幸せと不幸は表裏一体 | 鏡の中のあなたと私

鏡の中のあなたと私

今までの人生を振り返りながら、
鏡の中のあなたと私のこと、つらつらと綴ります。

5月半ば、ゴールデンウィークを過ぎて田んぼの稲穂も少し背を伸ばし、朝風の下で気持ち良さそうに泳いでいる。

 

都会に育った私は季語に出て来るような肌で楽しむ季節感を味わったことがなく、路地裏の植木鉢の花木の移り変わりで暦をめくっていた。

 

それでも今のような目を見張る色鮮やかな花色はなく、

せいぜい紫陽花、朝顔が灰色の路地に色を添えてくれる程度だった。

 

今となっては遠い昔の風景だけど、先生と街歩きしていると、目に止まった小さなきっかけで、「あの頃」にタイムスリップすることがある。

 

あの頃…

 

それがいつのあの頃なのか、年代も様々だけど、あのね、そういえばね…と私が一方的に想い出を語りだすと、話終わる頃には先生が想い出の中に取り込まれていく。

 

まるで…

 

あの日、あの時を一緒に過ごした仲間のように…。

 

吉祥天と黒闇天

 

昨日、朝のLINE交換の途中で、いきなり…

 

”ちっと気になる黒闇天だなぁ。”

 

と、私の挨拶文、ガン無視の独り言が飛び込んできた↓

 

 

こんなことは毎度おなじみのことだから、3分間で調べて理解したことを送った。

 

この要約するまでの時間が長引くと、「はい、残念…そこまで」とばかり、話はスル―されてしまう。

 

頭の良い人は、自分勝手な脳多動をすると先生を知ってから思っているけれど…

 

実際のところ…

 

「クイズタイムショックじゃねぇ〜よ」です(^^ゞ

 

吉祥天(きっしょうてん)と黒闇天(こくあんてん)は、双子の姉妹なのですが、2人は対照的な性質を持っています。

 

『涅槃経』に出てくる吉祥天と黒闇天の話では、一軒の家に二人の女が訪ねてくるシーンが書かれているようですが、


一人は器量良しの吉祥天(姉)で、「私は行く先々に財産を与えます」と話します。これを聞いた主人は心よく家に招き入れます。


しばらくして…

 

身なり貧しい黒闇天(妹)が、「私が訪れた家の財産は全てなくなります」と話します。これを聞いて主人は「すぐに出ていけ」と追い返そうとしました。


すると「先ほどの者は姉で、私を追い出せば、姉も一緒に出ていくことになりますよ」と告げました。
 

考えた主人は、姉も妹も追い出してしまいました。


その後、貧しい家に二人は招き入れられるのですが、その家の主人は、吉祥天に会える日を待ち望んでいたと話し、同時に黒闇天も快く家に招き入れました。
 

吉祥天は幸福と繁栄をもたらす神であり、黒闇天は俗にいう貧乏神とされています。

 

ただ、今回、調べていて思ったのですが…

 

『禍福は糾える縄の如し』ということわざもあるように、

 

「幸」や「不幸」は、より合わせた縄のように交互にやってくるものかもしれません。


そして…


私の中にも善人と悪人が同居していて、その日の気分で前者にもなり後者にもなっています。

吉祥天と黒闇天はまさに表裏一体であり、良いこと、悪いことが起こるたび一喜一憂することなく、常に心穏やかに過ごせるようになりたいものです。

 

まあ、そこまで悟ると教科書人生になってしまうので、良いことが合ったら喜び合い、悪いことが起きたら次は絶対に良いことがあると励まし合う…。


そんな人達に囲まれて余生を過ごせたら幸せだなぁ〜と思っています。


そう思うのも…

 

幼い頃、双方相まって人生だと教えてくれた商店街のおじさん、おばさん達が語る庶民信仰に私は今も助けられているからかもしれません。

 

泣いたっていいんだよ…

 

涙でゴミが取れたなら、さっきより前が明るく見えるだろう!

 

逢瀬に向かう車窓から…美月

 

 

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