かなことのようです。