演奏すると精神に異常をきたして絶命・投獄・次々と不幸が…ノルウェーに現存する「悪魔のバイオリン」 | eteko屋スタジオ

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演奏すると精神に異常をきたして絶命・投獄・次々と不幸が…ノルウェーに現存する「悪魔のバイオリン」

 

その呪いによって音楽家らの命を次から次へと奪い、命を奪わないまでも不幸のどん底へ突き落してきたとされる、不吉な楽器がある。それが現在、ノルウェーのベルゲン博物館に保存されている「悪魔のバイオリン」だ。さっそく海外オカルト研究家に話を聞こう。

「このバイオリンは、枢機卿だったアルドブランディーニという人物が、2人の職人に製作を依頼。ひとりが胴やネックなどの造形を、もうひとりが装飾を仕上げたという逸品で、完成したのは1500年代後半とも、1600年代初期ともいわれています。アルドブランディーニは完成したバイオリンを、恋心を抱く少女にプレゼントしたのですが、彼女はまるで何かに取り憑かれたかのように不眠不休で弾き続け、亡くなってしまったというんです。そこで、悲しみに暮れた枢機卿はバイオリンを手放すと、他の音楽家の手に渡った。するとその所有者たちの間に、次々と不幸が降りかかったというんです」

そこで所有者のひとりがバイオリンを封印。しかし1600年代半ば、ある音楽家が勝手に持ち出して演奏してしまう。するとその音楽家の精神に異常が現れ、病院に入院したあげく、自ら命を絶ってしまったというのである。前出の海外オカルト研究家が語る。

「17世紀に入ってからも、このヴァイオリンを手に入れた職人が、原因不明の高熱に悩まされました。一命は取りとめたものの、その後、無実の罪で投獄。一時は博物館に所蔵されていたのですが、1800年代初頭に略奪され、ウイーンの伯爵の所有物となった。この伯爵もまた精神に異常をきたし、亡くなってしまったと伝えられています」

呪いの連鎖は、19世紀に入ってからも続いた。このバイオリンで演奏中、脳出血で倒れる事態が勃発。最後の所有者がノルウェーの音楽家で牧師でもあるオーレ・ブルに手渡し、彼が日々、祈りを捧げながら演奏したところ、ようやく怪現象が収まった。

ただ、このバイオリン製作を依頼した枢機卿と、それを手掛けた2人の職人、そして亡くなった少女との関係性が明らかにされていないため、なぜこのバイオリンに呪いが込められているのかについては、今もって謎。職人たちが製作過程で悪魔に魂を売ったからでは、との説も根強く残っているが…。

(ジョン・ドゥ)

 

 

自炊を始めたのは、3.11の震災の前の頃だったなあ。

まともな会社?をやめたころからだったなあ。

 

それまでの食事はどうしてたんだろう。

 

思い出せないあ。

 

会社での食事はどうしてたんだろう。

大みか控除では、食券わ買って、マズい蕎麦高ウドンを書してたなあ。

 

大みか工場の食堂は今もあるのかなあ。

 

社会真の時は、お米は、ほとんど、食さなかったなあ。

お米をコラってたんだよね。

 

半世紀くらいは、お米を食さなかったなあ。

たまに、吉牛で、ご飯を食したなあ。

 

ずーと、基本、お米は嫌ってた。

 

ご飯を嫌いになったのは、のごろ点いた頃のetekoの親父の影響が強いなあ。

 

小学生の低学年くらいまでは、家族4人で、会食すると言うのが当たり前だった。

 

それが、親父が、夕食の、晩酌で、ちゃぷだ返しを始めるようになった。

 

 

親父は、ご飯が固すぎるとか、岡津がまづぃとか愚痴るようになった。

それは、幼いetekoが、毎日聞かされていても。いい大人が、そんな愚痴を言い続けて、家族と会食しててもいいのと思った。

そして、親父の茶舞台返しがはじまった。

こんな不味い飯食えるかと、茶碗をなげつけるようになった。

 

畳の上に、そんな残飯がころがるようになった。

そんな事が何度かづづぃた後に、家族の会食は、なくなった。

 

etekoは、いつも、自分の部屋で、母親が持ってくる食事を、ひとりで食すようになった。

そんな訳で、ひとりで食してた食事の中で、母親が調理した寮で、美味しいと思った料理は何もなかった。