おすすめできない「認知行動療法」:こんなことなら病院に行く必要はない | 精神科医&カウンセラーの倫理違反と被害救済を考える

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精神科医やカウンセラーによる非倫理的な行為・言動・態度によって被害を受けたという訴えは後を絶たない。以上の問題に、被害者の見地から提言をしていく。

  以下、東京新聞WEB版より「認知行動療法のすすめ」(2009年3月6日付) という記事です。しかし、こんな「治療」を受けるために、わざわざ病院に行く必要があるんでしょうか?
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   認知行動療法が注目されている。悩みを抱えやすい人が考え方や行動を変えることでつらい症状を治していく精神療法だ。認知行動療法的な考え方は、日常生活の悩みやストレス対処に生かすヒントにもなる。 (野村由美子)
 人は何かあると、体、感情、考え方(認知)、行動の四つの側面で反応する。四つは互いに影響を受ける関係。例えば大変な状況に直面したとき、体は重くなり、感情は不安で悲しく、閉じこもって泣いて、「自分は駄目な人間だ」と考える。
  認知行動療法はこの中の考え方と行動を変えることで、個々の状況に、より上手に対応できるようにしていこうという治療。患者ごとに無理のない考え方や行動の仕方を医療者が伴走して一緒に発見していく。
  「その場その場でより無理のない、より現実的な対処法を積み重ねて、ストレスへの対処法のレパートリーを増やそうという治療」と古川壽亮(としあき)名古屋市立大大学院教授(精神・認知・行動医学=写真)。古川教授は同大病院精神科でパニック障害と社会不安障害の集団認知行動療法を実施している。
  個人かグループで一回一時間前後のセッションを十-二十回持ち、患者の悩ましいと思うテーマを検討する。検討で出てきた新しい考え方や行動を実生活でも「練習」して力と自信を付けていく。
  例えば「パニック発作が出たらと心配で地下鉄に乗れない」場合、「地下鉄で気分が悪くなったら発作が起きるのでは」という不安をあおってしまう考えを、「今まで地下鉄で車酔いしたことはない」「緊張して不安にはなるだろうが、パニック発作までにはならないだろう」など、少し直していく。また家から駅まで行ってみる、改札口まで行ってみるなど、少しずつ行動を増やしていく。 短期間で効果が見えやすく、多くの精神疾患に対応できることから、日本でも一九九〇年代以降注目されるようになった。うつ病では薬と併用で、パニック障害では薬に代わって、それぞれ再発予防も含めて有効とされる。
  ただ、現在実施しているのは一部の病院だけで、古川教授は「専門家を養成する体系、導入しやすい診療報酬制度が確立していってほしい」と話している。

◆日常生活のヒントに 健康な人でも悩みが続いたり、強い不安から、柔軟な対応ができなくなることもある。認知行動療法の考えを日常に生かすヒントを紹介する。
 【コップの水】コップに水が半分。「もう半分しかない」と「まだ半分もある」。どう考えるかで気持ちは違うが、前向きがいい、ではない。両方の考え方があると思うことができればいい。
 【書く】(1)大変なとき、どんな状況で、どんな気持ちか、なぜそう思うかを書き出す。メモ帳などに一行だけでも構わない。状況への別の見方がもしできたら、それも書いてみる(図参照)。(2)問題に直面したとき、自分が取り得る対処方法を書いて、それぞれのメリット、デメリットを書き出すと解決法が見えてくる。
 【友人アドバイス法】同じ悩みを友人があなたに相談したら、何とアドバイスするか考える。
 【ちょっと何かする】例えば、憂うつでずるずる寝てしまう人は、起きたら冷たいジュースを一杯飲んでみる。出張続きで疲れた人は、帰りの新幹線で、マンガを買って読んでみる。旅行までは負担でも会社帰りに旅行のパンフレットを持って帰ってみる。
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  東京新聞の記者は、このように「認知行動療法」を推薦しています。

  また、古川教授は、「専門家を養成する体系、導入しやすい診療報酬制度が確立していってほしい」と述べています。
 しかしながら、次のようなことは、「治療」としてわざわざ病院で指導されることなのでしょうか?

1)「その場その場でより無理のない、より現実的な対処法を積み重ねて、ストレスへの対処法のレパートリーを増やそう」
2)「今まで地下鉄で車酔いしたことはない」「緊張して不安にはなるだろうが、パニック発作までにはならないだろう」「家から駅まで行ってみる、改札口まで行ってみるなど、少しずつ行動を増やしていく」
3)【コップの水】
4)【書く】
5)【ちょっと何かする】

 これが、治療費を対価として実行される「医療行為」なんでしょうか?

  「専門家」と「確立」された「診療報酬制度」によって実施されるべき「治療」なんでしょうか?
 そうではなくて、むしろ、コツを知っていれば、家族や友人、つまり、非専門家と協力しながらできることではないでしょうか?
 要するに「ものは考えようだ」ということを、思考や行動で学びなおす、ということでしかないわけです。
 あるいは、「そういう考え方もある」ということに「気づく」ことを実践する行為です。
 わざわざ病院に行って医者から教わるまでもなく、そのようなことに「気づいた」経験を持った、「元患者」や、「人生でトラブルを克服した経験豊富なアドバイザー」(広い意味での「人生の先輩」)から話を聞くことができれば、それでよいはずです。
 自分の思考や行動の「くせ」をなおす、ということであれば、医者は不要です。

 そもそも、こんなことに、「認知行動療法」などという、こむずかしい治療名が付けられていること自体、大変怪しいです。
 「精神分析」、そして、その次には「カウンセリング」等々が次々にもてはやされていった経緯と似通っています。 
 これらの「治療方法」と比べれば、「わかりやすい」というところが唯一の違いでしょう。

 精神科で被害を受けた方々の間では、「認知行動療法」の評判は大変良いようです。
 しかしながら、薬を使わないからといって、この手の「心理療法」や「行動療法」があてになるわけではありません。
 ところが、医者から「治療」と称して、以上のような「わかりきったこと」について説明があると、人は誰でも、ある種の「暗示」をかけられて「患者」になってしまいます。
  つまり、「あなたは「人間」ではなく、「患者」です」」といわれ続ける結果、「本当は病気ではない」のに「病気」にされてしまい、「治療が必要だ」と思わされて、「治療」を施されてしまうわけです。

 こういった「心理療法」は、「人間」を不健康な「患者」に仕立て上げる方法でしかありません。
 「認知の修正」とは名ばかりで、健康な人に「自分は不健康だ」という「認知」を植えつける、あるいは「認知」を捻じ曲げてしまう、というある種の「洗脳」です。

 付け加えれば、上記の記事で述べられている通り、「認知行動療法」は、「うつ病」の場合、薬物療法が併用される、とのことです。「わかりやすい」ものには、必ず罠(わな)があります。

  「わかりやすいから」という理由だけで、このような「治療」を信頼すべきではありません。

 最後に指摘しなければならないことがあります。

 日本において、多くの医者は、難しい医学部の試験をパスし、難しい医学部の授業にパスし、そして難しい国家試験にパスする能力は持っています。ですから、そういうことなら、医者は「豊富な経験」を持っている、といえます(・・・というか、そのはずです)。

 しかしながら、彼ら医者たちは、人生において困難な状況に直面し、それを克服した、という経験を持っていません。

 ここでいう困難な状況、というものは、家庭や学校や職場の人間関係で起きること(親からの暴力、ドメスティックバイオレンス、いじめ、パワハラ、リストラ、解雇、etc.)だけでなく、「自分の力ではどうしようもない」ものも含みます。たとえば、両親の離婚や死別といった家庭の状況や、貧しい家庭で育ち、自分も貧しい生活を強いられている、という経済状況、さらには、誰のせいでもなく、生まれつき持っている、身体や精神の「障害」、というものが考えられます。

 そもそも、統計からわかることですが、医師になった人々のほとんどは、裕福な家庭の出身者です。
 彼らの親の多くが医者であり、場合によっては、何代にもわたって医者を輩出している家族の一人である可能性もあります。
 医学部を受験するということが決まっていなくとも、子供のころから多くの教育費を投じられているのが普通です。
 その結果、「困難」といっても、せいぜい、「勉強が大変だった」とか、「遊べなかった」とか、 そのたぐいのもので、さまざまな条件によって「極めて恵まれた状況」にある、というのが普通です。

 そうなると、彼ら医師たちは、「さまざまな困難」を子供の時から克服する必要性がなかったため、「困難を抱える」ということが、いったいどういう状況なのか、ということを「認知」することができなくなるわけです。

 したがって、医師には「患者」の「困難」を「認知」する能力がほとんどない、あるいはまったくない、といえます。

 患者の「困難」を理解できない人たちから、「あなたの認知のあり方を変えましょう。私の言うことを聞けば、克服できます」などと言われたくはありません。

 そもそも変えなければいけないのは、彼ら医師たちの狭くて独断的な「認知」のあり方です。

 医者たちのねじ曲がった認知を修正させることができる、ということなら、「認知行動療法」なるものが、多少は役に立つ、といえるかもしれません。

 とはいえ、しょせん、彼ら医者たちの浅はかな考えが基本にある「治療方法」です。あてになるものとは到底思えません。

by 「精神科医を訴えるHP」管理人