五日間(2) | 川瀬有希の独り言

川瀬有希の独り言

田中好子さん、キャンディーズ、岡田有希子さんに捧げるブログ


午前10時前に南青山に到着。

現場には既に沢山の弔問客が訪れていた。

一般ファンは、入り口からみて右側の通路を進むよう指示された。




先ずは受付で記帳を済ませる。

そこで「田中好子 あゆみ」という冊子を頂いた。

表紙には遺影と同じ写真が使われていた。

来年のカレンダー用に撮影されていたというそれは、ここ数年で一番美しいと思える好子さんの写真だった。

それ故、その微笑みがやけに悲しく感じられた。




次に、ファン向けの献花台が設置されたテントの前に誘導された。

僕がそこに着いた時には、もう長蛇の列が出来ていた。

それを仮に第一グループと呼ぶ。

僕は第二グループの列に並んだ(結局焼香するまで、僕の場合この時点からおよそ二時間以上かかることになる)。

椅子はなく、皆ひたすら長時間立ちっぱなしだったが、不満を言う者は誰一人いなかった。




会場ではBGMが流されていた。

それらは全て、好子さんの唯一のソロアルバム『好子』に収録されている曲だった。

キャンディーズのナンバーは一曲もなかった(飾られた写真も女優時代のものばかり)。

お葬式の場だから仕方がないとは思いつつも、少しだけ寂しい気がした(その時は、まさか最後にあんな〈演出〉があるとは思ってもみなかった)。




並んで30分程経過した辺りか。

突然テレビクルーの方に取材を申し込まれた。

あちこちでインタビューが行われてる光景を目にしたが、まさか自分にマイクが向けられるとは思ってなかったので、「僕なんかでいいんですか?」と逆に尋ね返してしまった。

心の整理が全くついてない段階だったので、何を話したか自分でもよく思い出せない。

ただひとつだけ、はっきり覚えてることがある。

それは、『次はどんなドラマの役柄だろうとか、どんな映画に出るんだろうと、今までずっと楽しみにしてきたのに、これから先はもう振り返るだけの存在になってしまったのが寂しい』ということ。

「キャンディーズのスーちゃん」が亡くなったことを嘆くファンの声を、マスコミが何より求めているのは重々承知していた。

しかし、彼女の死は「女優・田中好子」の死でもある。

女優時代からファンになった僕は、そのもうひとつの声をどうしても伝えたかった。

だから、その思いを上記のように正直に話した。

実際に放送で採用されたかどうかは分からないが、そんなことより、自分の本当の気持ちを話せたことが嬉しかった。

勿論、キャンディーズのスーちゃんは大好きだが、同じくらい女優・田中好子さんを愛しているのだから。




予定通り、午前11時を回った辺りで葬儀が始まった。




朝から並んでいる場所に変わらず立ったまま、スピーカーから流れる読経に耳を傾けた。

どれくらい時間が経ったか思い出せないが、やがて第一グループが別の特設テントの方へと誘導されていった。

それから更に数十分が経過し、漸く僕のいる第二グループがそのテントへと案内された。

特設テントの中は前方に座席が設けられていたが、最前列に幾人かが座っているだけで、後は空席のままだった。

我々一般会葬者は、そのテントの中央から後ろで、先程までと同様起立したまま待機するよう指示された。

テレビモニターが用意されていたが、僕は前から7~8列目に位置していた為、モニターの端が他の参列者の頭越しに僅かに見えるだけで、実質的に斎場に流れる音声だけを聴いている状態だった。




読経が終わり、続いて藤村美樹さんの弔辞が始まった。

美樹さんの声は、普段いろんなサイトで視聴しているのと同じ、あの頃のミキちゃんのままだった。

一語一語明瞭に、力強く、それでいて優しい、落ち着いた声音。

こういう表現が相応しいかどうか分からないが、それを聴いて僕は安心した。

昨日のお通夜の映像を観る限り、そのやつれ具合は甚だしく、僕は非常に心配していた。

今日無事に弔辞を読みあげることが出来るか、内心ひやひやしていたので、斎場に響き渡る声に、まるで癒される思いすらした。

愛情溢れる美樹さんの弔辞は胸を打った。

ここまでずっと耐えてきたが我慢しきれなくなり、遂に僕は泣いてしまった。

使い物にならなくなるぐらい、持参したハンカチは涙で濡れた。

僕の周りの参列者も皆泣いていた。

美樹さんの弔辞の中で、「また三人で歌いましょう。(略)私達は永遠にキャンディーズだからね」という言葉に感動した。

キャンディーズのファンでよかった、キャンディーズを応援し続けて本当によかった、と。

三人を支持し続けたことを心の底から誇らしく思った。

それを改めて実感させてくれた美樹さんに感謝します。

本当にありがとう。




美樹さんに続き、伊藤蘭さんの弔辞が始まった。

長年の親友であり、盟友であり、同志である好子さんの死は、蘭さんにとっても受け入れ難いものに違いない。

しかし、その現実を真正面から受け止め、必死で語りかける蘭さんの声は、美樹さんと同じように、泣き崩れてその場に倒れ兼ねない僕の心を、暖かく支えてくれた。

ただ、気丈に振る舞う蘭さんも、最後の方で本音を洩らした。

「もう一度だけでいいから、三人で会いたかった。約束していたのに果たされなかったのが残念でなりません」

お通夜の後のインタビューと同じ台詞。

蘭さんの悔しさが、無念さが伝わる。

後悔に似たその感情を、これから先、ずっと抱えて生きていくのだろう。

蘭さん、どうか強く生き抜いて下さい。




二人の弔辞が終わると、やっと涙は止まった。

あの時の、あの圧倒的な悲痛感は、一生忘れない。

あんなに心動かされることは、この先そうそうないだろう。




それから暫くして、僕のいる第二グループはテントから祭壇のある場所へと誘導された。

テレビで観た通り、床一面は青い絨毯に覆われ、遺影の周りは、通例の菊ではなく、色とりどりの花で綺麗に飾られていた。

そして、青い柩……。

順番が回ってきて、僕は焼香をあげた。

こみあげる悲しみを何とか抑え、心から御冥福をお祈りした。




好子さんのファンになって24年。

いつかは会えると思っていた。

一ファンに過ぎない僕だが、いつか必ずお目にかかれると思っていた。

いろんな奇跡を想像した。

けれど、こんな初対面になることだけは想像しなかった。




本葬儀場から退席する際の通路に、御遺族・御親族の方が一列に並ばれて、我々一般会葬者にもお礼をされていた。

御主人の小達一雄さんはすぐに分かったので一礼したが、その他の方はまじまじと見る訳にもいかず、どなたか存じないまま通り過ぎるしかなかった。

ただその中で、向かって一番左側に立つ背の低い女性を見て「おや?」と思った。

もしかしたら好子さんのお姉さんにあたる光子さんかも知れない、と直感した(お顔が好子さんに似ていたから。

その時点では、僕はお姉さんのお顔を存じ上げなかった)。

一礼した僕に、その方は返礼して下さった。

思えばお姉さんも、家族のことでいくつも辛い別れを経験なさっている。

年の離れた弟さんを、骨肉腫という難病により19歳の若さで失い、母親は三年近い闘病生活の後、永眠。

そして今回妹を、19年に渡る乳癌との闘いの末亡くした。

何故自分だけを遺して、次々と愛する家族は皆逝ってしまうのか。

その悲しみの深さを思うと、やるせない。

同じく遺されたお父様と共に、お体に気をつけて、どうか末長く幸せな毎日を過ごされますよう、心から願っています。




焼香を終え、建物の外に出て、はたと困った。

これからどうしよう、と。

焼香を待つ一般客の列は、正門の先まで続いている。

全ての人がそれを終えるには相当時間がかかりそうだ。

となると、お見送りもまだまだ先ということになる。

知り合いがいれば談笑でもしてられるが、知ってる顔なんてない。




なかば途方に暮れている時、たまたま僕の横にいた一人の男性に声を掛けてみた。

僕より少し背の高い、50代ぐらいの方だった。

名前を訊かなかったので、ここでは仮にAさんとする。

このAさんと、結局お見送りまでの全ての時間を僕は過ごすことになった。

その間キャンディーズに関する様々な思い出話が聞けて、とても有意義な時間を過ごすことが出来た(Aさんについては後述する)。




そうこうしているうちに、急に空模様が怪しくなってきた。

風が強まり、みるみるうちに雲が広がる。

朝からの晴天が消え、やがて雨が降り出した。

俄か雨だと軽くみていたら、あっという間に雨足が強まり、屋根のない、車の通行路の側には立っていられないくらいの土砂降りへと変わった。

せっかくのベストポジションを離れたくはなかったが、仕方なくAさんと共に、献花台の設けられてるテントへと避難した。

既にいっぱいの人で埋まっていたが、ぎりぎり中には入れた。

雨は激しさを増すばかり。

落ちてくる大粒の雨を見ながら、そこにいる人達の声に耳を傾けた。

知らない者同士だったが、例外なく同じような言葉を口にしていた。

「涙雨だね」

「スーちゃんが泣いてるんだよ」

「そりゃ、泣きたくもなるよね」……




15分程経過した後、雨は止んだ。

今度は嘘のように雨雲が消え、急速に天気は回復。

また元の澄んだ青空が一面に広がった。




通り雨だとは分かっている。

ただの自然現象に過ぎない。

けれど、先程テントの下で耳にした通り、好子さんが束の間泣いていたのかも知れない、と僕は思った。

そう信じたくなるような、不思議な15分だった。