共楽館の前の道を、日立鉱山の方に上っていく道辺りが新町と呼ばれてました。
etekoはそこで生まれて、幼稚園に入るまで暮らしてました。
共楽館では、大画面でいろいろな映画を沢山見た。
その頃に見た映画で記憶に残ってるのは、北大路欣也の親父の旗本退屈男と月形竜之介が黄門様の水戸黄門だよ。
後になって、テレビの日本映画劇場なんかで放映されるようになった時、この映画は共楽館で、10年も前に見たと言う映画が沢山あったな。
あの頃には、親父が米屋をやってたんだ。
えらい繁盛してたみたい。
その隣がすし屋で、えらいかわいがってもらったなあ。
毎日、おやつは寿司を食ってたような記憶しかないなあ。
親父の店の向かいに、親父の親友のラジオ屋さんがいた。
電気屋さんは、新町でそこの一店だけだったよ。
街頭テレビで力道山が流れてた頃に、ラジオ屋さんが店と言うか、店の二階の移住スぺ-スにテレビと言う物を入れたよ、
ラジオ屋さんは、etekoと同じころに結婚して、男の子供が二人いたよ。
兄がetekoの二つ上で弟は同年代だった。
いつも、一緒に遊んでたなあ。
幼馴染と言う奴だよ。
テレビが入った時は、毎日、晩には、テレビを見に行ってたなあ。
テレビの置いてある二階には、毎晩、10人以上の子供や大人が、白黒の新井画面を食い入るように見てたなあ。
そのテレビで、etekoの記憶に残ってるのは、あの俳優の゜丹下左膳」だなあ。
俳優の名前が出てこないなあ。
昭和の時代には、物まねと言うか、声帯模写でよくやってた。
大川内伝次郎だったかなあ。
まあ-、どうでもいいよ。
etekoは、結構、長生きしてしまったなあ。