珈琲と虹と鯨の棲む場所 -96ページ目

珈琲と虹と鯨の棲む場所

東京都三宅島をフィールドに直感を綴る

三宅島にはまだ人があまり入っていない場所がたくさんある。
写真を撮っても人工物がまったく写りこまない場所で自然の景観に圧倒される。

クライミングができる場所に予想をたてて歩いていると、突然壁建ての親方と大親方から
島に来ていると連絡が来る。不思議なシンパシー感じちゃうなぁ~笑

それにしても12月の初旬でTシャツで汗だくって、気持ちいいです♪

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【自分メモ】幻冬舎 見城徹
極端であること
嫌になることをやらないと結果は出ない
嫌なことをしないなんて楽なだけ
憂鬱でなければ仕事じゃない
圧倒的な努力をしない人に成功はない
「出来るか・出来ないか」ではない!「やるか・やらないか」

昨夜、人生5度目の夜の虹を見ました。撮影をしながら両親も2度目でした。

ふとオヤジが「明日は50回目の結婚記念日なんだよ」って言ってました。
50周年かぁ~オレがもうすぐ50歳だもんなぁ~半世紀ってやっぱりすごいよなぁ~
つくづく思ってしまいました。

ある人が言ってました。「陽が当たれば、陰も長い」まさにその通りだと思います。
人生は嬉しいこと楽しいことばかりじゃない。
どちらかというと辛いこと、苦しいことの方が多いような気がします。

ある有名クライマーの方も「人生は振り子、プラスとマイナスはいってこいでチャラ!」
どんな人も人生の振れ幅は大きかったり小さかったり違ったとしても、大きく見てみると+-ゼロだって。

それでも、陰の部分だけにフォーカスするのか?陽の部分を楽しむのか?
その人の人生のスタイルというかセンスが出るのだと思います。

僕は両親を尊敬しています。※昔のブログにもそう書いています。

50手前で両親と住んでいたら、そりゃ面白くないこと、嫌なこと、ムカつくこともあります。
でも、両親がいて、今の自分があります。

夜の虹を2度も両親に見せられたことは、僕の中でとても満足な事なのです。
結婚50周年おめでとうございます!と心から伝えたいと思います。
大きく舵を切ろうとしている。どうなるかは予想もつかない。

知らないことに勇気を出して飛び込んだときに世界が広がる。
なんでもかんでもやってみる前にダメだと拒否したら人生は広がらない。

全身の毛穴が開くような緊張感やわくわくする好奇心、年齢とか環境とかを理由にやらないことは
一度きりの人生で後悔するんじゃないかと思う。

このところ毎日のように庭で虹を見ている。
その先に何があるのか、期待と不安で残る38日を過ごそうと思う。
11月18日の朝日新聞都内版掲載にあたり、暁くんの追悼集に載せた文章を公開しておきたいと思います。
※この文章は2013年3月に書きました。
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【磯川暁くんに捧ぐ】
本州から南に180キロ、約20年周期で噴火の歴史を刻んできた太平洋の離島が三宅島です。
三宅島の古い歴史を紐解くと岩を登ったという記録がわずかに点として存在するらしい。
それはあくまでも小さな点でしかなく連続して線になることはなかった。
そもそも太平洋の島といえば珊瑚礁に熱帯魚、エメラルドに輝く海の印象が強いはず。
岩に登ることが楽しいという考えがほとんどない島に、クライミングという新しい文化を伝えてくれたのは、磯川暁くんだったかもしれません。

最初に暁くんに会ったのは2008年のエコライドと言うイベントで釜の尻という海岸で、ボルダリングをしたのがきっかけだった。素朴で口数が少なく、細身で筋肉質な好青年という印象だった。口数は少ないけどいつもニコニコしていて、海や岩、自然を見る目がキラキラしていた。その日からなんとなく三宅島と暁くんとの関係は細い糸から強く太いロープへと変化していきました。

三宅島の岩場は2009年の6月に、磯川暁くん、菊地敏之さん、中尾政樹さんらにより発見・開拓されました。現在は PO壁、黒潮壁、冨賀浜の 3つのエリアがあり、暁くんが初登したPO壁のMIYAKE INTRODUCTION が最初に開拓されたラインです。

その後、ロクスノ#046 で発表されると、島を訪れるクライマーが増えはじめ、ラインも次々と開拓され、2010年には 30本を超えるようになり、極めつけは2010年11月に山野井泰史氏によって初登された、この壁の最難ルート・黒潮ドームの宝島(5.12a)の完成になります。その後、2012年の秋からは、山野井泰史さんを中心に、すぐ隣の冨賀浜でもルートの開拓がスタートし、現在も進行中です。

岩場と同時に室内の施設にも大きな変化がありました。
2010年の11月に廃校の体育館にクライミングジムを建てる計画が持ち上がりました。
すぐに暁くんに報告をすると、Twitterで返事をくれました。
Twitterの@akiisokawaを開くと2010年11月28日に最後に自分にリプライされたコメント「@okikura素晴らしい!島民クライマーが育ちますね!小中高生にも挑戦してほしいですね!」と残されています。それが最後の彼のコメントになってしまいました。
そのコメントを見るたびに、暁くんと過ごした時間が今でも甦ってくるのです。

暁くんとの出会いがなければ、島のクライミングが短い間にここまで成長することはなかったと思います。

日付は前後してしまいますが、2009年の12月に初めて三宅島の岩に登らせてもらいました。クライミングとは危険なスポーツだという認識の中で20~30m近くある岩に登るのは怖くもあり、40歳を過ぎた自分にはチャレンジでもありました。暁くんから、本当に気軽に「沖山さんも一本登ってみませんか?トップロープなら安全だし、僕がビレイしますよ。」そう言って準備をしてくれた。

PO壁で最初に暁くんが登ったライン、MIYAKE INTRODUCTION(5.9)にかけられたトップロープ。緊張する自分にハーネスを貸してくれてエイトノットを結んでくれた。かつて、サーフィンの神様、ジェリー・ロペスに直接会った時に次ぐレベルの緊張だったと思う。笑
登る自分とビレイが暁くん、それを見守る平野佑兵くん、そして写真と動画を撮る野田博之さん。その場所にはたった4人しかいなかった。人生初のクライミング。
感覚的にはかなりの時間に思えたが、後で動画を見てみると数分だった。アドレナリンが出まくっていたのか、興奮してロープにぶら下がり着地するとすぐに平野くん、暁くんとハイタッチしていた。登ったという事よりも、今までに感じたことのない三宅島の景色や空気に興奮していた。



この時の写真と動画をブログにアップすると、翌日親父から思いっきり怒られた。
「会社の社長がこんな危険な事をして、何かあったらどうするんだ!もう二度とクライミングなんかするな。」と、僕はすごく寂しかった。なんで身内からそんな言葉をかけられるのか。家内にその話をすると「40歳超えて親からいろいろ言われて、やりたい事をやめるなんておかしい!」そう言われ、さらにへこんだ。

その日を境にクライミングへの熱も少しだけ冷めてしまった。安全にクライミングをするなんてありえるのか?全てのスポーツに危険はつきものなんじゃないか?頭の中ではグルグルとそんなことが渦巻いていた。

いま思い返すと、この時のクライミングが暁くんと一緒に登った最初で最後の一本になったのだ。もっとたくさん時間を過ごしたかったし、どんどん増える新しい三宅島のエリアを一緒に楽しめたかも知れないと思うと残念でならない。
これまでどこにも書かなかったけど、あの日、暁くんからは「3ヶ月くらいやったら、きっと自分でプロテクションして12(グレード)とかのクラックを登れるようになりますよ。」と、そっと語ってくれたのを、今でも覚えている。

もうひとつだけ、誰にも話した事がない暁くんとの事を、この場所に残しておこうと思う。
何度か暁くんが三宅島に通ううちに、三宅島で登りながらアウトドアのショップが一軒もないし、ガイドとクライミングしたらどうかと提案したことがあります。いわゆる三宅島へのヘッドハンティングに近いお誘いですね。その時は白馬で活躍している絶頂期だったし、彼女との結婚の話も少しだけ考えている様子で、島には移住できないと話していました。11月30日のあの日、雪崩の報告を聞いた後、僕はもう一度この事を思い出しました。
もしカラダの一部が不自由でも、車イスの生活になっても、生きて戻ってくれたら、島で一緒にクライミングやアウトドアを楽しむ場所を作ろうと。一度は断られたけど、2度目のプロポーズです。でも、その願いは届かず、暁くんは手の届かない遠い山に行ってしまいました。

今でもひょっこり「沖山さん、来ちゃいました!」と笑顔の暁くんがお店に現れるような気がしてなりません。

この文章をまとめながら、いろいろな事を思い出しますが、この一冊のカタログ写真は僕にとって大切な一枚となりました。

2008年にエコライドで最初に来島した時に、恥ずかしそうに「サインですか?したことないから緊張するなぁ~」なんていいながらしっかり書いてくれました。それから約3年後の2011年5月に廃校の体育館にボルダリングの壁を建てに来た、この写真のカメラマン、飯山健治さんに書いてもらったサインとメッセージ「あきらめるな」。
この二人のサインが揃う事はこれから先、二度とないのかと思うと胸がいっぱいになりますが、登る事をあきらめない、自分スイッチはこの瞬間から切れることはありません。

こうして一流クライマーのみなさんに交じって、文章を残せる事には大変恐縮しておりますが、普段のクライミングとはちがった暁くんを知っている自分が残せる貴重な記録だと思い、参加させていただきました。

三宅島フリークライミングクラブを通じて島でクライミングを体験した人は2013年3月現在230名となりました。島民の約1割、10人に1人がクライミング経験者です。


三宅島フリークライミングクラブ 代表 沖山雄一
patagoniaスノーボードアンバサダーの加藤直之さん
※ここのところ地球規模で活動し、その変化や空気を知る素晴らしい方が続々と来島しています。

今回はクライミングのガイドとしていらしたと言う事でしたが、少しだけ山のお話も聞けて
共通する知人もたくさんいて楽しかったです。

加藤さんも「とてもいいところですね。最高っす!」と言ってくれて、
2泊3日でしたが楽しんで頂けたようです。
ありのままの三宅島でまだまだいけそうなので、じゃんじゃんPRしていきたいと思います♪