穏やかに壊れております。完全にイッてます。そんな女の続編、こっちもかなり壊れ始めております。だって降りてきたのがこんなダークな話しかないんだから仕方ない。こういうのを開き直りって言うんだよねそうだよね。
神殿の中には噎せるような血の匂いが充満していた。廊下はさながら墓場に近い。もはや生きている者は一人もいないだろう。
「お、おのれ…」
厳重に縛られ、列の真ん中を歩かされているガットが歯軋りして呻く。
「へえ、ファラリスの信者でも、仲間の死は惜しいんだ」
リアの揶揄に、食って掛かる。
「ファリスの信者風情にやられたことだ!我々は死を望んではいない!生き、苦しめることが…!」
「あんまりぎゃーつか喚くと、二度と口が聞けないようになるわよ」
ダガーを一本投げてから、再び走り始める。
「なぁ、リア」
先頭を走るロエルに追いつかんとするパーンが、隣のリアに話しかける。
「今まで…どうしてたんだ?」
「…あんたを探してたのよ」
「はへ?」
「エトがアランに旅立って、少ししたら突然あんた出てったじゃない。今のあんたならともかく、あの頃なんて何にもできないガキだったでしょ。だから、あんたを探しに行ったのよ。それでまぁあれよあれよと大陸に渡っちゃったってワケ。あんたの噂は聞いてなかったけど、エトの噂はアノスで聞いてたわ。王様になっちゃったって言うときは、腰抜かしたわよ。それよりも、こっち帰ってきて、あんたがドラゴンスレイヤーだって聞いたときはもっと抜かしたけどね」
「う、うるさいな」
「ホント、さっきのエトのご高説じゃないけど、あんたエトがいないと日常生活すらできなかったもんね」
「…俺さ、エトの言う通りだと思ったんだ。確かに、俺は何一つできなかった。エトだって同い年だから、きっと辛いと思うこともあったんだろうなぁってさ。だから、あれはエトなんだよ。俺たちが知らない、エトの中でずっと眠ってた…」
「抑えてる分だけ、反動がすごい…か」
ロエルが指差すほうへと、一行は折れていく。
「でも、あたしはやだわ」
いまや、神殿の中に響くのは、一行の足音と息遣いのみだ。
「エトは、あんなこと思っても、絶対言わない。人一倍意思が強い奴だもの。だから、あたしは絶対元に戻ってもらうわ」
「あの…」
口を挟んだのは、ニースだった。
「なに?」
「私たちがロイドに赴いた時に、エト陛下が私を諭してくださったことがあったんです。私がスパーク様の心痛まで取って差し上げたい、そう申し上げたら、エト陛下は、聖女たらんとするあなたの気持ちは分かります。ですが、今しばらくは自らも一人の娘であることを知るべきだと思いますよ、と諭されました。あなたもまだまだ若いのです。あなたが真の聖職者になろうと思うならば、もう少し人間を知りなさい。他人を見て知るのではなく、自分の中に見出すのです。さもなければ、あなたの信仰は人に伝わらなくなりますよ、と。私は目から鱗が落ちる思いでした。大切なこと、そう心を忘れているのではないかと…。私はエト陛下という方は本当の聖職者であると思いました。その言葉が、今でも私の胸を離れないのです」
しばし、静寂が支配した。
「陛下…」
フェネアがぎゅっと胸の護符を握り締める。
「とりあえず、お止めすることを先決としよう。全てはそれからだ」
しんがりを務めるのはレオナーとラルガだ。二人共熱望し、この隊列に参加している。隊列にはカシューの姿もあるが、彼は終始無言だった。レドリック、シーリス、ロペスはウィンディスに残り、連合軍の警備を固めている。
今回のエトの乱心のことは、下の兵たちには極秘としている。それにより、士気が落ちることを恐れたロエルたち家臣が諸王に願ったのである。そう、誰もがエトが戻ってくることを信じて疑っていないのだ。彼に相応しいのは、暗黒神の神像の前ではない。聖なる玉座こそが相応しい。
「この階段を降りると、いよいよ大広間です」
ロエルが切羽詰った声をあげた。しきりにポケットの中の書簡を確認している。
その中身を知る者は、まだ誰もいない。
一方、パーンの頭の中では、先ほどのロエルの告白がぐるぐると巡っていた。
(エトと、ファーン陛下が、恋人同士だった…)
パーンにとって、ファーン王は幼い頃からの憧れだった。父が時折話してくれる騎士隊長時代の昔話などに聞き入り、武勇譚に胸を震わせ、ファーン陛下の許で働くことを目標としていた。エトにも何度も話し、その度に彼は笑って「頑張ってね」と応援してくれた。
そして、実際に相見えた英雄王は、想像以上の偉人だった。一寸の隙もないほどに威厳に溢れ、穏やかな中に武人特有の鋭さを秘めた、まさに雲の上の存在だった。だから、生活とか、そういったことが一切想像できない人物だったのだ。
そのファーン陛下と、エトが、そんな。
ともにロイドに滞在していた頃、貴賓棟に入り、王の祈りを務めていると聞いて、パーンは羨ましい思いで一杯だった。すごいな、と褒めていた。
それに対するエトの顔を思い出し、パーンはあ…と呻いた。怪訝そうに尋ねてくるディードリットには大丈夫と返し、また長考に入る。
そうだ。エトはいつも、ファーン陛下のお名前が出るたびに、表情を動かしていた。表情に出ないときには、目を。当時の俺は、何も気付かなかったけど、今なら分かる。エトはもうあの時には、ファーン陛下が好きだったんだ。
一度晩餐会で、ファーン陛下とエトが意味深な視線を交わしていたことも同時に思い出した。その直後に侍従がエトにメモを渡していて、そうだ。晩餐会の後には、耳打ちまでしていた。エトはそれに頷いて、一緒に貴賓棟へと戻っていった。
もう、そう言う関係、だったんだな。
もちろん、エトにだって初恋はあっただろうし、今は奥さんもいる。エトは俺のものじゃないってこともよく分かっている。
だったら、俺にくれたあの手紙は、なんだったんだ?そう、聞いてもみたかった。
多分、一度は自分に対する思いに、ケリをつけたんだろう。全てをなぁなぁにするほど、エトは弱くないし、無責任でもない。でも、きっと心の奥に、残っていたんだ。思い出とか、未練とか、そういうものが。
(俺…エトのこと、本当は何も知らないのかな…)
俺…という回顧をもう一度始めようとしたとき、階段の下で激しい爆発音がした。薄暗い廊下が一瞬閃光で明るく照らされる。
「陛下!?」
ロエルが真っ先に走っていく。パーンも自分の考えから戻り、彼の前に回りこんだ。
「危ないですよ。先に飛び込んだら。ディードも急ぐなよ。俺とリアで最初に飛び込むから」
エト、お前の話が聞きたい。今まで子供すぎた俺に話せなかったことを、ゆっくり。
だから、戻ってきてくれよ。
くりぬかれた壁からして、相当巨大だっただろう、大広間への扉は、粉々に砕かれていた。その瓦礫の中に、男が埋もれている。
「ウッド!!」
ウッドはほとんど身動きもできない様子だった。だが、助け起こしたパーンを見上げて、かすれた声で呻く。
「あいつ…本気だぜ。気を…つけろ」
それに覆い被さるようにして、
「…来ちゃったんだ」
広間から声がかかった。物静かで、たゆたう川のような響き。
「ニース…ウッドを頼む」
ニースとレイリアにウッドを託し、パーンは立ち上がった。
「あれだけ、本気で行くよって言ったのにねぇ。聞いてなかったの?」
「あんたに、エトを任せるわけには行かないからね」
エトは、おかしそうにくすくす笑う。
「まだ勘違いしてるんだ?僕はエトだよ?まぁいいや。ようこそ、いらっしゃい。ここが、全ての環が切れる場所さ」
エトは祭壇の上に立っていた。左手に、血にまみれた小剣。
「エト、左…!」
「あれ、知らなかった?僕ね、元々両利きなんだ。というかね、左利き。でも、左手は神聖な手だろう?だから利き手を変えたの。もちろん、こっちでもなんだってできるけどね」
さて。全く気の抜けた言い方でエトは剣の血を払い、全員をぐるりと見る。
「僕を止めにきたんでしょう」
「いえ…あなたからエト王を返して頂くためです」
スレインが一歩前に踏み出す。
「陛下!」
今にも駆け出しそうなフェネアは、ロエルが止めている。
「返す…ねぇ。ま、いいんじゃない?足掻いてみれば?」
相変わらず剣の切っ先は下に向いたままだ。
「いくらでもかかっておいでよ。もちろん、本気でね」
その挑発に乗ったのは、レオナーだった。
「あなたに恨みはないが…!」
剣を構え、突進していく。「陛下!」とラルガも追走していく。
「僕は、多少の恨みがあるよ、レオナー王」
リアが慌てて大声を上げる。
「だ、だめじゃない!そいつ、エトの体なのよ!切ったら、死…!」
「ご名答、リア」
エトが右手を前に突き出す。
「くぅっ!!」
レオナーとラルガが突如空に弾かれ、壁際まで吹っ飛ぶ。
「僕は間違いなく死ぬね。そりゃあ、生身だもの。さあ、どうするの?」
「万事休すか…」
カシューが口惜しそうに呟く。
「とりあえず、エトを止めることが先決です。傷つけずに、捕まえなきゃ…」
パーンの言葉に、全員が頷いた。
「考えは纏まったかな?さあ、ゲームの始まりだよ」
エトの右手の指がぱちんと打ち鳴らされた。
「僕の勝ち、でいいね?」
惨敗だった。傷つけられないとあっては、剣士たちに打つ術はなく、スレインのスパイダーウェブでもディードリットのスネアでも全く捕らえられず、ライナが放つ鞭は返される。もちろん攻撃の代償は高く、誰もが吹き飛ばされ、叩きつけられる。全員が、彼の戦士としての質の高さに戦いた。今動いていないのは、クリスやエレナなどのリアの仲間たちだけで、彼らのみは無傷である。
「強ぇなら…最初から出しやがれってんだ…」
ニースの癒しで回復したウッドもまた吹き飛ばされ、今はうつ伏せで倒れている。
「あんまり僕は自分の手を汚したい方じゃなくてね。さて、勝利宣言をさせてもらったからね。退場してもらおうかな。もうあんまり邪魔して欲しくないんだ」
エトの手に赤い光が現れる。
身動きすらできない中で、一人立ち上がっているものがいる。
「陛下…」
「やぁ、やっぱりしぶといね」
ロエルは自らに癒しを唱えながら、ゆっくり近付いていく。
エトが剣を構える。
「ロエル!」
「陛下、おやめ下さい!!」
が、エトの狙いは、別にあった。
「死ね!!ヴァリス王!!」
そう、縛められていたガットだった。彼は誰からか奪った剣を構え、ファラリスの呪文の詠唱をしながら、ロエルの脇をすり抜けてエトに飛び込んでいく。
「無駄だよ、憐れな司祭」
ガットの右の脇腹に剣が突き立てられた。
「うぐぉわぁぁぁ!!」
のたうつガットの傷はさほど深くない。
「君にはまだ利用価値があるからね。殺さないさ。そこで苦しんでいて」
ロエルに視線を戻す。
「さて、なんだったかな?ロエル」
ロエルは祭壇の下まで行くと、その場に跪いた。
「陛下、ロイドへとお戻り下さい。妃殿下がお待ちでございます」
「相変わらず変なところ堅物だね」
「私は、エト陛下にお話をさせて頂いております」
それに、エトの顔色が少し変わる。
「ずいぶん、挑戦的だね」
ロエルはそれを無視し、
「二千万人の臣民も、陛下のご帰還を待ち望んでおります。どうぞ、お帰りくださいませ」
「ロエル、二度と口が聞けないようになるよ?」
「お戻りになりましたら、ロイドの外壁、アダンの復興、荒れた領土のご回復、焼けたファリス神殿の修復、ご視察、その他たくさんのご公務が山積みになってございます。マーニンが早く戻っていただかなければ困ると書類を抱えておりましょう」
「ロエル、いい加減に」
「それに、毎年お欠かしになったことのない、ファーン陛下の墓所への礼拝もございます。まもなく御命日にございます、陛下」
「ロエル!」
「ロエル様…」
エトがロエルに対し、呪文を唱えようとする。
「君に何が分かる!」
「陛下が毎年それはお辛そうなお顔をなさっておられることは察しております。私はもう十二年陛下のお顔を拝見しておりますゆえに。そういえば、陛下が城下で拾われたあの犬はそろそろ五歳になります」
「ロルがなんだって!」
「あの子は、陛下以外には心を許しません。今頃世話係が困っておりましょう」
「いい加減にしろ!」
エトの呪文が完成し、ロエルめがけて放たれる。
「いけない!」
慌ててディードリットがウンディーネを放つが、その前に魔法は完成してしまった。
「ロエル様ぁー!!」
フェネアの叫びが虚しく木霊した。
しばしの閃光の後、煙からエトの姿が現れた。
「あれで死ななかったらすごいと思うよ」
その眉間には皺が刻まれ、若干の脂汗を流している。
「君もしつこいけどね、エト…!!」
煙の中から、ひとつの人影が現れた。
「ロエル様!」
そう、ロエルだった。さすがに司祭衣がところどころ煤けているが、跪いた姿勢はひとつも変わりない。
「陛下がお望みになられるのでしたら、私はいつでも死ぬ用意がございます。ですが、陛下はお望みになっていらっしゃらないご様子。でしたので、防がせていただきました」
「何を世迷い…!」
「エト陛下にぜひともご報告したい儀がございます」
ロエルが顔を上げて、エトと目を合わせる。
「ど、動揺するな…!あの魔法を正面から受けて、無事なはずがない…!く…!」
エトの苦しみが程度を増していく。
「は、早く言え…!そうしたら、すぐに殺してやる…!」
ロエルは書簡をポケットから取り出し、右手に掴んだ。
そして、一呼吸置き、
「ヴァリス王国王妃フィアンナ殿下、ご懐妊にございます」
さぁ、貴公子ロエルはどーなっちゃうのか!そしてエトはどーなってくのか!ああ、早く幸せなエト君が書きたいよー!!
…しんずれいしました。いやー、ドリフ面白かったなぁ。