悪人エト右往左往 | 或る獣の太陽への咆哮

或る獣の太陽への咆哮

エトバカ三兄弟、長男のブログです。ちょっと滞りがちですが、まぁ許してくだされ。

なかなか方向性が定まりません。とりあえず書けた続編をどーぞ読んでくださいまし。

さあ、どういう悪人にさせようかな。



 エトが”異変”に気付いたのは、コンファクラーの一室においてだった。
今日はエトが率いるヴァリス軍と、ロードスの騎士たるパーンが率いる民兵や自由兵が討伐に赴く日である。エトは今日の加護を至高神に祈るために、深い瞑想に入っていたのだ。外の兵士たちは物音一つ立てない。王が祈りに入ったときの、暗黙の了解という奴だ。
「…遠い…?」
 独り言が疑問形になっているのは、エトもまた戸惑っていたからだ。
 こんなことは、初めてだった。神は限りなく偉大でありながら、まるでエトのすぐ側で息づいているような、近しい存在でもあった。
 そのファリスが”遠い”のだ。
 念のために、と聖光の呪文を唱える。
 その光は、いつもと変わらない。変わっているのは、距離だけ…。
 神は不変だ。その愛情も存在も、神代から変わらない。
「じゃあ…僕に…」
 何かが、ある?
 エトはそこで疑問を押し込み、再び瞑想に入った。外で聖騎士たちが整列を始めたのを音で感じ取ったからだ。王たる者が、遅れてはならない。それに、明後日にはヴァリスに帰還するのだ。今日の間に、ある程度ファラリスの司祭の残党を減らさねば。
 今思えば、ここでエトが”王たること”を忘れ、”司祭として”熟考すれば、よかったのかもしれない。
 だが、それも全て”遅すぎたこと”だ。そう、全ては…。


 もう、始まっていたのだから。


 エトの部屋の前には、武装したパーンがいた。まだ瞑想中だというので、外で待っているのだ。
「おはようございます、パーン卿」
 小声で挨拶をしてきたのはロエルだった。最近すっかり武装姿が板についた彼は、今日も巻き毛を一つに結び、鎖帷子を着込んでいる。
「あ、おはようございます」
 パーンもまた抑えた声で挨拶をする。エトとパーンの率いる討伐隊は、今日で三度目の出陣だ。ヴァリスは主にファラリス神殿周辺などの信仰が強い地域にくすぶる残党たちを討ちにかかっている。パーンは熱心な信者ではないため、そこまで乗り気ではない。エトもおそらくそうだろう。しかし、ロードス中のファリス信者の頂点に立つ者として、暗黒神の信者はどうしても討っておかねばならない。今日も目的地はファラリス神殿だ。
 マーモの処遇は、結局フレイムが管理することで収まった。諸王国会議に立ち会い続けているパーンは、それにエトが胸を撫で下ろしていたのを知っている。エトからしてみれば、マーモはとんでもない”お荷物”だ。全てが邪悪すぎ、全てが無秩序すぎる。ただでさえ大戦で荒れた領土を復興させ、聖騎士団をまた立て直し、民兵の家族たちに弔いや見舞いをせねばならない。正直飛び地どころの騒ぎではないのだ。元々ヴァリスに領土欲などない。お荷物は、領土拡大が好きな国に差し上げたかったのだろう。それに、これ以上領土を広げなくても、ヴァリス国民は充分食っていける。
 一方、ファリス教団はマーモにファリス信仰を広めたがっている。だが、それが無理だということをエトが一番熟知しているのも、やはりパーンは知っている。
 マーモの人間たちにとって、自分たちの生き様の対極を行くのがファリスの教えだ。そんな人々に教義を説いて、理解させるのがどれほど困難なことか。はっきり言ってしまえば、”不可能”だ。ファリスの司祭に詐欺師の思考を理解させるようなものだ。けれど、エトはそれを知っていても、止めることは出来ない。苦しいところだろう。
 エトの悩みは、パーンには既に理解不能なものになってしまっている。だから、パーンは親友として剣を振るうことでしか彼を助けられない。言ってしまえば、元々の役割分担の形でもあるのだが。
 静かな衣擦れの音がした。阿吽の呼吸で近衛騎士が扉を開く。
「おはよう」
 相変わらず静かな声だ。これがとても心地よくて、パーンはいつも幸せな気持ちになれる。思わず微笑んで、挨拶した。
「おはようございます」
 微笑むパーンに気付き、エトもにっこりと笑った。パーンが大好きな笑顔だ。
「おはようございます、パーン卿。今日もよろしくお願いします」
「精一杯務めさせていただきます」
 今はお互い”仕事”の態度だ。親しい態度は、夜に取ればいい。二人きりになれば、エトはいつも通りの優しくて可愛い友達になってくれるのだから。
 パーンとエトは並んで歩き始めた。端正な横顔は感情を消し、まっすぐ前を見ている。
 近衛騎士たちの金属音が耳障りなほど、エトは静かだ。真銀の鎖帷子は何の音も立てず、彼から発せられる音といえばせいぜい軽やかな足音だけだ。王のメイスはロエルが保管している。
 パーンは腰の剣を一度確認し、ほんの少しため息をついた。
 今日もまた、たくさんの血を見るのか。
 ロードスの騎士失格というところだろう。騎士や戦士の本分ではないかと。だが、長い戦で、パーンは己の当初の目標を見失いかけていた。
 俺は、何のために剣を振るおうと思った?
 大人になったら、親父のような立派な聖騎士になって、それで…。
 そうだ。俺は、大事な人を”守りたくて”剣を手にしたんだ。
 それが、今は敵を切り殺すために、手の平に握り胼胝を作っている。おふくろみたいに死なせたくなくて、重い剣を握り始めたはずじゃないか。
 その、大事な人は…。
 左隣を見る。相変わらずの無表情だ。しかし、パーンの視線に気付いたのか、不思議そうに見つめ返してくる。
「…いかがなさいました?」
 そう言っても、エトのことだ。パーンのことなど手に取るように分かる。
「いや、あの…」
 エトは小さくため息を漏らしながら微笑んだ。
「守るためには、相手を倒すことも必要…」
 やはり、お見通しだった。エトは微笑んだままで、パーンの肩当をぽんと叩いた。
「守るだけで敵は倒せない。剣技は結果的に守るために磨いていく。そうでしょう?騎士殿」
「…はい」
「あなたは間違っておられませんよ、パーン卿。間違いは理由なき殺人、利己的な殺戮、無意味な殺傷です」
 それはエトが自分に念じ続けてきた言葉でもあるのだろう。パーンは少し、心の痞えが取れた。疑問に感じるのは、俺だけじゃないんだ。
「…もっとも、正当なる殺人などありえませんが…これも時代。これも輪廻。今は戦いましょう、パーン卿。私達が生き続けるために」
 立ち止まって、見つめ合った。同じ色の瞳で、同じ高さで。
 生き続けるための…戦い。
 そうか…そうなんだよな。
「はい、エト陛下」
 今度は微笑み合った。
 と、一瞬エトの瞳の色が暗くなった気がした。青色が、群青色になったように。
「??」
 だが、それは杞憂であったらしい。すぐに彼の瞳は、生き生きとした涼やかさを取り戻し、パーンを映す。
「さあ、参りましょう」
 また、二人は歩き始めた。生きるための戦場へ向けて。


 おそらく、マーモの大地は、人間の血を恵みとしているのだろう。
 そう思わざるを得ないほど、血塗れだった。
 たとえどんな説得を試みても、無駄だった。神官戦士や信者たちは憎き敵として、ヴァリスに刃を向ける。ヴァリスの騎士たちは今までの暴虐への憤怒と至高神の正義と己の命のために、彼らの胸に剣を突き立てていく。中には敗れ、己の胸に剣を返される者もいる。だが、いちいち弔いをする余裕もない。騎士たちは仲間の屍を踏み越え、故郷に帰りたいと心の中で願いながら、血飛沫を浴びていく。
 ずぅっと繰り返し、繰り返し。
 ようやく終わったのは夕刻になった頃だった。
 パーンはもちろんのことながら、エトも多少の返り血を浴びている。
「報告いたします!当軍の戦死者は三十名!重傷者が二十名です!」
「治癒に当たれる神官戦士は?」
「は!ただいま、フェネアとロエル高司祭が治癒に当たっております!」
「分かりました。もし手に負えないようでしたら、私の方に回して。ひとまずは、魂を」
 エトは腰のメイスを右手に持ち、静かに詠唱を始めた。彼の体から金色の光が溢れる。
 幻想的な光景を、パーンは無言で見ていた。顎の返り血を拭うこともせずに。
 こうやって、誰かが死ぬたびに、エトは踊る。哀しい表情で、くるくると。そして魂と話をして、至高神の御許に送る。
 いつになったら、お前は踊らずに済むんだろうな、エト。
 いつになったら、お前は楽しく笑うことができるんだろうな。
 いつだって、お前は寂しそうに笑う。収穫祭、メイポール、夏祭り。いつだって、そうだった。誰と遊んでても、何をしてても、必ずちょっと寂しそうに。
 俺は、そんなお前が楽しく笑ってくれるような世界を作るためにも、剣を持ちはじめたんだ。エトはそんな俺を、司祭として支えるって言って、やっぱり寂しそうに笑った。
 なぁ、エト。
 近くで倒れた騎士の死体から、すぅっと人魂があがってきた。それはまるで死の憤怒の捌け口を求めるように、エトへと飛んでいく。エトは眉を顰めて、魂と向き合う。
 俺、お前の力に、なれなかった、のか?
 どうしたら、お前は楽になれる?

 教えて欲しいよ。

 俺の、大事な、エト。
 パーンの心の吐露の右斜め前で、エトは見る見るうちにたくさんの魂に囲まれていく。
 全ての魂が天に昇るまで、エトはずっと苦しそうに、寂しそうに笑っていた。


さあ、悪人エトのプロットをもう一度練り直しっと。