「東国の雄」上杉景勝 /今福匡 | 月を見上げるもぐらのように

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日記及び読んだ本や面白かったサブカル感想(ネタバレ有り)を書きたい、なと思ってみたり、みなかったり。

最後に更新したのが、昨年の12月と知って、若干ビックリしてしまいました😅


グラブルやったり、ネトフリでアニメや映画を見たり、本を読んだりしつつ、私生活に追われて、気づけばもう 春はすぐそこって感じになりつつあります。


2月末からロシアVSウクライナ戦争が勃発し、人気VTuberの潤羽るしあさんの解雇も話題になりました。

ガソリンの高騰は収まらず、カップ麺やスナック菓子も値上げ、今度は小麦が上がってパンも高くなるのでは?なんて話も聞くし、不安が耐えない日々が続いております。


そうそう、3月初めに「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021」を見に行ってきました😊

大山ドラ版 宇宙小戦争を見ていないので、リメイクされてどう変わったのか、自分には分からないのが若干残念ですが、戦闘シーンの作画は素晴らしい出来でした👏👏👏
来年の映画ドラえもんも楽しみです😊

さて、日記も一段落したので感想を。
今回読んだのは、今福匡先生の
「東国の雄」上杉景勝 謙信の後継者、屈すれども滅びす です。
〈あらすじ〉
軍神・上杉謙信の甥にして後継者の上杉景勝。
義兄と争った「御館の乱」
滅亡寸前まで追い込まれた織田信長の攻勢。
「北の関ヶ原」と敗戦による危機。
絶体絶命のピンチに立たされながらも、上杉家は生き残りを果たす。
戦国、織豊、江戸と時代の転換に翻弄された、その69年の生涯を描く、最新にして決定的評伝!

と、なってます。
 
Twitterに上げた雑感を元に、もう少し詳しく面白かった所を補足(意訳して)しておこうかと思います。

簡単な感想です。
書籍を見ていて1番意外だったのは、上杉景勝=無口って話の根拠が殆どなかった事です。

景勝が秀吉に従う事を決めて上洛する際に、加賀でもてなした前田利家が、越前の堀秀政に宛てて、景勝の人柄を「かの人は少し重口(口下手)だと石田三成が言ってた」って手紙が現存しているだけらしいです。

堀秀政も、初めて天下人の秀吉に会うのだから緊張しているのかも?と、親しみやすいもてなしをしたそうです。

他には、上杉景勝の最側近 樋口兼続こと直江兼続についてですが、
自分は、御館の乱終結後、景勝の重臣 直江信綱が凶刃に倒れて、直江家を兼続が継いでから台頭した、と認識していたのですが、信綱存命中に既に景勝の書状の副状(補足等をする書状)を発給しているとの事で、直江兼続が景勝の引き上げにより成り上がった人物では無いって証明のひとつになるようです
そして、現在の会津若松を領していた蘆名氏。
上杉謙信の頃から越後に介入する動きがあったのですが、謙信の急死によって景勝が家督を継承後、蘆名氏に対して「茫然自失する様です、御察し下さい。今後もよろしくお願いします」と、書状と共に甲冑や刀を送っていたり、謙信と同世代の蘆名盛氏が亡くなったと連絡が景勝に来た返信で、「若年の自分に意見をして貰おうと考えていたのに、思いがけない訃報に落胆してしまいました、先代(盛氏)と変わらず仲良くしましょう」と書いていたり、蘆名氏との関係を重要視している印象がありました。

景勝が蘆名氏との絆を繋ぎ止めようと配慮している時、蘆名氏は景勝に反乱を起こした新発田重家(織田信長が後ろ盾)にも、景勝にも援軍を出さずに両天秤にかけていた様です。
信長存命中に「敵方(上杉景勝)に加勢しているのでは?」と疑われ「織田の勝利が目前のこの時期に、なんで敵方に合力するでしょうか?😥💦」と、否定したなんて話もあるんだとか(笑)

自分的には、昔から疑問だった、越後から会津に転封になった景勝が、謙信の遺体を春日山に残していったって話があるのですが、やはり、あとから越後に入った堀氏の要請で、会津に持っていく事になったって事が確定したのは収穫でした。

全体的に、戦国大名時代、秀吉に従った関ヶ原前までは面白い話が多かったのですが、関ヶ原で敗れ米沢に減封されてからの話は、子供への教育や米沢の整備の話が多くあまり面白くはなかったかな?
↑徳川幕府の許可を貰ってきた宣教師を米沢に迎えた時の対応は、景勝の生真面目というか、言葉をそのまま受け取ってしまう所が見えて笑ってしまいました😆😆😆

宣教師たちの感謝の気持ちだとしても、そんな文化皆無な状況で、その手に接吻させて頂きたい😊とか言われても、嫌です( ー`дー´)キリッってなるのは分からなくは無いですけどねꉂ(ˊᗜˋ*)ヶラヶラ