懸賞 | 川瀬有希の独り言

川瀬有希の独り言

田中好子さん、キャンディーズ、岡田有希子さんに捧げるブログ

近年懸賞はQRコードを利用したものが主流になっているが、特に缶の清涼飲料水は2010年代前半ぐらいまではシールを貼って応募するタイプが多かった。


これは結構長く続いてたので昔からそうだったように思いがちだが、その前はプルタブを封書に入れて送るタイプこそがメインだった。


プルトップが浸透して以降は分離するプルタブ自体が消滅したのでこのやり方は廃止されたが、覚えている方も多いだろう。


その時代の思い出で忘れられない一件があり、自分に大きな影響を与えた出来事だったのでそれについて綴ってみる。





当時コカコーラが毎年夏に実施していたキャンペーンがあり、プルタブ5枚1口で応募出来るプレゼント企画がそれで、大体3ランクぐらい賞品が用意されていたが、自分は1等や2等の豪華賞品なんて全然興味がなくて3等にばかり注目していた。


それは何かというとミュージックテープ。


洋邦合わせて30種類ぐらい毎回ラインナップされてたように記憶する。


ちょうど40年前、1984年初頭に洋楽に目覚めた自分はそれまでとはうってかわりラジオで洋楽メインの番組ばかり聴くようになり、気に入った曲をひたすらエアチェック(死語)していた。


とりわけ気に入った曲はより良い音で聴きたいのでレコードを欲しくなるも家にはプレーヤーがなく、あるのは中学の入学祝いに買ってもらったダブルラジカセのみ。


なのでレコードの代わりにミュージックテープを手に入れたいとは思うものの値段はレコードと変わらず2500〜2800円。


月の小遣いが1000円の自分には高嶺の花で早々買えるものではなかった。


そんな自分にとって当プレゼント企画は正にうってつけ。


この84年の夏は祈るような気持ちで全て洋楽アルバムをチョイスし送ったのだった。


全部で4口。


切手代もかかるのに清涼飲料水なんて短期間に小遣いだけでそんなに買える筈もなく、よく自販機横のゴミ箱周辺に応募用のプルタブが落ちてないかうろうろ見て回ったのを思い出す(今考えても挙動不審者だ)。


とはいえまだ洋楽ビギナー、外国のアーティストなんて超有名どころ以外大して知らない。


ラインナップされてるものの中から確実に知ってる人だけ選んだもののそれでも3組が精一杯。


あと1口応募出来る。


切手も既に買ってるし、締切も迫ってるしで、ええぃどれでもいいやと適当に選んで最後のひとつを送った。


それから約4週間後、送られてきたんですよ。


見事当選!


懸賞なんて当たったことがなかったからそれだけでも嬉しくて、早速封を開いてみたところ「・・・」。


よりによって当たったのは最後に適当に選んだどうでもいいアルバムだった。


「ツイてるのかツイてないのか」


複雑な気分になりつつ、それでもせっかく当たったんだからとりあえず聴いてみるかとラジカセにセットし、スタートボタンを押して流れて来た曲に耳を傾けたところ・・・


「!!!」


何だこの格好良さは。


当時はそうと分からなかったがいわゆる黎明期サンプリングの乾いたドラムス、鳴り響くギター、中森明菜の『サザン・ウインド』にも影響を与えた印象的なメロディー(笑)。


それまで聴いたことのないようなサウンドにも衝撃を受け一気にそのバンドの虜と化した。


そのアーティストの名はイエス、アルバムは『90125』、曲は『ロンリーハート』。



大ヒットしてから既にちょっと過ぎていた時期だが僕は未だ聴いたことがなかったので、そういう出会い方をしたことに運命すら感じる。


ラジオでながら聴きしてたぐらいではそんな感情を持たなかった可能性もあるし、封入されていたライナーノーツにある〈プログレッシヴ・ロック〉という訳のわからない名称に何故か惹かれ、そのジャンルに興味を持つきっかけにもなったのだから。


もっとも、夏休み明けにオフコースとチューリップのファンになりそちらに力を入れた?ため、プログレに本格的にハマるのはもう少し後、具体的には1989年の夏、即ち両バンドが解散した年以降だった。


たかがいちプレゼントキャンペーン、たまたま当たった1本のミュージックテープ。


しかしその後の自分の音楽的嗜好に多大なる影響をもたらしたこの出来事は今なお忘れられない。


何せ40年経った現在もその影響に縛られてるのだから、偶然の巡り合わせとはいえ少々恐ろしくもなる。


ちなみに他に送った3組はヴァン・ヘイレンの『1984』、プリンスの『パープルレイン』、ブライアン・アダムスの『レックレス』。





何れも80年代を代表する名盤で、もしそれが当選していたら僕の音楽的好みも随分変わっていただろう(ハードロックやファンクにハマっていたかもしれない)。


どこに自分の人生を決定付ける要素が転がっているか、本当に分からないものだ。