おねぇの店を出た私は、リュックのポケットから携帯電話を取り出した。
(今忙しいかな?)
何度目かのコールの後、優しくて丁寧な声が電話の向こうから聞こえてきた。
「山南さん、お忙しいところゴメンナサイ。ethlinです。」
「あぁ、お待ちしていました。今どこにいますか?事は予定通りに進んでいますよ。いつ来ても大丈夫です。」
「今おねぇのお店を出たところです。バスで向かうんで…えっと…30分くらいでそちらに着くと思います。」
「では、お待ちしています。くれぐれも事故のないようにね。慌てずゆっくりと…。彼は当分帰って来れませんからご安心を…。」
携帯をリュックに押し込み、私はバス停へと走り出した。
「いらっしゃいませ…って、ethlinちゃんじゃねぇか!今日は休みだったのか…。悪いな、土方さんなら…」
「こんにちわ、原田さん。今日は歳三さんに会いに来たんじゃないんです。」
「原田君、今日は私のお客様なんですよ。」
エプロンを身につけた山南さんが、ニコニコと笑いながら現れた。
「珍しいな。いや…珍しくもないが…。」
原田さんの顔が少し曇る。
「あの!違います。変な相談しに来たとかじゃなくて…歳三さんには秘密で用意したいものがあったから、それで山南さんにお願いしたんです。だから原田さん、今日ここに私が来た事は秘密にしてください。お願いします。」
「土方さんに秘密…ふぅん…なるほどな。だったら山南さん、どーぞ奥のStaff Roomへ。店頭でこそこそしていたら、気のいい近藤さんや気の利かない新八あたりが土方さんにネタばらししちまうぜ。」
「おやおや、それは大変だ。これは隠密行動ですから…万全の体制で挑まなければね。」
「店頭は俺に任せてくれ。ethlinちゃん、ゆっくりしてけよ。」
私は山南さんに手を引かれ、Staff Roomへと歩き出した。
「イメージは…こんな感じにしてみましたが、いかがでしょうか?お客様。」
山南さんは鉛筆をテーブルに置き、手元のスケッチブックを私に向けた。
「うわぁ~、山南さんって絵も上手なんですね!」
「ふふ…そんな事はありませんよ。しかし君に誉められると悪い気はしないね。で、いかがでしょうか?」
「はい!バッチリです。」
「そうですか。では、さっそく商品をご用意いたしましょう。少々お待ちくださいませ、お客様。」
山南さんは丁寧に頭を下げ、Staff Roomを後にした。
ドアが閉まると同時に、カチリと鍵の閉まる音が響く。
(誰にも見られないように鍵までかけてさ…すっごい秘密な事してるって感じ!)
なんだかいたたまれない気持ち半分、ワクワクしている気持ち半分といった心境だ。
のんびりと紅茶を飲んでいると、やがて山南さんと花の入ったバケツを抱えた山崎さんが入って来た。
「ethlin君、お待たせしました。鍵までかけて貴女を閉じ込めて…さぞかし心細かったでしょう。私はまるで貴女を城の一室に幽閉している、悪い魔法使いのような心境ですよ。」
「山南さんが悪い魔法使いなんて冗談は、ハマリ役過ぎて誰も笑えませんよ。」
「おや、山崎君、聞き捨てならないね。」
「ふふっ…魔法使いな山南さん…山崎さんの言う通り、すっごくハマリ役ですよ。」
「ethlin君…君まで。しかし今日は君のために喜んで魔法使いになりましょう。悪い…ではなく、良い魔法使いですがね。」
山崎さんがお花の入ったバケツを私の前に置いた。
「山南さんから指示された通りの色を揃えてみましたが…どうですか?」
「ありがとうございます。イメージ通りです。すごく綺麗…。」
「店頭分とは別に用意しました。山崎君には隠密に動いてもらってね。山崎君ありがとう。ご苦労でしたね。この事はくれぐれも…。」
「他言無用ですね。特に副長には絶対にお話しませんのでご安心を。」
山崎さんは深く頭を下げ、音も立てずにStaff Roomを後にした。
「山崎さんって…なんだか忍者みたいですね。」
「ふふっ…忍者ですか。あながち間違ってはない…かもしれませんね。」
(何…この山南さんの意味深な言葉と笑いは…。忍者なんて時代劇じゃあるまいし…いるわけないよね?)
「あっ!でも山崎さんって、カフェでも食器の音立てないし、お水のおかわりやデザートを出すタイミングも絶妙で…忍者と言うより執事?」
「なかなか面白い発言だ。山崎君が執事ね…。沖田君が聞いたら、きっと笑いが止まらなくなりますよ。」
山南さんはクスクスと笑い、スケッチブックを見ながら丁寧にお花を束ねていく。
私は花をアレンジメントを作る山南さんの顔を、ただ黙って見つめていた。
「何か?」
「へっ?」
「花ではなく、私を見ている…そんな気がしたので。何か聞きたい事があるのではないですか?」
「すいません。ぼんやりしていて…。」
「みちるの事ですか?」
心の中を見透かされ、心臓が跳ね上がった。
「あっ…。」
山南さんはお花から目を離さず、手を動かしながら言葉を続ける。
「君が土方君の全てを受け入れようと言うのなら、これは避けては通れない事です。いずれ全てわかる。目を逸らしたくなるような事実も、君には信じられないような現実も。」
怖くて声が出ない。
わずかに体が震えている。
(これ以上、いったい何があるっていうの…。)
「しかし君がそれを知る時、いえ…知るべき時は今ではありません。どんなに辛くても、どんなに悲しんでも、君が土方君を選ぶと言うのなら…来るべき時にそれは来るでしょう。」
気がつくと山南さんは作業の手を止めて、私の手を強く握っていた。
息が止まりそうなほど…強く。
そして琥珀色の瞳が、私を真っ直ぐに捕らえて放さない。
「私は…」
自分の意思とは関係なく、自然に口が開いた。
「私は強く…もっと強くなれますか?」
「なれます。いいえ…強くおなりなさい。」
山南さんの手の力がさらに強くなった。
「貴女は強くならなければならない。自分でこの運命を選ぶというのなら、その運命を切り開く強さを手に入れなさい。」
山南さんの手が燃えるように熱い。
だけどその熱が、私に勇気を与えてくれている気がした。
「…山南さん。」
「なんですか?」
「山南さんはやっぱり…。」
ふっと笑みが漏れた。
「山南さんはやっぱり魔法使いです。山南さんとお話していると、私は魔法をかけられてしまいます。」
「おやおや…悪い魔法でないといいのですがね。」
「山南さんは悪い魔法なんて使いません。いいえ、使えませんよ。」
山南さんは薄く笑みを浮かべ、ふたたびお花を手にしながらアレンジメント作りに専念し始めた。
「私は貴女が思うような、優しい人間ではないのですよ。」
その笑みは少しだけ、悲しげに見えた。
「誰の心にも闇がある。それは貴女も同じでしょう。」
「でも。」
「でも…なんですか?」
「人の心の中に闇があるから、心の中に光もあるんじゃないですか?世の中に光しかなかったら、きっと眩しすぎて人は休む事が出来ません。」
「…。」
「確かに私の心の中にも闇はあります。それと向き合う事はすごく辛い…辛いです。でも…」
「…。」
「それでも私は自分の中の闇を捨てる事が出来ません。どうやってもなくならない。捨て方もわからない。」
「…。」
「そんな私を…そんな私を全部ひっくるめて私だと認めてくれる人がいます。そんな私に手を伸ばしてくれる人がいます。こんな私なのに…大切思ってくれる人がいます。山南にだっていますよね?そんな人。」
「…。」
「私は山南さんの事たくさん知りません。でも、山南さんがどんなにたくさんの闇を抱えているとしても、私は貴方が心の痛みがわかる優しい人だと知っています。温かい光を持っている人だとわかっています。心の痛みのわからない冷たい人間には、絶対に他人に優しくなんか出来ません。」
「出来ましたよ。」
山南さんはそっと私の目の前に、アレンジメントを差し出した。
私はそれを黙って受け取った。
私の言葉が正しかったのかどうかはわからない。
だって…山南さんは何も答えてはくれなかったから。
「この花の花言葉を君はご存知ですか?」
「いいえ。」
「この花はまるで闇夜のようだ。だからこそ…月の名を授かった。」
まるで眩しいものを見るように目を細め、私に優しく笑いかける。
まるで悪い魔法をかけられてしまったみたいに、体が動かない。
山南さんは目も逸らせないでいる私に近づき、そっと耳元で囁いた。
「だからこそ…この花には小さな星の光が似合うのでしょうね。」
そう言いながら、怪しく私に微笑みかける。
私はそんな山南さんをなぜか怖ろしいと思った。
そして
そんな山南さんを私は…
私はとても美しいと…そう思った。