戦国武将、虚像と実像/呉座勇一 | 月を見上げるもぐらのように

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日記及び読んだ本や面白かったサブカル感想(ネタバレ有り)を書きたい、なと思ってみたり、みなかったり。

戦国武将、虚像と実像 を読みました。

※初版刊行月は22年5月

〈あらすじ〉

織田信長は革命児、豊臣秀吉は人たらしで徳川家康は狸親父。

これらのイメージは何百年も前に作られたものではなく、戦後の通俗小説の影響を受けている。

実は信長は戦前まで人気はなく、明智光秀が常識人という理解もなかった。

時代毎に彼らの人物像と評価は変わっているのだ。

最新研究に基づく実像を示すだけでなく、著名武将のイメージの変遷から日本人の歴史認識の変化と特徴まで明らかにする!


と、なってます。


本書を読んで面白かったポイント


取り上げられている武将は

明智光秀、斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉、石田三成、真田信繁、徳川家康の七人で、江戸時代、明治・大正時代、戦前・戦後の人物像を紹介しつつ、最新研究で明らかになった武将の実像を概説しています。


自分が特に面白く感じたのは、明智光秀、斎藤道三、豊臣秀吉の三人です。


明智光秀

光秀は、江戸時代、主君織田信長を討った、反逆者の悪役として認知されますが、様々な創作物が生まれる過程で『怨恨説』や『暴君討伐説』が登場する様になる。

それが、明治・大正に入ると、儒教的価値観が薄まり『野望説』や『突発的犯行』が登場する。

しかし、戦後 司馬遼太郎の国盗り物語の登場で、革新派の織田信長と守旧派の明智光秀

の対立を描き、国盗り物語が大河ドラマ化されて、近藤正臣の明智光秀によって近年の明智光秀像が確立された。

世間に広く認知された『司馬史観』の克服が大きな課題になっている、らしいです。


斎藤道三

道三は、江戸時代、儒教的価値観によって『悪人』『悪党』としてのイメージが庶民にひろがっていきました。

そんな悪党 斎藤道三の話の中で『油売りから成り上がった』『土岐頼芸の側室を拝領し息子(義龍)を産ませた』などの話が登場するようになったが、それを証明する一次史料は見つかっておらず、根拠になっている史料も江戸時代の創作の可能性が高いそうです。

明治・大正に入っても『悪党』イメージはそのままで、織田信長のおまけ的な知名度でしたが、戦後になり織田信長像が、今の革新的な大うつけに変化していく過程で、大うつけと悪党なら気が合うって設定がつき『美濃のマムシ』の異名が創作された。

そして、『国盗り物語』の登場で、油売りから、美濃土岐氏の家臣になり、重臣たちを謀殺し、主君 土岐頼芸を追放し、下剋上の体現者 美濃の戦国大名 斎藤道三像が完成しました。

2019年の大河ドラマ 麒麟がくるで道三の下剋上が親子二代で成し遂げられたって話が世間に広まった事で道三像に変化が生まれるのか注目されている、らしいです。


豊臣秀吉の話も書こうと思っていたのですが、道三と光秀が長くなってしまったので、概要だけ

江戸時代から、庶民から天下人に成り上がったサクセスストーリーが人気だったが、江戸幕府としては、秀吉人気は都合が悪く、幕府の正式な歴史書では、秀吉は運が良かっただけ、朝鮮出兵は愚行と、低く評価されていた。

しかし明治維新後、天皇中心の政体に変化した影響で、豊臣秀吉や織田信長は勤皇家として、高く評価される様になり、日清・日露、日中戦争の頃には、秀吉の朝鮮出兵は、神功皇后以来の快挙、秀吉はフランスのナポレオンに匹敵する大英雄と絶賛される様になる。

だが、戦後 太平洋戦争の敗北で大陸進出の野望の無謀さが強調され、一気に評価が逆転しました。


呉座先生は、時代の変遷ごとに武将の評価が変わる事を『大衆的歴史観』と評して、大衆的歴史観に引っ張られず、正しい歴史認識を持つことが大事と書いていました。


本書は、ウェブ連載されていた記事に、書き下ろしを追加して書籍化された本なので、とても読みやすく、初心者向けの良書だと感じました。