有名人の自殺についての報道です。日本ではなく韓国です(Yahoo News2009年3月7日より)
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自殺の前に何があったのか。何で死ななければならなかったのか。他人があれこれ詮索することではありません。
他人による余計な詮索は、亡くなった人に対する侮辱であり、遺族を傷つける行為に当たります。
しかし、遺族には、知りたいことがあるはずです。
自死遺族は、「自分が助けることができなかった」と思い、今後、ずっと自分を責め続けます。何かがわかったところで、そのことは変わりません。そして、「どうして?」という思いはずっと残ります。
「どうして?」・・・。そのことを知っているのは、あるいは、そのことについて何らかの説明を与える上で有益な情報を持っているのは、おそらくは主治医です。
処方されていた薬物が何であり、診察室で何があったのか。家族に話さないことを、主治医に話しているかもしれません。
治療の経過について、遺族が納得できるまで、きちんと説明するのが、あるいは、遺族と共に悩み、「どうして?」と問い続けなければならないのが、自殺をした患者の主治医の義務です。
いかなる分野を専門にしようとも、あらゆる医師の仕事の中心にあるのは、患者と共に死に立ち向かい、患者と共に死の淵に立ち、それでも、患者を生の世界に送り出し続ける、という営みです。
患者の自殺は、そのような営みが失敗した、ということにほかなりません。失敗をすれば、当然、その責任を取る必要が生じます。
責任を取る上で最も重要なのは、遺族が納得するまで説明をする、という作業です。
そして、仮に今後も同じ仕事を続けていくつもりであれば、失敗から目をそむけず、同じ失敗を繰り返さないために、これからどうすればよいのかを、じっくりと考え、今後の治療に生かすことであり、そのことを遺族と亡くなった患者に約束することです。
それができないような医者は、誰にとっても、迷惑な存在でしかありません。だから、もしそういうことができない医者なら、すぐに医者をやめるべきなのです。
by 「精神科医を訴えるHP」管理人