【etekoの奇妙な履歴。その1】
etekoは大学を卒業してから、地元の日立製作所関連の会社に潜り込んだ。
etekoは、大学は、日大の経営法学部の経営法学課と言う所に一浪して拾われた。
最初の1年間は、埼玉県の大宮にある校舎だった、
ここは、大宮駅から20分くらいバスに乗って行く。
駅から大分遠い所に大学の校舎が建てられていた。
駅をバスが離れて大学の校舎に走ると、直ぐに周りは、田運地帯った。
大学の校舎も、建てられてから、そんなに経っいない。
大宮駅から少し離れた田園地帯に、戸建ての宅地が造成されていた。
その一角を、日大の法学部が、今日家庭の為に広い土地を購入?して、教養課程の1年間の為に、声者を立てたみたい。
公舎の横には、広いグラウンドが広がっていた。
このグラウンドには、サッカーのゴールポストが両側に二つ置かれてた。
ゴールポストの後ろにも、広い土地が広がっていた。
このグランドでは、週に一時間くらいの体育の授業があった。
体育の授業と言っても、顔も分からない学生達と、何指揮の草野球をやるだけなんだけどね。
高校の3年くらいから全くスポーツをしてなかったeteko は、ライトの守備に就いたよ。
この時、etekoの所に、大きなフライが何度も飛んできたよ。
その時に、etekoは、そのボールを難なくさばいたよ。
ガキの頃に、毎日のように三角ベースを、近くの児童公園でやっていた感は鈍っていなかったよ。
あの時に、周りの見知らぬ学生達からetekoの存在が知れたよ。
作家のゴールポストはあったけど、野球のブルぺんはあったのかなあ。
思い出せない。
野球同好会みたいなサークルはあったのかもしれないなあ。
ボールもバットも、グロ部も、人数分は揃ってた。
グラウンドは、かなり広かっと思ってる。
グラウンドの区切りに、策はなかったような気もする。
グランドが終わると、畑になっていた。。
奥のグランドの端から畑に農道が続いていた。
その農道を、300メートルくらい行くと、宅地開発された地域が広がっていた。
その辺りの新築の一戸建ての2階のひと部屋を、etekoは借りて住んでいた。
その家は、幼い円なの子がいる若夫婦の家だった。
2階の部屋は、学生を泊めるために、ガスコンロが一つと、狭いキッチンが付いていた。
無理して、夫婦で一戸建て家をローンで建てたみたい。
そのローンの支払いの一部に、学生を泊めは自゛メタみたい。
トイレはどうだったんだうか。
お風呂は、共同と言うか、ひとりで使えたけど、毎日ではなかったなあ、
週に2日ぐらいかなあ。
思い出せないなあ。
あの時も自炊だったんだけど、何を食してんだろう。
思い出せないなあ。
インスタントラーメンはよく食べてたなあ。
実家から送って来るからね。
コメは炊かなかった。
炊飯器はなかった。
考えてみたら、大学時代の4年間は、お米を炊いて食したことなかったよ。
あの頃は、お米を食べたいとも思わなかった。
自宅が米屋なのに、物心ついた頃から、お米は嫌いになっていた。
お米を食して、美味いと思えるようになったのは、ボロ屋敷にひとりで済みだして、自炊するようになってからだなあ。
ああー、日大の大宮時代の事を書いてて、思い出した。
入学した時に、しばらく経ってから、グランドのサッカーポストで、首自殺した学生がいたよ。
その頃のetekoは、今と同じで、テレビも新聞もない生活だよ。
その事を、次の日辺りに、音楽サークルの仲間から聞いた。
やっぱり、死ぬ奴もいるんだと思った。



