メールマガジンは続けていたものの、このブログの更新をずっと怠っていました。
でも、今回あるきっかけで反省しましたので、掲載していなかったものをどんどん
載せていきます。一気に50回分くらい上げますので行間が詰まったままですが、
その点はご容赦ください。 2011年10月21日 黒崎
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◆【旅のものがたり】
株式会社いい旅ホームページ http://www.etours.jp
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2011年9月30日号
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「旅のものがたり」は、素直な好奇心で、先入観なく世界や日本のことを
楽しもうと始めた企画です。雑学や話のネタとしてお楽しみください。
題材は基本的にいい旅のツアーから選んでいますが、時々日本の話や旅と
は関係ない話も登場します。
それでは早速、今回のものがたりをご紹介しましょう。
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【第104回】
「天空の花嫁」
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今から1000年も昔、アジアの高原に、いくつかの部族がありました。
ある時、一人の王様が周囲を統一して新しい国を作り、「神の地」という
意味の都を置きました。
王様はさらに国を発展させようとして、その後も熱心に外交を続けました。
この時代の外交は、主に戦いでした。
戦いを通じて新たな条件を引き出し、話がまとまると戦いをやめて交流を
行う、ということを繰り返しました。
外国は、戦うべき敵でもあり、何かを学べる友でもあったのです。
そのうち王様は、外国から何人かのお妃をもらいました。
国と国とを強く結びつけて安定をはかり、更なる交流を行うためでした。
今の中国にあたる国からも、お妃をもらいたいと考えた王は、その希望を
申し入れますが断られてしまいます。
それだけではなく、さらに別の国に馬鹿にされたことに怒り、王は兵を挙
げます。
無数の兵を引き連れてその国を倒し、勢いに乗ってさらに進みましたが、
中国にあたる国、唐の国までは倒せずに引き返しました。
それでも王はあきらめず、今度は贈り物をして自分の願いを伝えます。
その結果、念願かなって、唐の国から美しい王族の女性をお妃に迎えました。
唐の王族の女性は公主(こうしゅ)と呼ばれました。
公主は長い旅をし、1年以上もかかってようやく神の地、ラサの都に辿り
着きます。
高原を統一した王は、既に息子に王位を譲っていたため、公主は若い王の
お妃となりました。
ところが3年後、若き王は馬から落ちて死んでしまいました。
公主は3年間の喪に服した後、慣例に従って、再び王位についた前の王の
お妃となります。
ところがその3年後、前の王は病気で亡くなってしまいました。
公主は、望めば帰ることもできたのかもしれませんがそうはせず、その後
も留まって知識を伝え、2つの国の間をとりもつ存在として、2人の夫を
弔いながら暮らしたといいます。
唐の都・長安を離れ、天空の王国・チベットへ嫁いだ、文成公主(ぶんせ
いこうしゅ)。
チベットを統一した王は、ソンツェン・ガンポと言い、当時のチベットは
吐蕃王朝(とばんおうちょう)と呼ばれました。
王と公主が暮らしたチベットの首都、ラサは標高が高く(3600m)、
距離もあって訪れるのは大変ですが、有名な観光地である九寨溝と黄龍の
近くにある松潘(しょうはん)という街に、王と公主の像があります。
松潘の地は、かつてソンツェン・ガンポ王が唐に公主を求め、20万もの
兵を率いて訪れた地で、マントをなびかせて文成公主と一緒に遠くを見る
姿は堂々たるものです。
ソンツェン・ガンポ王がチベット建国の父であるなら、外国人ではある
ものの、妻、文成公主は、建国の母と言えるかもしれません。
もし松潘を訪れた際には、城壁の手前に立つ二人の立派な像を、ご覧に
なってみてはいかがでしょうか。
▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓
※吐蕃(とばん)の王は姓を持たず、王家や王族の呼称も持たなかった
ため、唐では吐蕃と呼ばれました。"チベットの人"という意味の、"tibe
tan"という語に漢字をあてたもののようです。
※吐蕃を愚弄して滅ぼされた、吐谷渾(とよくこん)という部族は、人の
名前だそうです。
※ソンツェン・ガンポ王は、チベットを建国して都をラサに定め、チベッ
ト文字も制定したそうです。その他にも文成公主から教わった知識をもと
に国の近代化を図り、唐に留学生を送ったり、法律をつくったりしました。
※王は文成公主のことを大切にし、公主が嫌がった風習は改め、自らは土
着の宗教から仏教に改宗したといいます。また、公主が唐から持参した仏
像を祀る寺を建立し、仏教がチベットに根付くもとをつくりました。
▼オマケの話
※文成公主は初めからソンツェン・ガンポ王に嫁いだとも、最初はその息
子グンソン・グンツェンに嫁いだとも言われます。
※ソンツェン・ガンポは文成公主より先にネパールから迎えた妻があり、
寺を作る際にはその妻の持参した像を収めたものも建立しました。
その他にも、チベット民族の妻が3人いたそうです。
※松潘には文成公主は訪れておらず、2人が揃っていたことはないはずで
すが、ソンツェン・ガンポ王ゆかりの地ということで像があるようです。
あるいは、嫁入りする際に通ったのかもしれません。
▼編集後記
九寨溝へ行った際に、松潘にも立ち寄りました。
ガイドさんの説明を聞いてもいまいち要領を得なかったので、その後で調
べてみました。
松潘は、特別に何かがあるという場所ではありませんが、城壁に囲まれた
古い町並みで、人々はマイペースに暮らしているように見えました。
商店などもありますが、のんびりしたものです。
先週末はナマステ・インディアというイベントで、代々木公園に2日間い
ました。
好天に恵まれ、比較的空いていた1日目でも、10万人ほども来場があっ
たそうです。
2日目はさらに混みあい、出店で食べ物を買うにも長い列に並ばなくては
ならない状態でした。
もちろん仕事で行ったのですが、結構楽しい2日間を過ごすことができま
した。
▼これであなたも物知り博士?
「吐蕃(とばん)に限らず、かつて中国は、他の国を呼ぶのに悪い言葉を
用いたことがありました。日本に付けられた"倭の国"とは、どんな意味で
しょう。」
1.穏やかで優しい
2.おおらかで明るい
3.チビで意気地がない
答え: チビで意気地がない
その意味に気づいた日本人は、「日本」という名を使うようになります。
中国はこれを認めて「日本国」(ジーペングォ)とし、それが西洋に「Zi
pangu」として伝わって、「Japan、Japon」などの呼称ができたようです。
▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓
「住めば都。嫁げば故郷。尽くせば母とも慕われる。」
●最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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★次回 旅のものがたり
「変わったあくび」(仮)
それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!
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「旅のものがたり」
発行者:株式会社いい旅
執筆 :黒崎 康弘
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