「雪明けの2月18日」の後も、ほぼ毎日「出動」が続きます。
撮れたゴハチは既撮車番ばかりで新鮮味イマイチですが、「副産物」がいろいろ。
<2月19日>
113系サロ110-1285[千マリ] (1984-02-19 保土ヶ谷-横浜)
※ゴハチ待ちの85mmなので、寸詰まりの個車写真となっています。こういうのはきちんと50mmで撮るべきなのですが・・・所詮「副産物」の扱いです。
EF58 129[関]牽引荷33レ (1984-02-19 横浜-保土ヶ谷)
※前東京機関区の129号機登場。EF58各車の累積走行距離は1・5号機の様に500万キロに及ぶものがあった一方、この129号機は約200万キロと異常に少なかった。人間と同様、精勤者が居れば楽な生涯を送った者も居た様で。。。
<2月20日>「八丁畷」詣です。
EF58 142[関]牽引荷31レ (1984-02-20 八丁畷)
※お話しした通り、下関転属組は最低限の整備しか行われなかったため若番を中心に不調機が続出、比較的調子の良いカマがヘビロテされたようだ。元宮原の142号機もその「頑張り組」としてまたも登場。
EF64 78 (1984-02-20 八丁畷)
※「副産物」。それにしても左下の開けっ放しのカメラバッグ、一体誰のだ!
※EF64の78号機は1979年甲府・1985年八王子となっている。この運用は八王子転属後だろうか。
EF60 27 (1984-02-20 八丁畷)
※EF60の若番が来た。1979年時点では広島だが1985年の配置情報だと高二、転属後の仕業だろう。
※2両目にマヤ34らしき検測車を従えている。
※今度は尻手側から嬉しい64の若番が来た。この11号機、1979年の配置表では篠ノ井、1985年の配置表では・・・見当たらない💦。廃車前のわずかな期間八王子に居たのだろうか?
この頃の機関車の配置・転属状況は文献を調べ直さないとはっきりしないこと多し。(EF58は「EF58ものがたり(交友社刊)」持っているのではっきりしてますが。)
DD13 259 (1984-02-20 八丁畷)
※DD13の単機が来た。浜川崎辺りでの仕業のため新鶴見から出勤中、と思いきや、この259号機、1980年も1985年も品川機関区となっている・・・真相は??
EF58 56[関]牽引荷32レ (1984-02-20 八丁畷)
※本命登場。既撮だが嬉しい若番機が来た。前宮原ガマで前面白Hゴム窓機となっている
<2月21日>
EF58 96[関]牽引荷33レ (1984-02-21 横浜-保土ヶ谷)
※「宮原の上り銀河」以来久しぶりの96号機登場。
113系 サロ110-54[静シス] (1984-02-21 横浜-保土ヶ谷)
<2月22日>
EF58牽引荷35レ 後打ち (1984-02-22 浜松町)
※ここはどーこだ?・・・浜松町。汐留発着の急荷を一般的に撮れる北限点だったか。それにしても前打ちが遺っていないということは・・・被られたな。
EF65 1108[東]+24系25形特急「はやぶさ」3レ (1984-02-22 品川)
※この場所でこの列車だけ撮っています。
※この時の「はやぶさ」牽引機はまだ「東京機関区のEF65PF」だったが、翌1985年3月には「下関運転所のEF66」に置き換えられ、また東京機関区の無配置化により同区のPFは新鶴見機関区所属に変わった。
<2月24日>
113系 サロ110-1006[南フナ] (1984-02-24 保土ヶ谷-横浜)
※2月19日と同じサロ110-1000の写真に思えるが、前者が新製の1200番台であるのに対し・・・おぉ!1006!。これは元サロ110-26、さらにはサロ153-26(1960年製)を種車とする「スカの老雄」。1000番台ATC新製車両が1972年初製であることから10年以上年長車が編成中に組み込まれていたことになる。一見見分けが付かないが、ユニット窓のフリンジ部が波打っていたり、その隙間に入ったダストが黒く積もってよく見ると経年車だと分かったものだ。
EF58 164[関]牽引荷33レ (1984-02-24 横浜-保土ヶ谷)
※「本命」の方が「副産物」よりコメント少ない?・・・「こっちの方がサロ110-1006より古いでしょ?」「そうですが、新製は2年しか違いません。」
113系 サロ110-55[静シス] (1984-02-24 横浜-保土ヶ谷)
※サロ110-1006と同じくサロ153を種車とするサロ110のこちらは基本番台。55はサロ153製造最終年の1962年製。
つづく
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