寒い。
「そして、誰もいなくなる。 創作ノート その2 」
ファミマに歩いて行くのは、etkoのボロ屋時の前の道路を300メートルくらい上がっていく。
信号を渡って行くと、じり貧のパチンコ屋があって、その上に、二階建ての、市営アパートが続く。
一棟で4世帯が入居できる造りになっている。
そんな市営アパートが、道の両側に、10棟くらい建っている。
今から、60年くらい前の、昭和35年くらいに建設が始まった。
1、2くらいで完成した。
建築された時は、子持ちの若い夫婦で、部屋は直ぐに埋まった。
抽選で、やっと当たって、入居できたと言う話しを聞いた。
倍率も高かったみたい。
ここの市営アパートは、旧地名から、戸沢アパートと呼ばれていた。
戸沢アパートと言うか、この団地が造成された事は、1部屋には、4人以上は入居したよ。
子供が、3i人と言う加須気も多かったよ。
二階建てと平屋のアパートの部屋数は、300部屋くらいはあるよ。
それに4人をかけると、1200人だよ。
昭和36年代には、戸沢アパートには、1200人以上の人間が暮らしたことになるよ。
昭和の時代までは
空き部屋が出ると直ぐに埋まってたみたい。
空き部屋なんて皆無だったよ。
出て行った家族は、マイホームを建てて出て行ったという噂を聞いた。
空いた部屋には、次の家族が入居してきた。
それも、昭和40年代までかなあ。
この頃までは。どのアパートに誰が入居してるのか、ガキのetekoは知っていた。
なにしろ、入居者の子供達とを、同じ仕様学校に通ってたし、学校から帰ってくると市営アパートの児童公園に集まって、三角ベースや缶蹴りをやって、毎日あそんでいた。
その子供達のアパートの部屋に遊びに行くことも良くあった。
そんな訳で、市営アパートの部屋の間取りも、ガキの頃から分かってるよ。
このアングルでの写真は、初めて撮った。
信号を渡って、山川に向かうと、Fさんの家があって隣が、床屋のUさんの床屋の建屋だよ。
その真向かいが、パチンコ屋の建屋だ。
この散髪屋さんには、高校生の頃まで行ってたかなあ。
思い出したけど、ここには、週刊誌の漫画おいてあった。
あの時は、少年ジャンプは出てなかったなあ。
少年マガジン、少年サンデー、少年キングの3市だったなあ。
待合の椅子の前に、カラー・ボックスの小さな本棚があり、週刊の漫画誌が置かれていた。その中に、大人用の週刊誌も並んでいたけど、etekが見るのは、週刊誌の漫画本だけだった。
漫画を読んでるだけで、散髪の時間は終わってた。
散髪第二乗った時も、漫画本を持って行って、被せられた、エプロン?の脇から手を出して、漫画本を見ていた。
みている、間に、散髪は終わっていた。
その奥が、パチンコ屋のおーなの個物の敷地だ。
奥には、廃品回収業の工場?みたいなものと、最初の住居が建ってる。
そこに、誰゛住んでるのかは、全く知らん。
この地域に、最初に建ったのは、etekoのボロ屋敷だ。
その次に、Fさんの家が建った。
そり次に、床屋さんの家の建築が始まった。
その頃に、団地の造成が始まった。
パチンコ屋がある敷地は、造成にあたる、S建設の置き場だった。
この置き場は、置き場になった時から、敷地をぐるっと、ブロック塀で、囲んでいた。
入り口は、信号のある十字路の過度だった。
入り口の脇に、二階建ての家が建てられていた。
一様は、事務所と言う形だった。
二階は、住居スペース見立てだった。
置き場の管理人が住んでると言う話しだったが、S建設の弐号さんが住んでいると言う噂もあった。
ここの親父は、見たことなかった。
ただ、etekoと同じ年頃の娘がいて、ちょっと遊んだことがあると記憶してる。
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